ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

カテゴリ:東南アジア( 19 )

APECの思い出

横浜で開催中のAPEC"Asia Pacific Economic Cooperation"も
首脳会議がはじまり、会場であるパシフィコ横浜に隣接する
ヨコハマのインターコンチネンタルホテルのオペレーションもいよいよ
佳境に入った。

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私がAPECというとまず思い出すのが、1996年の3月に初めての
海外勤務地としてに赴いたジャカルタのシャングリ・ラ・ホテルでの
着任早々の出来事だ。
総支配人である故ジョン・セグレッティは私を自室に呼び出し開口一番、
「ミキオ、キミのミッションはジャカルタの日本大使館との関係改善だ」
と私に告げたのである。

事前の数度にわたる面接では、私のミッションはジャカルタの日本人
マーケットの開拓、取り込みと言われており、私もそのつもりで
準備していた。
それが「関係改善」とは?

傍らに控えていた営業部長の説明により、1年半前のジャカルタ近郊・
ボゴールで開催されたAPECで、シャングリ・ラは日本の代表団の予約を
締め出した、Kick Outしてしまったという衝撃の事実を告げられた。

もちろん理由もなく締め出したのではなく、ホテルにも言い分はあるの
だが、コミュニケーションの「不幸な」欠如があったのは事実。 
しかし日本大使館の怒りは凄まじく、「シャングリ・ラ出入り差し止め、
日本企業の利用自粛要請」という最悪の事態を招いてしまったのである。

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これは文書で正式に通達されたわけではない。
おそらく一握りの大使館員がパーティーなどの折に漏らした言葉を聞いた
人が、口コミで日本人社会に流布したものだった。

私は困惑した。アジア通貨危機前の当時のジャカルタは世界中から投資が
集まり、経済は大変な隆盛を迎え「バブル」の様相を呈していた。
だから手薄な日本マーケットを取り込む為に私のようなセールスマンが
採用されたのだが、これでは話が違う。
そもそも日本人のホテル利用が禁止されていたのでは私の売り上げ目標は
達成できず、やがて「お払い箱」になってしまう・・・。

しかし私は開き直り、楽観視することにした。
当時の自社さ連立政権下の出来事であり、またいくら大使館員が怒って
いても、人事異動で2-3年もすれば事情を直接知る人はいなくなる。

元々日本人マーケットに浸透していたという土台があったのと、
決定的なのは、シャングリ・ラには日本料理の老舗「なだ万」がオープン
予定で、ジャカルタの日本人社会から大いに期待されている事は
わかっていた。
私が早速翌日からコミュニケーションの欠如を克服すべく、日本大使館や
日系企業に日参しはじめたのは言うまでもない。

幸いある人を介し一等書記官と会う事ができ、彼が新参者の私に対し
寛容な態度を取ってくれたのはありがたかった。

そして多少の紆余曲折はあったが、期末までにGeographic Chartで
日本人の宿泊者数をアメリカに次いで2位になるまで急伸させる事が
できた時は嬉しかった。

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インターコンチ以外にも横浜周辺のホテルで、今のこの時点で私の
ブログなど読んでいる時間のあるスタッフは少ないだろう。
現場を離れた者だけが語れる昔話・与太話である。

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写真は上からAPEC横浜のHPより。
1994年ボゴールでのAPEC。
ジャカルタ市内。真中の尖塔のあるビルの直ぐ右手がシャングリ・ラ
ジャカルタ。
APEC参加国。
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by Mikio_Motegi | 2010-11-13 21:03 | 東南アジア

ジャカルタの犬事情

我が家で犬を飼い始めて思い出したのが、ジャカルタで経験した
犬に関する諸事情である。

その1)

ジャカルタで私と家内は、「シンプルック」という高級住宅地の
コンドミニアムの一室を勤務先のシャングリ・ラホテルから提供されて
いた。

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ジャカルタに来て最初の週末、ジョギングが趣味の私は、濃いガジュマルの
並木が続き、車も人通りも少ない住宅地周辺を早速走ったが、途中で
散歩中の欧米人夫妻に呼び止められた。

「ハーイ、いい天気だね。ジョギングが趣味なの?」
「はい、日本から来たばかりなので、今日初めて走るのです。ここらは
静かで走りやすいですね」
「うーん、でも気をつけた方がいいよ。ここらにいる野犬はmad dog
だからね。じゃ元気で、バーイ」
「・・・mad dog?「狂犬病」??」

日本では狂犬病なんて、マンガや映画の世界の話だと思っていた。
が、調べてみると、発展途上国では結構の数の人が命を落としている
とのこと。
以来ジャカルタにいた1年半の間、趣味のジョギングは完全に封印された
のである。

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その2)

ある日いつものようにホテルの車で帰宅途中、後部シートに座っていた私は
家の近くの路上で「グニャッ」という衝撃を感じた。
スピード防止のバンプを越えたのとは違う、何か柔らかいものを踏んだような
妙な感触なので訝っていると、運転手が何やら嬉しそうにして車外に出る。

