ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

妻をめとらば曽野綾子

作家の三浦朱門は、色紙を頼まれると「妻をめとらば曽野綾子」と
書いたというエピソードを、確か遠藤周作のエッセイで読んだ事がある。
ユーモア半分、おのろけ半分だろうが、後に文化庁長官を務めた程の
三浦朱門にここまで言わせる才色兼備の女流作家が、妻である
曽野綾子だ。

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2008年の刊行で、先月文庫化された「言い残された言葉(光文社文庫)」
を読み終えたが、面白かった。
彼女はあの笹川良一が創立した(財)日本船舶振興会(通称日本財団)
の会長を2005年まで10年間勤めたほどだから、言動は保守系右寄りの
色が濃い、とイメージされがちだ。
が、ここに書いてあるのは実は当たり前の、だが最近忘れられてしまった
日本人の行動様式の源流があると思う。

いくつか抜粋してみる:

「『人間は平等』というのは『人間は平等を目指す』のであり、
『人間は平等になれる』という保証ではない」(自分の傷を舐める)

「人生の不幸は後に必ず精神的財産になる。大災害、大事故の現場に
いながら奇跡的に無傷だった人は、PTSD(精神的後遺症)になんて
ならずにもっと素直にその幸運を喜んでいい」
(同)

「ホームレスを庇(かば)うという事は、法を守る事は必要ないと教えている
のと同じ」(満開の桜の下で)

「どのような田舎の小さな催しでも、すぐに国歌が歌われるのは世界の慣習。
国歌に敬意を表する事は、対立が絶えない世界における最低の儀礼である。
なのに日本人は・・・」
(フィニケの海)

「流行語は誰でもがお手軽に使っているので、手あかにまみれたインパクトの
弱い表現になっている」(二人のドミンゴ)

「黒髪を金髪に染める日本人は、白人崇拝と同時に黒人蔑視を表している
自分を失っている個性の無い集団で、欧米では全く尊敬されない」
(モンテ・ナポレオーネ通り)

「日本は『対人地雷全面禁止条約』に署名すべきではなかった。
持っているふりをして使わなければいい。地雷というものがこの世に
ある限り、それを使わせない為の策を講じるのが大人の判断のはず」
(幼児化に抗する)

「レイプの結果以外の妊娠はすべて当人に責任がある」
(残り1パーセントの真実)


・・・右寄りでも過激でもない、実に当たり前の言葉ばかりでしょう?

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彼女を聖心女子大学卒業の「お嬢さん作家」のように誤解している人も
いるが、実は苛烈な幼少期をすごしている。
1945年3月10日の東京大空襲で被災し心神喪失状態になり、父親に
よる家庭内暴力を受け、さらに母親の自殺の道づれになりそうになった
経験を潜り抜けている。

私は三浦朱門、曽野綾子夫妻とシンガポールで何度かお会いした事
がある。2000年頃の話だが、ご夫妻はシンガポールの植物園辺りに
居を構えており、毎年数カ月をそこで過ごしていた。

日本財団の若い職員がアフリカのどこかから帰任する途中、彼らの労を
ねぎらう為に夫妻が毎年私の勤めるインターコンチネンタルホテル
に宿泊をアレンジしていたのだ。
職員たちの滞在中、ホテルを訪れた夫妻と何度かロビーでお話をさせて
頂いたが、ミセス・タンという、シンガポールの大富豪に嫁がれた
見事な銀髪の日本人女性と連れだって来られていた。

その際にミセス・タンが「私の学生時代の夢はホテルに勤めること
だったのよ」とおっしゃったので、「では明日からフロントでアルバイト
されますか?」と私が返し、会話が盛り上がったものだ。

実は私はその時も曽野綾子の著作をいくつか所蔵しており、その一冊に
直筆のサインをしてもらおうかと思ったのだが、日本を離れたシンガポール
には夫である三浦朱門の著作は手に入らず、奥様にだけサインを頂くのも
気が引けるので遠慮しておいた。

あの時三浦氏には例の「妻をめとらば・・・」を色紙に書いて頂けば
よかった、と後になって悔んだものだが。

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ちなみに私は「右寄り」という表現をどうかと思う。左翼・社会主義系の
「左寄り」と対をなす右翼・保守系の立場を取る人を表す言葉と捉えられ
がちだが、左から見れば真ん中も右に見える、のだから。
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by Mikio_Motegi | 2010-12-18 20:49 | ブレイク