ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

カテゴリ:京都・紀行( 86 )

時代祭りを歩く

去る10月22日(水)、京都三大祭のひとつである「時代祭り」が催された。
http://www.kyokanko.or.jp/3dai/jidai.html

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私の居住する北区・紫野地区は今年20年に一度廻ってくる当番地区に
あたり、地域の要請で私も行列に急遽参加する事になった。

時代祭りは明治維新から延暦時代へさかのぼって順次風俗、
文物の変遷を再現する20列、参加人数2000人に達し、長さは2キロに
及ぶ大行列。
我が紫野地区は第一社という、行列で最も古い年代である延暦年間
(782~805・桓武天皇の時代を担当する栄誉を授かった。
もちろん私は末列を汚す人数合わせの一人でしかなかったが、一応公卿
(くぎょう)という貴族の役。

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当日は生憎の雨だったが、私は「笠」を被っての行進なので殆ど濡れる
ことはなかった。「笠」の実用性に脱帽。

時代祭りの本番行列もそうだが、これを支える京都市の地域の
サポート体制は「さすが京都!」、と唸らせるものがある。
我が紫野地区だけで100名近くが参加したが、その為の準備作業が
数週間前から続き、前日の説明会、当日の参集・散会、そして翌日の
衣装のアイロンかけ、梱包まで全て地域の婦人会やPTAがこなす。
これに駆り出される女性達だけでも20名以上。
会場も地域の小学校の体育館を、都合3日間借り切る。つまり小学校
は体育館を3日間も使えないのだ。

20年に一度しか回ってこないイベントの為のマニュアルの伝承、地域
住民及び小学校の結束と理解は、さすが京都である。

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写真は上からカメラ目線の私。
近所の友人達と。華やか衣装の人が「三位」役。回りの二人は
「白丁(はくちょう)」という役。後ろの御神馬が首を垂れているのが見える。
家内の実家で義母に着付けをしてもらう私。義母は着付けのプロで、
おかげで半日以上拘束されていたが全く着崩れすることがなかった。
そして篠つく雨の中、行列の終点である平安神宮の内裏に到着した
ご神体。後方は東山。
そして翌日の衣装を整理する紫野小学校PTAと紫野婦人会、紫野
社会保険協議会の皆さん。

ひとつ時代祭りを司る平安講社に意見がある。
毎年数万人の観光客が集まるこの一大イベントにおいて、行進の
主要ポイントで時代背景や衣装、登場人物の説明がアナウンスで
流される。しかしこれが日本語しかない。
当日は雨にも拘らず、非常に多くの外国人観光客が熱心に見物を
してくれている。欧米系ばかりが目に付くが、アジア系を含めれば
1万人以上の人たちが海外から集まった筈だ。
彼らに対し、英語・中国語・韓国語・ロシア語等の簡単なアナウンスを
何故しないのだろう。
主催者には「ホスピタリティ」というものが無いのだろうか?

・・・実は私は行進を待つ間、多くの外国人観光客に時代祭りの由来を
英語で尋ねられた。
ところが私は時代祭りのなんたるかをさっぱり理解してなかったので、
「京都で1000年以上続く古い古い祭りである」とかいう全くのデタラメを
説明してしまったのである。

私の説明をまともに受けた外国人観光客の皆さん、ごめんなさい。
時代祭りは歴史がせいぜい110年ほどの新しいお祭りでした・・・。
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by Mikio_Motegi | 2008-10-25 22:18 | 京都・紀行

ウォーカソン、再び

早いものであれからもう1年。今年も「ウォーカソン」の季節がやってきた。

昨年の9月、及び10月のブログでも紹介したが、ウォーカソンは私の
所属するACCJ/在日米国商工会議所関西支部が主催する年に一度の
最大のイベントだ。

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正式名称は「2008 ACCJ 関西ウォーカソン」。
今年の期日は10月18日(土)午前10時から午後3時まで。
場所は神戸メリケンパーク。JR元町駅から徒歩で10分の距離。

「働く女性のため環境改善」をテーマにしたチャリティで、女性をより働き
易くする為の環境づくりをサポートする為、運営コストを除いた収益金の
全額を各種団体の助成金(チャリティ)に付与する。

当日は国際色豊かなアトラクション、ゲーム、屋台での食事が楽しめる。
ウォーカソンとはマラソンをもじった造語。
つまり10月の青空の下、歩いて、楽しんでチャリティに参加しましょう、
というわけだ。

昨年度は大阪城公園で催され、約1300名の人たちが集まった。
今年は会場を神戸のメリケンパークに移し、2000名の集客を目指す
べく、アトラクション、屋台、ゲームなどのアクティビティの充実に知恵を
絞った。