「トアン(旦那)、犬を轢きました。多分野良犬です」
「あっそ、じゃほっといたら?」
「トアン、持って帰りますか?」
「・・・轢いた犬を?なんで?」
「私が頂いていいですか?」
どうも話がかみ合わない。

「いいけど、どうするの?」
「オラン・チナ(中国人)が犬肉を食べるので、高く買ってくれるんです。
この犬、私が頂いてもいいですか?トアン、犬肉食べますか?」
「・・・いらない。持って帰っていいよ」

運転手は嬉々としてぼろきれに犬の死体を包み、トランクに放り込むと、
何事もなかったかのように私を送り届け、そしてそそくさとどこかへ車を
走らせジャカルタの闇に消えた。

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その3)

親しくなった某日系企業の重役が、一時帰国した際に日本で飼っていた
御自慢のゴールデン・レトリーバー2頭を赴任先のジャカルタに
連れてきた。
2頭は親子で、血統書つきの大変立派なものだ。

ある日彼から連絡があり、日本から持参したドッグ・フードが底をついたので、
今度の週末にデパートに買いに行くから付き合って、という。
そこで日曜日に、地元の金持ちと外国人専用の「プラザ・セナヤン」という
デパートに行き、レトリーバー用のドッグ・フードを探しにいった。

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ペット・ショップでお目当ての輸入ドッグ・フードは直ぐに見つかったが、
貼られている値札を見て、その人は考え込んでしまった。
「うーん、茂木クン、これはちょっとこのまま持って帰れないよ」
「どうしました?」
「ご覧よ、このドッグ・フードの値段。我が家で雇っている犬の世話係
の月給の2倍だよ」
「・・・ほんとだ。つまり、ドッグ・フード1袋分の金額で地元の人間が
2人雇えるという事ですね」
「そういう事になるねえ。少なくともこの値札は彼らには見せられないなあ」

その頃の円対ルピアのレートは忘れたが、現在は1円が100ルピア。
通貨価値が100倍違うという事実が、私たち外国人の置かれた立場、というか
発展途上国の凄まじいインフレ事情を改めて認識させられたものだ。

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・・・日本の犬って、幸せだな。

写真は全てイメージ。3枚目は「大連雑学事典」に掲載されている
中国・大連の狗肉(犬肉)料理店。
イスラムの国インドネシアでは、当時は屋外看板にイスラム語以外の
サインボードを掲げる事を禁止している。
最近はこの規制も緩和されたようだが。
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by Mikio_Motegi | 2010-09-19 21:13 | 東南アジア

国を守る気概と義務

シンガポールは徴兵制を布いている国である 。
男性はだいたい17歳の頃に2年間の兵役を課せられ、社会人になってからも
予備役として、階級にもよるが40才まで毎年召集される。
"National Service"と称されているその制度は、警察、消防、防諜、警備
などの任務も含まれる。

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私がシンガポールのインター・コンチネンタルホテルに勤務していた約5年間
でも、同僚や部下の男性スタッフ達が毎年課せられる兵役の為、2週間ほど
勤務を空ける事が日常茶飯事だった。

もちろん業務上の引き継ぎは完ぺきにやっておくが、それについて文句を
言ったり批判する者など皆無だ。
なぜなら自国を守るための防衛機能の充実は、資源を持たず四辺を大国に
囲まれる小国シンガポールの生命線だから。

そして国民の尊い義務であり、国の独立の根幹を成す制度だと、誰もが
納得している。もちろん政府を公に批判できない国柄もあるが。

ホテルのカンファレンス・サービス担当のアルフォンソは、アメリカ軍の
「ネイビー・シールズ」に相当する「コマンド」部隊の予備役だ。
彼の体力や知力、ストレス耐性の強さはコマンドでの訓練で培われたもので、
他のスタッフたちから常に一目を置かれる存在だった。

一方では予約マネージャーのシジマールのように、警察に配備され
私の家の近所の横断歩道で交通整理をしているところを目撃されたりする
者もいる。

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最近の米海兵隊普天間基地の辺野古移転に関わる諸報道を見ていると、
日本の防衛についての根幹に関わる議論があまり出てこないのは
何故だろう、と疑問に思う。

それは、戦後60年が経過したのに、日本は自国の防衛をいつまで第3国
(アメリカ)に委ねておくのだろう、という疑問だ。

もちろんこの首相の不作為や資質もあるが、鳩山バッシングばかり熱心で、
これを機にじっくりと日本の防衛について議論を交えるという雰囲気が
日本に湧きあがらないのは、不思議でしょうがない。

むしろメディアが国民が疑問を呈さない、この問題に関心を示さないように
誘導するため、耳目を集める鳩山バッシングを続けているのでは?
と思ってしまう。
ではそんなメディアに対し、誰が何故支持し続けるのか?
アメリカ軍が日本でのプレゼンスを保つ事で利益を得るのは誰か?

