村山たか女ゆかりの金福寺
2011年 05月 22日
観光スポット詩仙堂に向かう途中にひっそりと佇む禅寺だ。
平安時代に創建されたこの寺は、松尾芭蕉や与謝蕪村ゆかりの地とされて
いるが、同時に日本史上に現れる初めての体制側の女スパイとして、
幕末の時代を駆け抜けた「村山たか女(じょ)」が晩年を過ごした寺でも
ある。
たか女は徳川政権末期の大老、井伊直弼(いい・なおすけ)の懐刀である
長野主膳(ながの・しゅぜん)の愛妾で、同時に井伊とも情を通じていた。
開国派の旗頭で「日米修好通商条約」を強引に締結した直弼は、これに
反対する勢力を強権で弾圧する「安政の大獄」を主導。
たか女はその際直弼や主膳の手先となり、京都にて反対派の動向を探り
幕府に報告、安政の大獄に加担した。
やがてこれに反駁した水戸浪士達により直弼が惨殺され(桜田門外の変)、
その結果情勢が変わり、たか女は主膳と共に幕府により捕獲される。
主膳は斬首されたが、たか女は京都三条河原にて3日間のさらし者の刑の
末、一命をとりとめる。
そしてたか女は金福寺にて67才の生涯を閉じるまで、ひっそりと暮らす
のである。
舟橋聖一の代表作「花の生涯(祥伝社文庫上下巻)」では、絢爛たる生涯を
貫く直弼を軸に、華やかに、艶めかしくたか女が活躍する様を生き生きと
描写している。
直弼という大きく純粋なキラ星を慕い、主膳とたか女は文字通り身命を賭して
サポートする。そして無残な結果になっても、悔いはなかった筈だ。
なぜなら彼らは全身全霊で時代を生き抜いたのだから。
私のような人間がなぜ金福寺というマイナーな寺をを知っているかと
いうと、話は35年前の高校の修学旅行に遡る。
群馬県の公立男子高校生だった私は、京都見物の際に学校で定められた
観光コース「曼珠院(まんしゅいん)と詩仙堂」を訪問する筈だったが、
先に訪れた曼珠院の人混みに嫌気がさした。
次の詩仙堂はもっと混んでいそうだったのでそれを避け、すぐ脇にあった
小さな寺に飛び込んだ。そこが金福寺だった。
たまたま大昔のNHK大河ドラマの題材だった「花の生涯」について、
私の母が村山たか女を演じた「淡島千景」という女優の美しさを語っていた
のを思いだし、この寺の来歴に興味を持ったのである。
直弼は開国をせまる諸外国の圧力に対し、思い切った開国論を掲げ逆に
米英を驚愕させる。国体の護持の為には開国し、広く諸外国と交易を進める
しかない、と信じての決断だった。この直弼の決断により、200年間以上
続いた日本の鎖国政策は終焉を遂げる。
「人間はおのれの意思どおりに歩いているつもりでも、いつのまにか、
時代の潮に行く手を決められてしまう」
「満つれば欠くる、は世の習い」
作中、直弼のつぶやく言葉だが、たか女はどのような思いで聞いたの
だろうか?
美貌と頭脳、行動力を併せ持ち、「妖婦」と蔑まれながらも、たか女は
直弼と主膳という二人の男の為に奔走する。
金福寺は、幕末という激動の時代を駆け抜ける半生を送ったたか女が、
心静かに終焉を迎えるに相応しい地だったのだろう。
今でも相変わらず観光客もまばらな、しかし禅寺らしい侘びた雰囲気の
上品な寺である。