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今年は私も3月の実行委員会発足当初からコア・メンバーとして参加し、
10数回のミーティングを重ね、やっとなんとか形になるまでに漕ぎ着けた
ところである。
なにしろ10数名の実行委員に誰一人イベント運営のプロがおらず、
しかも全員100%ボランティア。
文字通り「手作り」のイベントだが、面白いこと100%保証するイベントだ。

例えばアトラクションにあのUSJ(ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパン)が
今年も参加してくれて、何と・・・おっと、これから先は明かせない。
とにかく通常ならUSJに行かなければ絶対に見られないアトラクションが、
このウォーカソンで楽しめるのである。

それ以外にも関西では超有名な振付師「栗原めぐみ」のユニットによる
ダンスコレクション、地元神戸5スターホテルの食の競演等々、
来て損はさせませんよ。

当日は是非皆さんでお誘い併せの上、お越しください。
尚、私は昨年同様ボランティア・テントにて100名以上集まるボランティアの
皆さんのお世話係りに徹する予定。

写真は昨年のウォーカソンの光景。ACCJ のHPより。
ウォーカソンについては http://www.accjwalkathon.org/
を是非ご覧ください。(このHPのアレンジも私が担当した)。
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by Mikio_Motegi | 2008-09-27 21:35 | 京都・紀行

新そばの季節

先週、東京で今年初めての新そばを食べた。
「もう新そば?」と当初は訝ったが、北海道産のものと聞き納得。

後で知人に聞いたのだが、たぶん平野部の幌加内あたりのものだろう、
とのこと。
あの辺りは日本でも最も早くそば粉を生産する地域なのだそうだ。

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上記写真は楽天ショップから。

そばは関東風に限る、というのが私の持論である。
そばの産地群馬県で育った私は、勿論つゆは濃い口、寧ろ「辛い」と
言っていいほどの濃さに限る。
これに箸で取ったそばをちょっとだけ、全体の4分の1以下の部分を
つゆにつけ、後は豪快にすする。
つゆは、むしろ「スパイス」の感覚に近い。つまりそばの味を楽しむ為の
香辛料のようなもの、なのだ。

もちろん関西にもそばの産地は多いが、つゆが全然違う。
関西ではそばはつゆと一緒に楽しむもののようだ。
よってやや甘口、出しはしっかり取ってあるが見た目も薄い色の、
うどんのつゆと同じような代物になっている。

京都もそばの名店は多く、我が家の近所にもガイドブックに必ず掲載
される有名なお店が2-3店ある。
京都は水が美味しいので、そばそのものの味をを食すのには或いは
東京都内より優れているかもしれない。
そば打ち、茹で、と水をふんだんに使うのが美味しいそばの秘訣だからだ。

が、どこの店に行ってもつゆは関東のそれと比べ若干甘い。
残念なことである。

さて先ほどの、今年初めての新そばを頂いたのは「松玄」というお店。
恵比寿駅から徒歩5-6分ほど、明治通り沿いのモダンな店構えだ。
同じビルの地下にはイタリアンで有名な「ラ・ボエーム」がある。

ちなみにこの店のそば粉の産地が北海道という事だが、この答えに
たどり着くまで少々苦労した。

当初私が若い女性店員さんに「このそば、どこでできたの?」と聞くと、
その店員さんは当然のごとく「もちろん、ウチで作りました!」と元気よく
答えてくれたのである。
・・・日本語って難しい。質問の仕方が悪いと、こんなとんちんかんな
会話になってしまうのだから。

「松玄」は「ピューターズ(株)」という会社の経営で、同社は都内に
数箇所鮨屋やそば屋、創作和食の店を出しているようだ。
http://pewters.co.jp

もりそばは700円、追加は1枚500円。
そば湯に独特のとろみがあって美味しい。
これは掟破りだが、私はつゆを追加して、そば湯を2杯堪能してしまった。
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by Mikio_Motegi | 2008-09-21 22:32 | 京都・紀行
ニューヨークに聳(そび)えるかの有名な「エンパイア・ステート・ビル」を、
一時的にせよ日本人が所有していた事はご存知だったろうか?

その日本人の名は「横井英樹」。
1982年の冬、赤坂のホテル・ニュージャパンで起きた火災で33人が死亡
した大惨事があったが、その所有者で後に業務上過失致死傷罪で投獄
された、日本の実業界で最も悪名を馳せた男だ。

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エンパイア・ステート・ビルは1931年竣工、高さ449メートル、102階建て。
1933年と2005年にキングコングが登り(もちろん映画の世界)、飛び降り
自殺の名所として名を馳せ、9・11同時多発テロで標的にされたとデマが
流れて大騒ぎになったビル。
2001年には米国土木学会制定「20世紀世界10大モニュメント」の高層
ビル部門で1位に輝いた、ニューヨークを、いや世界を代表する摩天楼である。

それまで所有していたプルデンシャル生命が、バブル崩壊後の不動産不況
で逼迫(ひっぱく)した財務体質を立て直す為競売に出した-それも
なんと新聞広告で-のが1990年。