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例えばホテル業界で、外資系のオペレーターに運営を委託する
「マネージメント・コントラクト」契約を結ぶ場合、そのホテルの建物の
維持管理費やスタッフの給料は契約を委託する方が負担する。

日本が駐留米軍に防衛を委託しているという事は、ホテル業界と
ほぼ同じ事が起きていると思っていい。

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ところで最近の各種統計に見られる日本の国際競争力低下の原因の
一つが、国の根幹を成す防衛を第3国に委託する事と関係している、
と言えないだろうか?

つまり「何かあってもアメリカが助けてくれる」という甘えに起因した、
親方アメリカ体質が蔓延したのも、国民の活力が失われている理由の
ひとつでは?という考えだ。
自分の国は自分たちで守るという気概の無さが、その他の競争力をも
低下させる原因になっていやしないだろうか。

もちろん60年間も防衛をアメリカに委託してきた事で享受したアドバンテージ
は大きい。端的に言えば我々は、本来費やすべき膨大な防衛予算の多くを、
経済開発に振り向けることができたのだから。

この問題について、私と違う様々な考えやバックグラウンドのある人が
それこそごまんといういる事は、私も当然認める。
また直ぐに米軍は撤退し、日本はシンガポールや韓国のように徴兵制を
布いて防衛力を増強せよ等と訴えるつもりは毛頭ない。
せめて自国の防衛について議論する場がもっとあって良い筈、と思っている
だけだ。
この国の抱える大問題を、将来の世代に背負わせる負担を少しでも
軽減させるために。

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私の実家は太平洋戦争時に経営していた工場を軍に拠出するなど、
積極的に軍備に関与した、今で言うライト・ウィング的家系だ。
いや、当時はそれが当然だった。

亡父は私たち兄弟に「お前達が大人になるまでに必ずもう一度
徴兵制が復活する。日本も戦争に巻き込まれる可能性もある。だから
その時に備えて頭と身体を鍛えておけ」と常々言っていた。

幸い今のところ亡父の予想は外れている。日本は戦後一度も
国際紛争の当事者にならず、平和と経済的繁栄を謳歌してきたのだ。

私は二人の娘たちに、かつて亡父が私たち兄弟に説いた事と同じ話を
折に触れしている。彼女たちがどこまで理解しているかは覚束ないが。


写真は上2枚がシンガポール軍。www.benravilious.com
及び http://theonlinecitizen.com より。
3枚目、ヒルトン東京。「マネージメント・コントラクト」契約ホテルの
日本の草分け的存在だ。
4枚目が普天間に離着陸するヘリコプター。
「頭を雲の_hiryuの写真日刊紙」楽天ブログより。
5枚目が普天間基地。周りに住宅街が迫る危険な立地だ。
宜野湾市のHPより。
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by Mikio_Motegi | 2010-05-30 08:43 | 東南アジア
先のフルマラソンを走った5日後、突然ぎっくり腰になった。
足を痛めながらもムリして走ったのが原因だろう。
2週間が経ち、幸い今は殆ど快癒したが。

私のぎっくり腰経験は、19才の時にサッカーの練習中に突然
襲われて以来、今回で5回目である。
もちろん様々な治療法を試したが、シンガポール在住時に経験した
治療法はたいそうユニークなものだった。

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元々東洋医学に興味があった私が受けたのは「吸い玉」による治療。
病院というか診療所は「カラン」という古い中国人街の一角。
そこでの治療法は患部にガラス玉をあて、バキュームで真空状態に
してうっ血させ、悪い血を吸い上げるというもの。「瀉血(しゃけつ)」
とも呼ぶらしい。

うっ血部分がどす黒ければ黒いほど、そこには悪い血が溜まっていた
証しだという。
これは日本の美容療法にもある「カップリング」というやつだが、
私の経験したのは吸い玉を使う前に鍼(はり)を刺す療法だ。

鍼といってもよく見かける長細い鍼ではなく、「剣山(けんざん)」の
ような大きな針の固まりのようなもの。
それを痛む患部の表面に「えいや!」とばかりザクッ、ザクッと突き立てる。
当然血が吹きだすが、医者によるとその血が患部に滞っていて悪い作用を
起こす。よってその血を吸い玉で抜くのだ、とのこと。

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・・・身の毛もよだつような治療だが、実はこれはその前段階の治療に
比べれば楽なものだ。
この治療の前に、患者は下着のみになって医者による猛烈な
マッサージを受ける。患部を情け容赦なくゴリゴリと揉みあげるのだ。
これが物凄く痛い。
お次は患者を背中合わせに立たせ、担ぎ上げて「逆エビ反り」にして、
凝り固まり縮んだ腰を無理やり伸ばす。

