京都の地蔵盆
2009年 08月 30日
毎年旧暦の7月24日、グレゴリオ暦の8月24日前後の土日に
執り行われる。お地蔵様は子供の守り神とされており、地域の
子供たちの為の縁日-お祭りである。
京都の市内を歩けばお気づきだろうが、ここはやたらとお地蔵様が
多い。一説5000体以上のお地蔵様が祀られているという程だ。
この日が近づくと、町内の住人はお地蔵様を洗い清め、お化粧を
施し、前垂れを新調する。
住人に子供が生まれると、名前を書いた提灯を新調し奉納する。
ロケーション、規模、風習等全てのお地蔵様は条件が違うので、
理論上5000通りの地蔵盆の祝い方があるという。
我が家の町内の地蔵盆は、当日は地蔵の前にテントを立て、
提灯を下げる。祭壇に灯明を上げ「曼荼羅(まんだら)」という幟(のぼり)
を立てる。
お地蔵様の前の通路が狭いので、一般車両の通行を遮断してしまう。
子供達はテントの中や周囲で、大人が用意した福引やゲーム、
金魚すくい等に興じる。
また大人たちも自分の子供時代を思い出し、子供に昔話をしたり
昔のゲームを教えたりして楽しんでいる。
昼食も済ましてしまうので、日がな一日子供達は飽きることがない。
特に毎年8月24日前後は地蔵盆ラッシュなので、京都の市街地の
あちこちでこのような風景が見られる。
場所によってはテントは張らずガレージや民家の庭先、マンションの
集会場で執り行われることも多い。
地蔵盆という風習は京都、大阪、滋賀及び若狭地方に多く見られると
いう。
関東には地蔵信仰は薄く、代わりに稲荷信仰が篤いという。
当然のことながら関東で生まれ育った私にとって、地蔵盆は全く
ちんぷんかんぷん。
子供達はともかく、大人までも何故こんなに真剣になって遊ぶのか
当初は全く理解できなかった。
中世の京都は、この時代のご多分に漏れず衛生観念が無かった。
具体的に言うと、疫病の流行や戦禍などで人が死んでも埋葬せずに
死体は野ざらし。
埋葬などをする余裕も無いほど人々は貧しかったのだ。
もちろん身体の弱い子供達が疫病や戦禍の犠牲になることも
多かった。
まだ幼い子供の死体が野ざらしで朽ちていく。
見かねた町民がその地に遺体を埋葬し、霊を慰める為に建立したのが
現在のお地蔵様の由来であるという。
少子高齢化、核家族化、中心街の人口空洞化といった現代病の影響で、
京都の地蔵盆も年々寂れていく。
お地蔵様を祀っていても、子供のお祭りでありながら子供自体が
そこに住んでいないのだ。
地蔵盆を伝承し次世代に残すのは私たちの責任である。
そして国の宝でもある子供達の為に、私たちが為すべき事はあまりにも
多く重要だ。
・・・私は悲しいお地蔵様の由来を知った当初、街中を歩くたびに出くわす
彼らの前でその都度立ち止まり、「南無阿弥陀仏」を唱えていた。
でも毎回それをやっていると家から最寄の駅まで5-6箇所は立ち止まら
なければならないという現実に直面し、直ぐに諦めてしまった。
こんな私に国の施策を批判する資格があるかどうか、我ながら甚だ
疑問である。折りしも今日は衆議院選挙の当日・・・。
写真上は「数珠(じゅず)回し」。長さ3-4メートルの大数珠を皆で回し、
ご詠歌を歌うという独特の風習。 www.kokuta-keiji.jp
中、下は我が家の近所の地蔵盆風景。