ところがこの世界で最も有名な摩天楼は、114年という超長期で投資組合
に賃借されていた。
所有者には23万平米のオフィス賃貸料の中から、毎年僅か190万ドルの
賃料しか支払われないスキームが存在していたのだ。
これはどんなに不動産市況が良くても年間7.5%、平均で5.5%、悪ければ
2%台にしかならない額だ。
つまりこの摩天楼の所有者は「私がかのエンパイア・ステート・ビルの
オーナーです」と吹聴できる権利以外、一ケタ台の利回りしか期待できない
のである。

当然入札は不調で、多くの希望入札価格が2500-3000万ドル台のところ、
唯一4000万ドル台の価格提示をしたのが「中原キイ子」と名乗る日本人
女性、つまり横井の愛妾の子で横井の代理人だったのである。
こうして1991年8月23日、正式の調印式を持って横井英樹がこの摩天楼の
オーナーになった。

実はその後横井とキイ子が所有権を巡り血みどろの法廷闘争を引き起こし、
その後漁夫の利を狙うニューヨークの不動産王ドナルド・トランプが絡んできて、
さながら暗黒小説の趣になるのだが。

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この顛末をつぶさに描いたのが「エンパイア」である。
ミッチェル・パーセル作、実川元子訳、文藝春秋刊、411ページ、3150円。
ノンフィクションだが、不動産にまつわるビッグネーム達のエゴがうごめく姿を
見事に描写している。
私はこの3日間の連休で読了した。

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非常に興味深かったのが、不動産についての先に挙げた投資組合の存在だ。
実はこの存在が摩天楼を巡る生臭いドラマを生むのだが、この組合の
パートナーであるハリー・ヘルムズリーは実に巧妙に摩天楼の利益を
からめとった。
所有者は運営に関して口をはさめず、114年の固定賃貸契約で収益が
上がっても請求権は無く、ビルの価値が上がろうとも利得は与れない。
ヘルムズリー達がテナントの賃貸料を設定し、賃料を集める。
改修工事は所有者が負担する。よってヘルムズリー達は摩天楼の所有者
という肩書きは有しない。
しかしヘルムズリー達はこの契約をきっかけに全米で何億ドルもの不動産を
買い集め、帝王の名を欲しいままにしたのである。

オーナ-と経営会社、オペレーターの関係はホテル業界でも同じといえる。
将来はホテルのGM(オペレーター)に立ちたいと希望しているホテリエに
とって、大いに参考になる書と言えるだろう。

写真は上から故横井英樹。http://homepage3.nifty.com「東洋精糖事件」
ドナルド・トランプと23才年下の妻、メラニア、2006年に生まれた愛息バロン。
http://thestarcelehttp
「エンパイア」翻訳者実川元子氏のブログより。
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by Mikio_Motegi | 2008-09-15 21:57 | 京都・紀行
ランチタイムに家族で"Megu"へ。
ニューヨークで"Megu"といえばモダン・ジャパニーズのトップ・レフトを
行くレストランのひとつ。
我が家の子供達には、私達が普段食べている日本食が世界では
どのように受け入れられ、modifyされているのかを認識させようと、
少々奮発したのだ。

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値段、内装だけでなく、常連客もゴージャスな雰囲気。
ついでに私たちをエスコートしてくれたホステスさんも、黒のロングドレス
に金髪、日焼けした肌が際立つ凄い美人。おまけにノーブラ。
ニューヨークではまっ昼間からホステスがこんなかっこで客を案内
するのか、と妙に感心する。

味とサービスは・・・ひと言で表すと、外国人が期待している「和食」の
イメージを最適化したもの。
醤油皿には醤油をなみなみと注ぎ、てんこ盛りのわさびを盛ってくれる。
京都では醤油にわさびを溶かし込むのは「いなかっぺー」の食べ方、
という常識は外国では通用しない。

「だし」の効いていない、お湯に味噌を合わせただけの味噌汁。
これも正しく外国風。だいたい昆布や煮干などは魚臭くて、外国では
好まれないのだ。

店内はオーナー企業家風、華僑の金融マン風、往年のハリウッドスター風
のお客で満席。
皆一応にせっせと箸で練りわさびを醤油に溶かし込んでいる。

予想通り娘達は大ブーイング。「美味しくない」「飾りがキモい」「暗い」
と、批判のオンパレード。
加えて娘達がオーダーした鮨の盛り合わせに、しっかり「さび」が効いて
いた。
マネージャにそれを指摘すると、彼は素早く鮨を「さび」抜きに
取り替えてくれ、且つ店からのお詫びと言って抹茶のアイス・ミルフィーユ
仕立てを サービスしてくれた。
彼の素晴らしいホスピタリティのおかげで、娘達の"Megu"への評価が
この時点で180°好転したのは言うまでも無い。