・・・もうこうなると激痛以外の何物でもない。診察室は逆エビ反りになった
患者のあげるうめき・叫び声で阿鼻叫喚の状態。
だからその後の剣山刺しと吸い玉治療が、天国のような安らかなものに
感じるのだ。

ちなみにこの診療所は若い男の医師?と、その母親が治療に当たる。
患者は下着だけなるので、女性の患者にはこの母親が施術する。
ここは常に超満員で、治療を待つ患者の列が診療所の外の道路にまで
伸びている程だ。
よって夫婦やカップルで来た患者は、同室で二人同時に治療を受ける
のである。

この若い医者が雲をつくような大男なのだが、母親も多分当時で50代
半ばだったろうが、筋骨逞しい身長180センチ以上はある女性だった。
彼女も女性患者を背中に合わせにし、ひょいと軽々と担ぎ上げてしまう。

私は最初の治療時、友人である某財閥系都市銀行のシンガポール支店
に勤務する駐在員の奥さんに連れて行ってもらい、一緒に治療を
受けたのだが、その彼女も初めての治療経験だった。

私たちは迂闊な事にこんな治療法だなんて知らなかったので、病室に
同席してしまい、お互いが下着のみというあられもない姿で中国人母子
の猛烈な治療を受けるという事態になってしまった。

その奥さんも身長が167センチある、日本人にしては長身の女性だった。
しかし女医者がその彼女をいとも簡単に軽々と担ぐので、私が
"Fantastic!"、"You are the super!"とか褒めそやかすと、
調子に乗って益々高々と担ぎ上げ、さながら
カナディアン・バックブリーカーのような豪快な技を披露してくれたので
ある。

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・・・ここまで書き進んでこんなことを言うのも何だが、実はこの治療法、
私にはさっぱり効かなかった。

もっとも効果は人それぞれで、その奥さんの腰痛には劇的に効いた
らしい。
診察時は物凄い声で叫びまくっていたのだが、その後彼女は
バックブリーカーに快感を得たのか、この治療法に病み付き?になって
しまった。
それだけではない。同じく腰痛の悩みを抱える日本人女性を見つけては、
嬉々としてこの治療院に同道し、駐在員奥様の間で
「バックブリーカー友の会」を結成し、会員を増やす事業に熱中していた。
・・・女の嗜好は謎である。

バックブリーカーはともかく、吸い玉治療はネットで調べると日本でも
やっているようだ。

興味のある人は試してください。「吸い玉、剣山」でGoogle検索
すると、ヒットします。しかし効果と安全は私はわかりません。
またバックブリーカー治療を施してくれるかどうかは、直接医院に
お問い合わせください。

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私のぎっくり腰に最も効果があったのが「気功」だが、これはまた後の機会に。

写真は全てイメージ。
1番目は lilia109.exblog.jp。
2番目は 京都むろまち鍼灸院。
3番目は 「腕ひしぎ逆ブログ」。
4番目は 東京渋谷高橋医院。
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by Mikio_Motegi | 2009-12-13 12:05 | 東南アジア

楽園のこちら側

東南アジアに住む知人が「デング熱(Dengue Fever)」に罹患した。
デング熱とは、主に熱帯シマカ(蚊の一種)を媒介とする伝染病で、熱帯地区
を中心に常に流行している。

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症状として高熱が3-5日間続き、頭痛・筋肉痛・関節痛等の痛みが全身に
現れるのが特徴だ。
ワクチンは無い。ひたすら安静にし、熱が引くのを待つのみである。
ただし後遺症が残るような重病ではないし、致死率も1%以下である。
もし海外で感染・罹患した場合、なかなか帰国できないのでやっかいだ。
伝染病に認定されており、つまり病原菌が蚊→ヒト→蚊→ヒトと感染するので、
完治しないと帰国が認められないのだ。

実は私もインドネシア・ジャカルタ滞在中の1997年に高熱が下がらない症状
が続き、やはり当時大流行していたデング熱の疑いがもたれたことがある。

検査を受けたのはジャカルタでも超一流といわれるポンドック・インダー病院
だが、その検査方法が面白かった、というか原始的だった。
静脈注射をする際のようにゴムチューブを上腕に巻いて血流を止め、次に
固い消しゴムのようなもので上膊部の皮膚を強くこする。
青黒い斑点が現れたら陽性。幸い私は皮膚が赤くなるだけだったので陰性
と判明したが。

以上のような理由で、「たかが蚊」と馬鹿に出来ないのが熱帯に住む事の
リスクのひとつだ。
蚊を見つけると大の大人が血眼になって捕まえようとするのは日常良くある
こと。
ジャカルタのシャングリ・ラをご贔屓にして下さった当時の渡辺泰造
駐インドネシア大使が、「なだ万」の個室で会食中に紛れ込んできた蚊を
数匹見つけるや、日本から来た客人をそっちのけでパチン、パチンと手を
叩いてこの小さな虫を捕まえようとしている様を思い出す。

