ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

ロッキー青木の遺したもの

さる7月10日、Benihana(ベニハナ)トーキョー創業者のロッキー青木
こと青木広彰氏が亡くなった。
若い世代では青木氏はモデルのデヴォン青木の父親としても知られて
いる。

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彼は「アメリカンドリーム」を実現した誰憚ることの無い成功者であるが、
彼の生まれ故郷である日本では案外誤解されているような気がする。
確かに派手な女性関係、数度にわたる結婚・離婚、カジノやホテル事業
に乗り出し大失敗、脱税、熱気球で世界横断を敢行等、日本人の尺度
からすれば奇人・変人の部類に入るだろう。

だがベニハナの著しい成功はアメリカではつとに有名で、彼は経営者
として尊敬の対象になっていて、そのユニークな経営手法はハーバート・
ビジネススクールで取り上げられてもいる。

忘れてはいけないのは、彼が始めてアメリカでベニハナをオープン
したのは1964年。今のような日本食ブームは全く無かったことだ。
いや、言い換えれば彼こそが今の日本食ブームの火付け役なのである。

ご存知のようにベニハナのみならず、外国の鉄板焼きでは料理人が背中
から手を回して調味料をかけたり、侍(さむらい)が刀を扱うようにナイフや
包丁を使ったり、料理人同士で食材を放ったり、日本人の識者が眉を
ひそめるあのパフォーマンスを定着させたのは青木氏だ。
またインテリアに日本的なエキゾチズムを演出し、メニューも和洋混合の、
今で言う「フュージョン」を取り入れたのも彼だ。

実は私は彼と一度だけ会ったことがある。
私がジャカルタのシャングリ・ラに勤務していた1996年、彼がふらりと
「なだ万」に訪れたのだ。
日本のある大手総合商社が青木氏を招待したもので、経済成長が
著しいジャカルタに興味を持ってやってきたようだった。

オープンしたての「なだ万」の鉄板焼きコーナーに若手のインドネシア人
シェフがいて、彼が以前の職場で憶えた「ベニハナ流」のパフォーマンス
をするので私が強く叱責して止めさせたばかりの時だった。
あんなパフォーマンスはこけおどしで、なだ万に来るお客様が求めている
ものではない、とこんこんと説教をしたのだ。

そんなことがあった直後の青木氏の来店だったが、その頃は私も若く、
「なだ万流」の鉄板焼きを召し上がって頂くことを氏にお奨めした。
その時は残念ながら氏は鉄板焼きではなく鮨のコーナーに行ったのだが。
ほんの挨拶程度だったが、強烈なオーラを持っている人だった。

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青木氏の体現し遺したアメリカンドリームは、単なるビジネスでの成功
ではなく、生魚を食す当時は「ゲテモノ」扱いだった和食という日本文化を、
広大なアメリカに広め定着させたものだった。
その証拠にニューヨークへ行けばNobuやMeguに代表される超高級
和食レストランから、一膳飯屋、うどん屋まで夥しい数の日本食レストランが
盛っている。そして誰も、日本的なインテリアや和洋衷メニューを賞賛する。

今、あれだけのスケールの大きなビジネスマンは日本にいるのだろうか?
付け加えれば、デヴォン青木という日米で活躍するモデルも、両国文化の
橋渡しに一役買っている。

ところで私も最近は趣向が変わり、鉄板焼きを食するときは例の
「ベニハナ流」パフォーマンスをシェフに依頼することがある。
なんといっても鉄板焼きの良い所は、接待に向いている点である。
つまり食事中に話題に詰っても、カウンターで横並びに座っているので
気まずさが少ない。
またそこでシェフが絶妙のパフォーマンスでもしてくれたら、最高に
盛り上がるのである。

面白いことにどんな格式の高いホテルのシェフでも、そこが貸切個室
で他のお客やスタッフの目に触れさえしなければ、大抵は喜んで
パフォーマンスを披露してくれるものだ。
それにシェフ達も結構楽しそうにしている。

案外彼らも隠れてパフォーマンスを練習しているんだな、と私は一人で
微笑んでしまう。
だが、一方であの「なだ万」のインドネシア人シェフにこんこんと
「正統な鉄板焼きの接遇とは」を垂れた自分は一体何処へ行って
しまったのかと、後ろめたさも感じているのである。

写真上はデヴォン青木。下が故ロッキー青木氏。
どちらもニュース写真より。
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by Mikio_Motegi | 2008-07-19 22:59 | 人材・ホテル