"Megu"が2004年にニューヨークにオープンする直前、経営者である
日本の(株)フードスコープの常務さんより突然メールを頂き、大阪で
お会いしたことがある。
丁度私が「京都コンサルタント」を起業したばかりのときで、彼は私が
国内のホテルやレストラン業界に片っ端から送ったセールス・メールを
読んで関心を示してくれたのだ。

その直後にフードスコープは今話題のグッドウイル傘下に入り、結局
私とのビジネスは成立しなかった。が、彼は創業当時の私にとって大変
励みになる、力強い言葉を掛けてくれた。
「いつかは"Megu"の世界戦略を茂木さんにも手伝って欲しい」と。

さて私たちが宿泊したのは15年前の新婚旅行の時と同じく
インターコンチネンタル・(バークレイ)・ニューヨーク。
48丁目、パークアベニューというハイエンドなロケーション。
小泉元首相、安部前首相をはじめ、日本の歴代の首相や閣僚が定宿に
している5スターホテルだ。
ロビー天井のステンドグラスはティファニー製。
明るい黄色をモチーフにした内装は、ニューヨークの他の5スターの
多くが採用しているイギリス・ビクトリア調のそれに比べ(要するに大阪の
リッツ・カールトンみたい)どこよりも明るく素晴らしい、と思う。

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このホテルは1925年創立、当時はホテル・バークレイと呼ばれていた。
1980年にインターコンチネンタル・チェーン傘下に。
そして1988年に日本のセゾングループがチェーンごと買収。
当時のオーナー堤清二が、「良いホテルチェーンを買えました」と周囲に
漏らしたのは、このホテルのロビーに立ったときの逸話である。

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アメリカは今、3つの理由で経済が停滞している。
1つは原油の高騰。2つ目はサブプライムに起因する金融危機。
3つ目は11月の大統領選挙を控え、新規投資に誰もが慎重になって
いるから。
ニューヨークの5ダイヤモンドスターに輝く最高級のホテル群もこの
影響で、稼働率とADRが下がって苦境に立たされている。
が、ここインターコンチネンタルはそこまで高級ホテルではないので
ツーリストを積極的に勧誘してきた。それが功を奏し、連日満室の
大盛況であるという。

今回の旅行では嬉しい再会があった。元インターコンチで、現在は
ペニンシュラ・ニューヨークのディレクター・オブ・セールスを勤める
アレックス・ゴメスと15年ぶりに会えたのだ。
アレックスは大の日本びいきで、来日経験は数知れず。
日本で最初のインターコンチ・ブランドであるヨコハマの開業準備室
にいた私は、彼の来日時にはエスコートと称してよく夜の東京を飲み歩き、
歌いまくり、ナンOしまくったものだ。
また15年前の私たちの新婚旅行でも彼には大変世話になった。
今回は私がリクエストし、トライベッカ周辺を案内してもらう。

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嬉しいことに、彼の連絡先が分かって当時彼と付き合いのあった
ヨコハマの他の連中とも交流が再会したことだ。
彼がペニンシュラのショーケースで来日することがあったら、当時の
仲間に声を掛けて盛大に歓迎会を催したい、と思う。

今回の旅行で残念だったのは、膝が少々痛むのでセントラル・パークで
ジョギングができなかったこと。
そして時間が無くて美術館をゆっくり見られなかったこと。
唯一行けたのがグッゲンハイムだったが、特別展"Louise Bourgeois"
はつまらなかった。

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5泊7日、ニューヨーク滞在は正味4日間の慌しい旅行だったが、
最後にとんでもないハプニングが。
朝3時に起きて、7時発SF経由関空行きのユナイテッドに乗るべくJ・F・
ケネディ空港に向かったのだが、なんとフライトがキャンセルになっていた。
係りに問うと「次のフライトは、えーと、明日朝11時ね」とのんびり構えて
いる。
明日は京都で大事なアポイントがある私は当然彼女に詰め寄ると、
エージェントと相談してくれ、と先のカウンターを指差す。
そのエージェントと私がすったもんだを繰り返している間、家内と娘達は
「どうにかなるやろ」とスーツケースにもたれてリラックス・モード。
我が家族ながら神経の図太さに感心する。

結局、エージェントが必死で席を探してくれ、ユナイテッドではなく
アライアンスを組んでいるエア・カナダのバンクーバー経由にて帰国する
ことに。
ユナイテッドの機材と客室乗務員はともかく、地上職員は優秀だということが
わかった。

「カナダ」と聞いて当然のように湧き上がる「バンクーバーで1泊して観光
しようさ」という女どもの声を無視し、関空へと飛び立つ。
そんなわけで時間が無くなりJ・F・ケネディ空港で家族や親戚向けのお土産
が買えず、バンクーバーで購入することに。
京都に帰り、家族にニューヨークに行った筈なのにお土産が全てメイド・イン・
カナダになってしまった理由を説明するのにまた一苦労したことを加え、
今回のレポートを終わりにしたい。