「なだ万」のVIP個室でのこの騒ぎに駆けつけた私も参戦し、悪戦苦闘して
ようやく仕留めたのだが、その様を眺めていた事情を知らない日本人客が
呆気にとられていた。が、かように蚊を退治してあげることがこの国に
外国人を迎える際の最高のホスピタリティである事は、文字通り渡辺大使
自らが示してくれたのである。

ちなみに蚊は自力で空中高く飛べないので、コンドミニアムの上層階に
住むのがこのリスクを避ける方法の一つだ。幼い子を抱えた我が家が
その後のシンガポールやペナンで常に15階以上の部屋に住んでいた
理由はそこにある。

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蚊だけでなく、あの地域では海岸に生息する「砂バエ(Sand Fly)」も
厄介な存在だ。
砂バエは日本のブヨをもっと強力にした奴で、これに噛まれるとその部位が
情けないほど腫上がってしまう。

私もインドネシア・ビンタン島のゴルフ場でにこれに右のふくらはぎを
噛まれ、翌日に膝から下がみるみる丸太の様に膨れ上がってしまった
経験がある。
これも慌てて日系の病院に駆け込んだのだが、医師によると完全に腫れて
膿んで、その後切開するしか治療法が無いという。
革靴が履けないので仕方なくサンダル履きで数日を過ごし、腫れきった
ところで病院で切開してもらったのだが、どす黒くなったおびただしい血が
切開部から湧き出てきて驚いたものだ。

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他に熱帯では誰でも罹る可能性の高いのが「アメーバ赤痢」。
地元の食材や水等の経口感染で、ひどい下痢の症状が1週間は続く。
私もジャカルタ着任直後にこれにやられ、地元の仲間達からは
"Welcome to Jakarta, Mikio"と歓迎?されたものだ。

私達家族は被害に遭わなかったが、A型肝炎も食べ物を媒介とする経口感染
なので要注意。

今回のタイトルの「楽園のこちら側」とはアメリカの作家スコット・フィジェラルド
のデビュー作をも借用したもの。もちろん作品と熱帯性の病気とは関係ない。

このブログで私は東南アジアでの生活をまるで天国であるかのように描写する
事がしばしばあるのだが、かようなリスクと背中合わせであることをどうぞ
くれぐれもお忘れ無きように。

写真は上が熱帯シマ蚊。
中は赤色がデング熱の罹患危険区域。
下が砂バエ。
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by Mikio_Motegi | 2009-03-01 17:43 | 東南アジア

沸騰都市シンガポール

日曜夜のNHKスペシャル「沸騰都市」で、昨夜はシンガポールが取り上げ
られていた。

未曾有の経済・金融危機はシンガポールをも襲っているが、そんな状況
でも彼らの「バイオ」、「海外不動産」そしてそれらに関連する「人材」への
投資意欲は失われていない。

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EDB(経済開発庁)出身のフィリップ・ヨー総理大臣特別顧問が陣頭指揮を
取り、世界中のバイオ・テクノロジーの最優秀な人材をヘッドハンティング
している。
人材へのインセンティブは破格奈高給、抜群の生活環境、そして上限のない
研究開発費用に象徴される国家ぐるみのバックアップだ。

集中的な投資と明確な目標設定。300億円を掛けて計画から僅か3年で
「バイオポリス」という一大研究拠点を建設。
バイオ関連産業の工業生産高に占める割合は、5年前の3倍に近い
9%に至った。

勿論日本人も彼らのターゲットだ。日本の国公立系研究機関は60才で
定年を迎えると退官し、必然的に予算の乏しい民間に移り細々と研究を
続ける例が多い。
シンガポールはそんな彼らに破格のインセンティブを提示して、取り込もう
とするのだ。

「60才定年制?信じられない。ナンセンスだよ」
ヨー特別顧問はNHKのインタビューにそう答えた。
研究者としてはまだまだ旬の人材を活用するシンガポールと、ただ
手をこまねいている日本。
ちなみにバイオポリスの海外人材招聘担当者の一人は、70才になる
伊藤嘉明元京大教授。京大定年退官時に、研究室ごとバイオポリス
に引き抜かれた事で話題になった人物である。

彼らの次のターゲットは京都大学の山中伸哉教授。
万能細胞であるiPS細胞を人工的に開発した、米タイム誌が選ぶ
「世界に影響を与える100人」に選ばれた再生医療の第一人者だ。

以前のこのブログでも取り上げたが、「冒険投資家」ジム・ロジャーズ」が
近年家族と共にシンガポールに移住した。
ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスらと共に「世界最強の投資家」と
異名をとる彼は、シンガポールを拠点に中国の商品市場にターゲットを
絞り、新たな投資戦略を練っている。

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「世界恐慌に見舞われた1930年代のアメリカにも、財を築いた人は
沢山いる。ピンチの今こそチャンスだ」
彼は地元経済団体が主催した投資セミナーでこう語り、投資家達を
煽る。
このビリオネアをして67才という年齢で移住させたシンガポールの魅力は
どこにあるのだろうか?

