ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

24年前、日航機墜落事故の記憶

"JAL Crash into deep mountain"

上記は今から24年前、1985年8月13日のジャパン・タイムス
朝刊の見出し。
520名もの命を奪ったJAL123便のあの日の墜落事故は、
多くの日本人の記憶に今も鮮明に刻み込まれている。

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当時私は勤務先の芝パークホテルで、新米のフロント・キャッシャー
だった。
当日の夜勤だった私と3名の先輩社員は、通常勤務に追われながらも
夜の8時頃から刻々と伝わるテレビ・ニュースから目が離せなかった。

何故なら、芝パークの日本人顧客の殆どが関西方面からの
ビジネスマンだったから。
彼らは当日朝にホテルをチェックアウトし、東京のオフィスで勤務後、
新幹線か飛行機で関西への帰路につくというパターン。
芝パークの近くに関西に拠点を置く某エレクトロニクス系巨大企業の
東京本部があり、そこからの出張客も多かった。

「もしかしたらウチのお客様の名前もあるかもしれない・・・」
古くからの常連で、時に親しく我々ホテルマンに接してくれた
お客様たち。この大事故に一人も巻き込まれないでいてくれると
いいのだが・・・。

だが不安は的中した。まずトップクラスの顧客である神戸在住の
O教授の名前が、搭乗者名簿で読み上げられた。

「おい、O先生は本当にウチをチェック・アウトしているか!?」
社長の特徴的な野太い声が、オフィス内に響く。
もしまだ滞在中であれば、あのニュースは誤報ということになる。
・・・残念ながら、O教授は確かに今朝チェックアウトしている。
がっくりと肩を落とす社長。

一人、また一人と常連客の名前がテレビニュースで読み上げられる。
警察からの問い合わせに備え、彼らのレジカードとチェックアウトの
記録をピック・アップする。

「あ、あの人だ・・・!」
私は小さく叫んだ。つい数時間前、私がシフトに就くと同時に
レイト・チェックアウトしに来た外国人観光客。
彼とは滞在中に何度か話をした。

「これから何処へ行くの?」
「キョートへ。"ZEN"に興味があるんだ」
「良い旅を」
「ありがとう」

チェックアウトのこの時も、こんな会話を交わしたのを憶えている。

結局この朝芝パークをチェックアウトしたお客で、この大事故に
巻き込まれた人は5名、ということが判明した。

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当日もホテルは満室の大盛況。大きな宴会も入っていて、レストランは
どこも満席状態。
どんな大事故が起きようと、ホテルは稼動し続ける。
そして私たちフロントの夜勤担当は当日の「締め」の作業を
淡々と正確にこなさなければならない。

一睡どころか一晩中休憩もとれなかった勤務明けの朝、
テレビ・ニュースでは未曾有の大事故の全貌を描き出していた。
新聞各紙ももちろん一面トップ。ホテル中が、いや東京、日本全国が
異様な雰囲気に包まれている。

ロビーのジャパン・タイムスの表記に目が行く。
"JAL Crash into deep mountain"

英語では「墜落」をこう表現するのか、と妙に感心する。

25才だった私は、夜勤明けのその足で、当時神宮外苑にあった
屋外プールでのデートの約束に向かった。

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8月の灼熱の太陽が照りつける中、この日も超満員の神宮外苑プール。
若者達の引き締まった肉体と、それを覆うカラフルな水着で足の
踏み場も無い。
デートの相手は外資系エアラインのスチュワーデス。
普段は快活な彼女も、さすがにその日は相当に表情が強ばっていて、
悄然とするばかりだ。
所属する会社の違いはあるが、同じ空で働く仲間が多く失われたのだ。

・・・お互い言葉も無くプールサイドに横たわっていると、隣のグループ
が聞いていたラジオ放送から、JALの事故現場から生存者を発見した
というニュースが飛び込んできた。

「生存者がいたんだってよ!」
「本当か!?」
ざわめきが周囲に伝わり、やがてあちらこちらでラジオの周波数が
NHKニュースのそれに変わる。

「ただいま日航機墜落現場から、生存者が確認されました!」
NHKのアナウンサーの力強い声に、超満員のプールが一瞬
静けさに包まれ、やがてあちこちで控えめな歓喜の声がさざ波の
ように広がる。抱き合って喜ぶカップルもいる。

「良かった!」「良かったね・・・」

たった4名、いや4名も生きていてくれたこの事実。
520名もの犠牲者を出したこの大惨事での4名の生存者のニュースに、
私たちは興奮していた。

やがてプールには元の喧騒が戻り、いつもの神宮外苑プールの
様相になる。軽快なBGMが空に鳴り渡る。
灼熱の太陽、真っ青な空、白い入道雲。

「生きている」って何だろう。

本当に不謹慎極まりないが、許して欲しい。
昨夜は生々しい大惨事の事故処理の一端に携わり、お客とフロントの
中とはいえ言葉を交わした人を喪い、私は心身ともに疲れ果てていた。

そして今日、事故現場の修羅場とは対照的な神宮外苑の青空の下、
若々しい肉体が弾けるプールサイドで得た「自分は生きている」という
実感。

毎年8月12日午後6時58分。私は今でも黙祷を捧げる。
亡くなった520名の犠牲者、その家族、関係者、そして生きることの意味を
思いながら。


写真は上から www.LessingNets.com
www.intec-j.up.seesaa.net
www.Hanshin-Now.com (屋外プールのイメージ)
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by Mikio_Motegi | 2009-08-12 22:59 | 人材・ホテル