完走!京都木津川マラソン
2009年 02月 02日
2008年のNew Year Resolution (新年の誓い)で、フルマラソンに
挑戦し年内に完走を目指すと宣言したのにも拘らず、初挑戦の11月の
「福知山マラソン」で無念の(?)失格。・・・詳細は昨年11月のブログを
読んでください。
文字通りリベンジで参加した「京都木津川マラソン」は、今年で26回目。
参加者も遂に5000名を突破する関西屈指の大会の一つになった。
木津川(きづがわ)は三重県の青山高原に源流があり、途中桂川等の
支流と合流し淀川を経て大阪湾に注ぐ。
流域には後醍醐天皇の御在所跡のある笠置(かさぎ)山、忍者で有名な
伊賀上野の里、俳聖松尾芭蕉の多くの碑が残るなど、歴史を感じさせる
河川だ。
水量が豊富な為往事は水運も盛んだったようで、船着場の跡地が
点在する。
途中の上津屋橋は、流域に氾濫が起きやすい為に被害を最小に
抑える特殊な構造である「流れ橋」としては日本一の長さを誇る。
今回はそんな木津川の河川敷を走るコースだ。
ちなみに近くには「とんち」で名高い一休宗純のお寺、「酬恩庵」もある。
会場受付で、ACCJ(在日米国商工会議所)の仲間である野上麻理さんと
ばったり出会う。
彼女は私が参加しているACCJのコミッティー「ウーマン・イン・ビジネス」の
委員長で、マックスファクター・ジャパンのプレジデント。
そして今年のウォーカソンの中心メンバーだ。
健闘を誓い合うが、彼女のベストタイムは3時間30分だとのこと。
5時間以内での完走を目指す私とはレベルが違う・・・。
朝10時のスタート。気温8℃。ぽかぽかして汗ばむほどで、最初の
10キロはハイペースで走る。
ところが10キロの折り返しを過ぎると日が翳り、かつ北風をまともに受け
るように。
なんとか中間地点の21キロまで辿りつく。が、その後がいけない。
強風を受けて体感温度が下がり、身体が固まる。メッシュのランニング・
シューズに冷気がまともに入ってくるので、足の指が凍る様だ。
途中、遥か先を走る野上さんがすれ違い様に「茂木さん、ファイト!」と
声を掛けてくれて、一瞬だけ元気になる。
流れ橋近くの30キロ折り返し地点で、もうヘロヘロ。
沿道の応援してくれる人や、ボランティア、ベテランランナーの励ましで
なんとか進む。
「ランナーズ・ハイ」なんて、いつまでたってもやって来ない。
ところが最も苦しい33キロ辺りで、暫くの間私と前後して同じペースで
走っていた見知らぬ女性ランナーの走るリズムと、自分のリズムが
ぴったり合うことに気付いた。
彼女のリズムに併せて足を出すと、何故かスムースに走れる。
走るリズム(ペース)を掴んだのだ。
全く見ず知らずの私たちは、それから10キロ程のゴールまで休み無く
一緒に走ることになる。もちろんお互い声も掛けず、顔を見合わせたりも
しない。
ゴール後、彼女とはじめて話す。聞けば彼女も私を「ペースランナー」
として感じていたという。不思議な事もあるものだ。
お互い名前も名乗らず、次のマラソン大会での再会を期して分かれる。
まるで「一期一会」の世界。
ちなみに私の記録は、公式計時5時間7分。目標タイムより25分ほど
遅かった。
次回は3月8日(日)の京都シティ・ハーフマラソン!
写真は上から大会ポスター。
木津川流域の流れ橋「上津屋橋」(Wikipedia より)。
数年前の「探偵ナイトスクープ」で、この橋に乗る橋桁(はしげた)の数を
数える調査を行っていた。
これも途中で知り合ったケニア人の留学生、オケヨ・ケネディ君と。
京大工学部の学生だ。私は当初彼を世界のトップランナーで大会の
招待選手だとばかり思っていたが、実はフツーの人だった。
今回も大会関係者に大感謝。寒風の中、最後まで応援してくれた
ボランティアや沿道の人たちがどんなに私を勇気付けてくれたか。
ありがとうございました。