ところでお年寄りの話題の後で大変恐縮だが、先週私は「日本・
シンガポール協会」主催の「関西シンガポール同窓会」に出席してきた。
出席した多くの方達が日本の企業戦士としてシンガポールに駐在経験
をし、退職後の今もボランティア等でシンガポールに関っている。

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彼らも皆かくしゃくとしていて、元気だ。
最高齢80才の方からは、彼のシンガポールでのネットワークと私の
ビジネスとのコラボレーションの具体的な提案まで頂いた。

どうも「シンガポール」に関ると、人は元気になるのかもしれない。
建国60年足らずのこの国から、紀元2700年近いわが国が影響を受ける
事柄はまだまだ増えていきそうだ。

写真上はスイスホテル・スタンフォードからのシンガポール夜景。
   中はwww.hackeast.com より。 
   下はKKRホテル大阪で催かれた「関西シンガポール同窓会」記念写真。
   前列左から2人目がチュー・ウィー・ヨン大阪総領事。
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by Mikio_Motegi | 2009-02-16 21:17 | 東南アジア
シンガポールに地元資本出資の The Coffee Connoisseur,
通称"tcc"というコーヒーショップ・チェーンがある。
2004年創業で既に29店舗を出店。拡大路線に突き進み、東南アジア
地域No.1のCS(顧客満足度)と規模を持つチェーンに育てようとしている。

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このチェーンのマーケティング担当VPのAbbey Chan(アビー チャン)
はうら若い香港出身の女性。イギリスの大学を出てシンガポールの超名門
”ラッフルズ・ホテル”のPR担当として活躍していたところをスカウトされ、
tccの初代マーケティングマネージャーになった。

彼女は毎年3月に東京で開催される「ホテル・レストランショー」にブース
を出店する為に来日する。そしてショーが終わると京都にやって来て
京都のカフェ事情を勉強していく。私は運転手兼ガイドとして、毎年
お世話させて頂いている。

京都は何を隠そう独特のカフェ文化が育つ街だ。
街中をほぼ50メートルも歩けば小さな喫茶店がある。それもドトールや
スタバではない、個人営業の昔ながらの喫茶店が。
学生、学者、商店主、引退したお年寄り。お店に入ると必ず常連客がいて、
カウンター越しに主人と世間話に興じてる。
一見さんには何となく入りづらい雰囲気だ。
ネルドリップ、サイフォンのどちらであれ、味は軽いアメリカンタイプでは
なく、しっかりとした味わいのフレンチタイプ。
関西では「フレッシュ」と呼ぶミルクがたっぷりと入っていることもある。

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アビーは京都のそんなカフェについて大変興味を持ち、且つトレンドを
追う為に毎年やってくる。私も彼女の期待に応えるべく、日頃から新しい
カフェの開拓に余念が無い。

今年は嵐山にある「嵐亭(らんてい)」、寺町で日本茶を量り売りする老舗の
「一保堂(いっぽうどう)」の中にある「嘉木(かぼく)」、烏丸鞍馬口の町屋を
改装した「・・・(店名忘れた)」、そして150種類のパフェ・メニューが売り物の
「からふね屋三条河原町本店」に案内する。

Abbeyはどこに行っても熱心に写真を撮り、メニューを写し、最低4種類
はコーヒーとデザートをオーダーし試食する。
そして思ったとおり「からふね屋」の「1万円パフェ」と150種類のパフェ・
メニューに最も興味を示した。
もしかしたらシンガポールのtccでも「150種類のパフェ」がメニューにのる日が
来るかもしれない。

150種類のメニュー構成は決して親切ではない。チョコ系、フルーツ系の
区別も無ければ、イチゴ、バナナ、メロン等で分類もされていない。
写真つきのパフェメニューが150種類、アトランダムに記載されている
のみである。
ここではメニューを眺め検討するのも楽しみのひとつ、と考えているの
だろう。面白い試みではある。

実は4年前、私はアビーに商売で大変助けられたことがある。
当時業務用のリネンや食器の貿易事業をしていた私だが、シロウト同然
のスタートだった為なかなか商売が無く困っていた。
そんなときに知人を介してアビーが、tccの新規店舗で使う日本製の
カトラリー(食器)とインテリア雑貨を私に注文してくれたのだ。
その時に稼いだ資金が、家族4人を抱える我が家の家計にどんなに
助かったことか。

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さてこれだけ食べ尽くしてもスリムな体型を保っているアビーだが、彼女に
付き合う私は大変だ。翌日は普段の倍以上走らないと体重を維持できない
のである。
しかしアビーという聡明でエネルギッシュ、そして魅惑的なビジネス・
ウーマンに時々こうして接することが、私にとってはかけがえの無い
モチベーションを維持する機会であるのだ。体重維持は大変だが。