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写真は上から"Megu"トライベッカ店の内装で、シンボルでもある氷の仏像。
私たちの訪れたミッドタウン店は適当な写真が見つからなかった。

インターコンチのロビー及びエントランス。
トライベッカにてアレックスと。
グッゲンハイムの入り口に鎮座する"Spider Woman"と名づけられた
インスタレーション。背後に名物のらせん階段。

グッゲンハイムは近年全米各地やスペインに分館を建設していて、良い
作品が分散してしまっている、とはグッゲンハイムでPRマネージャを務めた
こともあるアレックスの評。

バンクーバー空港から見たエア・カナダの機材。背後にロッキー山脈が見える。
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by Mikio_Motegi | 2008-08-16 23:14 | 京都・紀行
さすがにモノとお金の大量供給・大量消費で成り立つニューヨーク、
少なくとも街の様子はサブプライムローンに起因する金融・経済不安など
関係無いような活気を呈していた。

ちょうど観光シーズンでもあり、国内や海外からの旅行者が目立つ。
それもアジア系よりも圧倒的にロシア系が。

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我が家の次女のお目当ては"American Girls Place"。
女の子の人形屋さんだ。
5th.Ave.48丁目、サックス・フィフス・アベニューの向かい。
ここは1から36まで番号の振られた様々な人形が展示されていて、
肌の色、髪の毛の色がそれぞれ全て違う。
それを見た女の子は最も自分に似た人形を買い求めるのだ。
1体は$95とさして高くない。が、付加するアイテムが凄い。
つまり着せ替えセットのバリエーションが豊富で、様々なコスチューム
がひとつ$25から。体操服、チアリーディングから何故か脚のギブス
+松葉杖、などというものもある。
見ていると人形を購入した女の子は着せ替えセットを4-5箱買っていく。
これで計$200。
(人形の!)髪の毛をセットするヘアサロンや、人形を修繕するクリニック、
人形と一緒に写真を撮る写真館などが5階建のビルに収められ、
そのどこもが満員の人出。

街中やホテル、空港でこの人形を抱いて歩く女の子に数多く出くわした。
現在ロスとシカゴに支店があるようだが、東京進出も極めて近いだろう。

チョコレートのm&mをご存知の方も多いだろう。一つ一つコーティングした
マーブルチョコのようなモノ。
ここも巨大なショップがブロードウェイのど真ん中にビル丸ごと一棟、
そびえている。
数十種類のカラーバリエーションのm&mチョコが透明で巨大なアクリル
の筒に収められ、人々は自分で好きな色を好きなだけ袋に収める。
ここではチョコレートをオンス(グラム)単位で量り売りしているのだ。

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ここもチョコだけでなく様々なパッケージ、ラッピング、お土産類で
溢れている。
「チョコレート性格占い」という不思議なコーナーには行列ができている。
いやはやカラフルな色彩の洪水で、私は目が廻ってしまった。

ブロードウェイは2回行った。当初は「ライオン・キング」だけを観るつもり
だったが、生のエンターテイメントのあまりの素晴らしさに感動し、
「リトル・マーメイド」まで観てしまった。
ブロードウェイには日本語の解説が全く無いので、ストーリーを知っている
ショウでないと子供達にはきつい。
15年前は家内と「ガイズ&ドールズ」を観たので、今回はふたつとも
子供向けのショウにした。もちろんそれでも充分堪能できる内容。

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劇場はで二ヵ所とも満席。特に「リトル・マーメイド」はカクテルドレスに
宝石をちりばめたゴージャスな若いお母さんと、その娘達の姿が目立つ。
「ライオン・キング」と違ってコケージョン系のお客が圧倒的に多かった
のが印象的。

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ところでニューヨークの交通事情は最悪で、夕方のタクシーなど
殆どつかまらない。
私たちはホテル前でひろった「ペダル・カー」なる人力車を大いに
活用した。
タクシーだと一方通行と大渋滞の影響で、ホテルからブロードウェイ
まで15分以上かかってしまう。が、このペダル・カーなら逆行も
できるし渋滞の車列の間をすいすい走ってしまい、10分かからない。
これで$20+チップなら安い物だ。

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写真は上から"American Girls Place" の人形のディスプレイ、
m&mのチョコレートのディスプレイ、「ライオン・キング」と
「リトル・マーメイド」のシアター外観。活気溢れるブロードウェイ。
「ペダル・カー」を運転するユーリ。夏休み中だけロシアから出稼ぎに来て
いる学生だそうだ。
                                (この項つづく)
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by Mikio_Motegi | 2008-08-09 21:25 | 京都・紀行
1985年のハリソン・フォードとケリー・マクギリス(トップ・ガン)が共演した
映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」を見て、私は始めてアーミッシュ
(Amish)という人々の存在を知った。
家内も大分後になって短大の講義で知り、その時から興味を持っていた
ようだ。

