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ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

大勲位の聴いた「冬の旅」

こう寒い日が続くと、シューベルトの歌曲「冬の旅」を聴きたくなる。
この曲は、失恋した若者が絶望、挫折、疎外感、失った者への
憧憬を感じながら、凍てつく冬の中を彷徨うという叙情曲だ。
シューベルト最晩年の作で、ドイツ歌曲史上最高傑作と呼ばれる
名曲だ。

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その「冬の旅」は、中曽根康弘元首相も好きな曲だという。

第71代-73代内閣総理大臣を務めた中曽根康弘(以下敬称略)は、
言わずとしれた日本の保守勢力を代表する政治家だ。
彼の功績は多々あるが、外交関係では親米、対ソ連(当時)強硬路線を
確立したことが挙げられる。

ソ連が当時ヨーロッパに中距離核ミサイルを配備した時、中曽根は
対抗措置に消極的なヨーロッパの首脳達を説き伏せ、レーガン
元米大統領の提唱する中距離核戦力削減交渉実現をサポート、
「ロン、ヤス」とニックネームで呼び合うほどの密接な関係を構築した。
「大勲位菊花大綬章」を叙勲していることから「大勲位(だいくんい)」と
ニックネームで呼ばれることもある。

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彼は第二次大戦中、海軍主計中尉に任官、東京帝大出のエリート
青年将校としてフィリピン・ミンダナオ島やインドネシア・ボルネオ島
バリクパパンに侵攻する中隊を率いた。
逃亡しもぬけの殻になった地元資産家の屋敷を徴収し、リビングに
残された蓄音機を見つけると、持参したSP盤の「冬の旅」を聴くのが
楽しみの一つだった、とある雑誌で述懐している。
(婦人画報2009年10月号)。

徴収した屋敷とは、多分華僑の豪邸だろう。
南方のプランテーションに囲まれた瀟洒な屋敷のリビングで、砲弾が
飛び交い、明日をも知れぬ戦局の只中、中曽根青年将校がソファに
寛ぎ一人シューベルトに耳を傾ける・・・。何ともいえない情景だ。

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この時の情景、心情は、私は何となく理解できるような気がする。
中曽根の姿には、私の亡父の姿がどこかオーバーラップするからだ。

父と大勲位は同年生まれ(1917年)、共に群馬県の似たような家庭環境
に育つ。地元の旧制中学を出て上京し、大正デモクラシーや戦前の
教養主義の洗礼を受け、クラシックが趣味という点までも共通している。

選挙区は違うが同世代の群馬県人として何か接点があったようで、
中曽根の直筆の手紙が実家にある事も、私が彼に親しみを感じる理由の
一つかもしれない。一文字一文字が異様に大きく、力強い筆跡が
印象的な手紙だった。もちろん大勲位と市井の一般人である父の人生、
業績を比べるべくも無いが。

中曽根という政治家には、多大な功績とは裏腹に失政ともいえる施策への
批判も数々挙げられる。「政界の風見鶏」とも呼ばれるネガティブな
面もある。
が、彼からは最前線という修羅場を潜り抜けてきた「凄み」のような
オーラを感じる事は確かだ。そしてそれが現代の多くの政治家連中に
欠けている物であることも、また確かなことだと思う。

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写真は上から私の持っている「冬の旅」のCD。
バリトンはフィッシャー・ディスカウ。

中2枚は中曽根大勲位の現在と昔。

下はフィッシャー・ディスカウ。いずれも各メディアから。

・・・「冬の旅」は私は最近殆ど毎日聴いている。が、率直に言って、
この曲のどこが魅力で大傑作と評価されているか、私にはてんで
わからないのである。
メロディラインやドイツ語の歌詞は確かに美しいが、意味がさっぱり
わからないし、訳文を見ても「よそ者としてやってきて、よそ者のまま
去ってゆく」とかいう歌詞で始まるし、何だか自分の事を歌われている
ような気がして腹が立つ。

また、「冬の旅」を赤道直下のクソ暑いボルネオ島で聴くというのも、
なかなか感情移入しがたいところではある。
どうもこの曲に対する姿勢ひとつとっても、私は大勲位の足元にも
及ばないようだ。
by Mikio_Motegi | 2010-01-17 17:30 | ブレイク