写真は上が私とアビー。嵐山の嵐亭(らんてい)にて。
中がシンガポールのtcc、これはチャンギ空港店。
下がからふね屋のディスプレイと1万円パフェ。3日前までの予約が必要。
www.plaza.rakuten より。
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by Mikio_Motegi | 2008-06-14 16:16 | 東南アジア

スハルトの死

インドネシアの第2代大統領だったスハルトが亡くなった。享年86才。
いつも笑顔を絶やさず「微笑みの大統領」とインドネシア国民に親しまれ、
30年以上君臨した。
また「Bapak/バパッ(お父さんの意味、転じて『国父』)と呼ばれ、先進
諸国からODA/Official Development Aid(政府開発援助)を積極的に
導入、経済発展と国民の生活水準の向上を実現して、政治の安定を
もたらした。彼の最大の功労はインドネシア経済の発展、国民の生活水準
の向上に力を注いだ事といえる。

その一方で、スハルトは1965年の権力掌握期、初代大統領スカルノ
(あのデビ夫人はスカルノの第3夫人)を長期にわたり幽閉し、彼を支持
する数十万人の共産党員を殺害したとされるなど、反対派を容赦なく
弾圧した恐怖政治の代名詞という強烈な一面があった。

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私がインドネシアのジャカルタにいた1996-1997年は彼の大統領として
の絶頂期でもあり、日本からのODAも突出して多く、将に我が世の春を
謳歌していた時期といえる。

そんな時、スハルトの講演会が私の勤務していたシャングリ・ラ ホテル
であって、ホテルは厳重な警戒に包まれた・・・筈だった。
もちろん表向きはアーマライト・マシンガンを肩に下げた兵士が数十名、
ものものしく彼を警護していたが、これが全くの「ざる」警備。
どんなに「ざる」だったかというと、例えばスハルトがホテル内を歩く導線上に
ゴミ箱は置きっ放し。撤去どころか中のチェックもしない。
爆弾でも仕掛けてあったらひとたまりもなかった筈だ。

又ホテルボールルームでのスハルトの講演会の最中、宴会場裏の
サービスエリアではその兵士達が床に座りこんでお喋りに興じている。
私など怖いもの見たさで兵士達に近寄り、片言のインドネシア語で
冗談を言い合い、なんとアーマライトの銃口に指を突っ込んで遊んだり
したものだ。

当時私の勤務していたセールス&マーケティング部門には、
インドネシア政府要人の子弟がうじゃうじゃいた。
エリというセールスマネージャの父親は副首相だったし、
リザというPRマネージャの亡くなった父親は元の商工大臣、アシスタント
セールスマネージャのニーナの父親は現職のイタリア駐在大使だった
(ちなみにエリとリザは男性、ニーナは女性)。
また唯一の華僑の娘ジュリアナは、スハルトに多額の献金をしている
政商であるアストラグループの一族という風に、インドネシア政界の
保守派、体制派の巣窟のような部署だった。

よって彼らのスハルト「信仰」は非常に篤く、エリなどは自分のデスク
の上に、父親がスハルトと写っている記念写真をインドネシア国旗と
共に大事に掲げていたものだ。

もちろんシャングリ・ラは政府や有力企業から強力にサポートされており、
日本企業の利用も非常に多く宿泊客の日本人比率が20%を超えていた。
これは国別宿泊比率で常にアメリカとトップを争うほどで、
その日本企業をセールスマネージャとして担当する私も、それなりに
処遇されていた。
思えばいい時代だったなあ・・・。

衛生上、治安上の問題は多かったが、実は私も家内も、海外で過ごした
3カ国(インドネシア、シンガポール、マレーシア)のうち、一番楽しく
鮮明に印象に残っているのがジャカルタでの生活だ。
あそこでの日々は将にChaos/カオス(混沌)と言っていいほどだった。
どれだけ混沌としていたかは追々紹介するが、スハルトの死は
文字通り私達のChaotic な生活をエンジョイさせてくれた時代の死、
ともいえるのである。
今の京都での生活も結構Chaotic だけど・・・。

写真はスハルトの肖像を印刷したインドネシアの50,000ルピア札。
日本円で現在約700円。ちなみに最高額紙幣は100,000ルピアである。
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by Mikio_Motegi | 2008-01-28 21:43 | 東南アジア

暑い夏はジャカルタで

心頭を滅却すれば火もまた涼し・・・とはなかなかいかないのが凡人の
悲しいところ。猛暑である。

京都の炎天下を歩く度、何故かジャカルタのグロドック(Glodok)地区
を思い出す。
グロドックはジャカルタ北部の旧市街地あり、30-40年前の秋葉原の
ような雰囲気のある電気街だ。

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なかなかこの街の雰囲気を的確に捉えた映像が見つからないのだが、
要するに街中が乾いていて埃っぽく、私の滞在していた1996-97年
は且つ好景気による喧騒に溢れていた。