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ということで、今回はニューヨークからアムトラックで1時間半+車で
1時間半、計片道3時間を費やしてペンシルバニア州ランカスター
(Lancaster)にあるアーミッシュ村に足を伸ばした。
ここでは実際のアーミッシュの生活に触れ、コミュニケーションができる
ようになっている。
もちろん本物、生身(なまみ)のアーミッシュさんたちと、である。

アーミッシは偶像を崇拝せず、よって写真を撮られることを嫌う。上記写真は
www.pbase.com/terry434 より。

彼らは要するにドイツやスイスで中世に発祥したキリスト教の一派で、
宗教改革の影響で迫害を受けてきたが、17世紀にここペンシルバニアに
移住してきた。
アメリカ全土に約20万人が現存しており、うちランカスターには1万5千人
前後がいる。

彼らの生活は電気、都市ガス、水道等といったインフラ設備はアーミッシュ
以外の人々と繋がるものとして拒否。
よって風車・水車で電気を起こし、水を引き込むという近代以前の生活様式
を今でも営んでいる。
もちろん車は乗らず、馬車が移動・輸送手段だ。
生活の基盤は農業で、自給自足の生活。観光客相手にキルトや自家製の
食料品を売るのも重要な収入源だ。

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教育は15歳までしか受けさせない。アルコール、音楽、おしゃれはNG。
厳しい戒律に則った服装をしている。夜は日が暮れたら就寝、朝は日が
昇ったら起きる。
家ももちろん手作り。家を建てるときは近隣のアーミッシュが総出で手伝う。
大家族主義で、一家に大抵6-7人の子供がおり、農業に従事している。
アーミッシュ内の生活レベルの格差は主に子供の多さ、なかでも男子の
多少に起因している。

もちろんアメリカ合衆国の法律に準拠し、固定資産税、市民税等の納税
義務を負う。
確かに収入は高くないが、コストがかからないので、皆立派な家に住んで
いる。

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子供の教育、塾、お稽古事、高級車、ファッション、飲み食い、旅行、
冠婚葬祭等・・・(他になにがあるかな?)お金のかかる事が一切ないのだ。
私は別にこんな「聖人君子」のような生活に憧れるほど現代の生活に疲弊
しているわけではない。が、彼らの生活に少しでも触れたことで、興味以上の
「何か」を感じたのは事実だ。

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上の写真の男の子は洗礼前なので写真を取ることが許された。
ちなみにアーミッシュの洗礼は12才の時。
この地域は塀に囲まれてアーミッシュだけが住むのではなく、一般人も
混在している。
大量消費社会のアメリカの真っ只中にこのような人々がおり、共存している事
が凄く不思議だった。

さてペンシルバニア州の州都フィラデルフィアは人口約160万人。全米で
6番目の規模だ。
ベンジャミン・フランクリンが創設しアイビーリーグで最も南に位置する
ペンシルバニア大学やテンプル大学等の大学が多い。
映画「ロッキー」の舞台になったことでも有名で、ロッキーの像が街中にある。
元オリックスの田口壮が所属するメジャーリーグ「フィリーズ」もある。

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在留日本人は約6千人と、ニューヨークの7万人比べるべくも無い。
大企業ではグラクソ・スミスクライン製薬、シグナ保険、ユニシス、
フードサービスのアラマークの本社がある。

トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムス、ジョージ・ワシントンらが合議し
1776年に独立宣言をに公布した街であり、そのときの会議場が現存している。
この時に鳴らされた鐘がLiberty Bellで、アメリカ合衆国の独立の象徴と
なってる。

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残念ながらフィラデルフィアはガイドさんに案内されただけなので、あまり
印象が強くない。旅行はやっぱり自分の足で歩き、道に迷い人に聞き、
その街の「匂い」のようなものを感じたい、と思った。  

尚、アーミッシュについてもっと興味のある人は
www.kanda-zatsugaku.com/041112/1112.htm
に極めて詳しく記載されているので参照されたい。
                                   (この項つづく)
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by Mikio_Motegi | 2008-08-08 07:16 | 京都・紀行
先週の1週間、家族で夏休みをニューヨーク(NYC)で過ごした。
私と家内にとっては15年前の新婚旅行以来2度目、娘達にとっては勿論
はじめてのNYCだ。

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シンガポール在住時の私の友人なら誰でも知っていることだが、2001年の
11月中旬、私はそれまで5年近く勤務してきたホテル・インターコンチネンタル
シンガポールを解雇された。
きっかけはその2ヶ月前の9月11日に起きた同時多発テロ。
あの事件の衝撃で世界中の人々が出張や旅行をしなくなり、シンガポールの
ように外国からの来訪者に90%のビジネスを依存している国のホテル業も
壊滅的な打撃を蒙った。
結果コストカットの一環として私のような高給取りの外国人を解雇するのは、
ある意味当然のことである。

幸い私には数多くのオファーが舞い込み、職探しには困らなかったが、私が
以前から願望を抱いていた独立・起業の夢が大きく膨らんだ時期でもあった。
結局2年後にその夢は実現し現在に至るのだが、その原点となったあの911
の爆心地(グランド・ゼロ)をどうしても家族と共に見ておきたかった。

・・・前置きが長くなったが、事件から7年近くが過ぎ、グランド・セロはその後継
ビル「フリーダムタワー」建築の真っ最中だ。
林立する高層ビル群のど真ん中がぽっかり空いたその建設地は、
今更ながらワールド・トレード・センター(WTC)をピン・ポイントで狙った犯人の
意図、計画性の高さにぞっとさせられる。

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あの事件にまつわるエピソードは数限りないが、なかでもアメリカ人の魂を
揺さぶるのはNYPD(ニューヨーク市警)、 FDNY(ニューヨーク消防局)
FMS(救急隊)及びポート・オーソリティ(港湾局)の一丸となった救助作業だ。
特に事故直後、避難階段を駆け下りるWTCの入居者たちと入れ違いに、
負傷者救命の為に逆に階段を駆け上がって行くFDNYの屈強の男達の姿。
彼らの殆どが数十分後のビルの倒壊に巻き込まれ、命を落としている。
WTCの直ぐ脇には彼らの救助作業の様子がレリーフに残されており、今でも
手向けの花束や手紙が絶えない。

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しかし驚くべきことだが、WTCに突っ込んだのはハイジャックされた民間機
ではなく、劣化ウラン弾を搭載した別の飛行機だとする説や、もともとWTC
にも爆薬が仕掛けられており、それを誘発する為に飛行機が突っ込んだと
する説、果ては犯行はアメリカ政府も関っているという謀略説等が、アメリカ
では大っぴらに語られている。
もしこれがイスラム原理教者タリバーンの犯行で無いとするならば、「文明
の衝突」でサミュエル・ハンチントンが唱えた、近い将来キリスト教とイスラム
教の対立の構図が激化し、世界は不安定化するという説が信じられなく
なってしまう。
                                     
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写真は上からウォール・ストリート、グランド・ゼロの工事風景、
FDNYの犠牲者を悼むレリーフ、そして現在のピエール・ホテル。

ピエールは当時フォー・シーズンズ系列で、私にオファーが来たホテルの
一つ。私はシンガポールのフォー・シーズンズアジア本部での面接をパスし、
NYCでの最終面接に行く直前まで行ったのだが、結局辞退してしまった。
理由は「寒いから」。常夏のシンガポールから12月という厳寒のNYCに
行ってもまず風邪をひくことは間違いなく、満足なパフォーマンスが示せずに
解雇される可能性が高い、という家内の意見に納得したからだ。
・・・ただ少し残念だった気もあり、今回初めて訪れてみたのである・・・
我ながら未練がましいね。

現在のピエールはリノベーション中だが、インドのタージ・ホテルの傘下。
しかしこれ見よがしのインド国旗には違和感を感じる。 (この項つづく)
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by Mikio_Motegi | 2008-08-06 23:17 | 京都・紀行

木賃宿に泊まる

表現が正しいのかどうか分からないが、とにかく旅館でも民宿でもない、
「木賃宿」としか表現のしようが無い宿泊施設に泊まった。
場所は福井県若狭町熊川宿(くまがわじゅく)の「きく屋旅館」である。

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熊川宿は平成8年に文部科学省より「重要伝統的建造物群保存地区」
に認定されたことを機に、全長400メートルほどの通りを風致地区として
整備、電線を地中に埋め看板を外し家並みを整えた。

京都と福井県小浜市を繋ぐ、いわゆる「鯖街道(さばかいどう)」の
途中の宿場町で、町興しの為に行政主導で整備された通りである。

「きく屋」は江戸期から続く旅館だ。最盛期には熊川宿に14軒旅館があった
そうだが、現存するのはここだけ。年配のご夫婦だけで営んでいる。

午後4時頃に到着、車を旅館の前に横付けしたままで散歩に行く。
辻々に細い、しかしかなり水量の豊富な用水路が張り巡らされていて、
水音が涼しい。
ウグイス、郭公やこじゅけいの鳴き声がにぎやかだ。
気がつくと、自然の音しか聞こえない。
車の騒音やオーディオ、BGM等の人口の音が全く聞こえないのだ。
都会では味わえない贅沢にひたる。