私は競合ホテルで既に決定していた大型インセンティブグループを
我がホテルにひっくり返そうと、この街の中心にある日本のシャープの
現地法人「Sharp- Roxy」に通い詰めていた。
私が交渉をする幹部連は皆華僑(中国人)だ。毎日午後から始まる彼ら
とのタフな条件交渉を終えホテルに帰館する頃になると、
ジャカルタ市内の絶望的な帰宅ラッシュに巻き込まれる。
それを避けるためにグロドックの街中をウロウロして時間を潰すのだが、
この街の様相はジャカルタのどこよりも興味深かった。

ここは中国人が多く住むチャイナタウンなのだが、インドネシアでは
屋外にインドネシア語以外の表記(広告、サイン等)を表示することは
禁じられている。だから世界中の何処のチャイナタウンでも普遍的に
観られる漢字のサインがない。
しかし中身はやはり華人の街で、中華料理屋はどぎつい色の電飾看板を
灯し、餃子やシュウマイを食べさせる屋台、怪しげな漢方薬売りが
ひしめく中に、「ヘビ料理」や「カエル料理」の屋台が夕刻になると現れる。
そしてそれらの背後には常に車やオートバイの大渋滞の音。
のんびりよそ見をして歩いていると、背後から強烈なクラクションと運転手の
罵声が飛んでくる。

裏通りに逃げ込むと、揚げ物を売る屋台のココナッツ・オイルと、屋台が
捨てる酸っぱい生ゴミの匂いが混じった風が漂ってきて、嘔吐しそうになる。
高まった動悸を鎮めようと歩道に佇むと、今度は男娼が声をかけてくる。
真っ暗な夜道で、整った顔立ちの、しかし夜に吸い込まれるような漆黒の
肌の男娼に腕をつかまれる。背筋が凍るような瞬間だ。

左様にこの街を歩くと確かに気温は高いのだが、「暑い」などという感覚より
先に「怖い」、「気持ち悪い」、「でも面白い」という感覚が勝ってしまう。
急速に経済発展を遂げるジャカルタのパワーというか、「カオス」を実感できる
街だった。

私は半ば真面目にこういった夜のジャカルタを紹介しようと、日本の旅行会社
の企画担当者に「ジャカルタ納涼ツアー」を提案したが、ことごとく却下された。

かつて私が通いつめたグロドックだが、1998年の大暴動で町中が灰燼に
帰した。最近ようやく復興したようだが、昔の面影は残っているのだろうか。

上の写真はグロドック風景。
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by Mikio_Motegi | 2007-08-24 22:05 | 東南アジア
家内と二人の娘が私を置いて香港ディズニー・ランドに行ってきた。
ホテルに帰って来た彼女らの第一声は、「あそこにはもう2度と行かへん」
とのこと。

館内施設が日本に比べ格段に狭いのと、コンテンツに欠けるのは、まあいい。
許せないのが中国人観光客のマナーの悪さだという。
ここでは fastpass が全く意味をなさない。彼らには「行列」という概念が
完全に欠如していて、子供だろうが年寄りだろうが我先に他人を押しのけ
入場口に殺到してしまう。
ディズニーランドで行列良く並ぶと言うことは、他人に対するマナーや公共の
場で他者を思いやる態度、というアメリカ的な文化を体現することでもある
(それに対する皮肉は多々あれども)。
彼女らのようにディズニーの楽しさ、アメリカ的文化を満喫しようとして
訪れると、とんでもない幻滅が待っているのが香港ディズニーランドの姿の
ようだ。

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読売新聞で「中国疾走」というタイトルの特集シリーズが現在掲載されている
ので、読んでいる方も多いだろう。中国の不法コピーや乱開発、安全意識の
欠如はここでも枚挙の暇が無い。
併合10周年を迎えた香港は「中国のショー・ウィンドウ」と呼ばれている。
中国を訪れる機会はまだ無いが、ショーウィンドウである香港に来て中国の
姿が分かったような気がする。
あの国は周囲の何でも吸い込んでしまうブラック・ホールのようなものだ。
またそれだけのパワーがあるのも事実。とにかく私が今まで出会った
一人一人の中国人は、皆素晴らしい個性を持っている。
個人単位ではなく、今まで書物や映像からでしか知らなかった中国の姿を
見られただけでも、香港を訪れてよかったと思う。

ちなみに娘たちによると、中国人は蹴っ飛ばすと「アイヨー」と叫ぶのだという。
「何のことだ?」と聞くと、ディズニーランドで行列に並ぶ彼女達の前に
割り込んできた中国人女性の脚を、長女が思い切り蹴り上げたようだ。
それから我が家では、姉妹喧嘩の際に「アイヨー!」という叫びが家中を
飛び交うようになった。                       (この項終わり)

写真は上が保養地スタンレーのノミの市。
下は偶然会った胡錦濤Hu Jin Tao 中国国家主席と。
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by Mikio_Motegi | 2007-08-10 17:14 | 東南アジア