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何でこんなところに泊まることになったかというと、翌朝9時にスタート
する「若狭あじさいマラソン」に出場する為だ。
今年からはじめた4回目のハーフマラソンだが、熱が高じてついに泊りがけ
で参加することになった。もちろん家族は帯同せず、私一人。

1時間ほど散歩して旅館に帰る。
宿の主人から、今日の宿泊客は私一人と聞き愕然とする。

京都から福井に行く公共交通機関は極めて限られており、京都を朝5時に
起床しJRやJRバスを乗り継がないと、朝9時のスタートに間に合わない。
私は体力温存の為に前泊することに決めた。
大会のHPから検索し、周辺の宿泊施設で一番便利なのがここ「きく屋旅館」
だということが分かった。
実は私は同じような趣旨で旅館がマラソン客でごった返して落ち着けないの
では、と危惧していたのである。

とても拍子抜けしながら夕食をとる。メニューは豪華だ。
新鮮な魚介類は毎朝ご主人が小浜から仕入れてくるとのことで、今日は
黒鯛とイカ、大型のトビウオの刺身。トビウオは味噌だれで頂く。
他に名物の絶品の焼き鯖、地鶏肉のソテー、ポテトサラダ、これに生卵を
落とした具沢山の自家製味噌汁とご飯、手製の漬け物。

食事を終えると午後8時。風呂から上がり、買い込んでおいた地酒を
ちびりちびりとやりながら、日頃なかなか読む時間が取れなかった歴史モノ
「氷川清話」に取り組む。
カエルの鳴き声と水音だけが相変わらず聞こえる。

ふと気がつくと部屋に目覚まし時計が無い。携帯のアラームをセットしたが、
念の為、ご主人に朝6時半に起こしてくれるよう依頼する。ご主人は快諾。
いつものように0時過ぎに就寝。

翌朝、ご主人に起こされる。「もう朝飯の用意ができているよ」
時計を見ると、まだ朝の5時!6時半に起こして、と頼んだのに!!

「これじゃ京都から日帰りで来ても一緒だったよ」
「もう少し寝ていようか」とぶつぶつ言うが、
根が「前向き」な私はすぐに「寝坊するよりはいい。時間ギリギリで到着
するより、ゆっくりと準備もウォームアップもできる」と考え直し、
そのまま寝床を上げて朝食をとる。
快晴。ご夫婦に見送られて車でコースに向かう。温かいホスピタリティに
じんと来る。
何でご主人は依頼した時間より1時間半も早く私を起こしたのか、くよくよ
考えたりせず、やっぱり早起きは三文の徳だ、と自分に言い聞かせる。
何て前向きなオレ・・・。

しかし、マラソン会場にはたった10分で着いてしまった。
スタートまでまだ3時間もある。

登録を済ませ、何もすることが無いので、会場である小学校の校舎の
軒下でごろりと寝転ぶ。お腹は満腹。空はどこまでも青い・・・。

・・・なんとなく周囲が騒がしい。「ハッ」と気がつく。つい眠ってしまった。
時間は!? 
息を呑む。何とスタート5分前。
2時間以上熟睡した、と喜んでいる場合ではない。
トイレにも行けず、勿論ウォームアップなどの時間も無い。
慌てて既に全員が並んでいる列の最後尾に着いた直後にスタート。

結果は、一応完走。しかしタイムは初マラソン時よりはるかに遅い。
寝起きでいきなり走り始めた為、身体が重く、足取りはよたよた。
途中何度もリタイヤしかけた。

帰り道、田んぼの農道に仮設された駐車場までの道のりがやけに
遠い。

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今回の旅行での教訓1.
目的がマラソンであれ仕事であれ、宿泊施設を選ぶ際は部屋の
アラームの有無を確かめよう。

教訓2.「前向き」志向は時にアダとなる。 あの時寝てりゃ良かった・・・。

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by Mikio_Motegi | 2008-07-05 23:01 | 京都・紀行
先日のGW最終日、散歩がてら京都御所の辺りにでかけると、いつも
前を通る冷泉家の門前で人だかりが。「句会でもあるのかな」と思って覗いて
みると、普段は非公開の冷泉家がその日が最終日の特別拝観をしていた。
早速拝観料800円を払い中へ。

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冷泉家は鎌倉時代から続く公家で、和歌の宗家として今尚伝統を残して
いる。
現存する住宅、所有する書籍、年中行事などの文化財を保存する為に
「時雨亭文庫」が設立されたのが1982年。

明治時代になって京都の公家の殆どが天皇に同行して東京に移ったが、
冷泉家は今出川通りの北、京都御所の外側にあったため、留守居役として
京都に残った。
その結果関東大地震や東京大空襲に遭う事もなく、多くの重要な文化財
がそのまま現存する僥倖に恵まれることになったのである。

最近はどこの文化財も写真撮影には寛容になってきたものだ。
これらの写真は全て私が撮ったもの。
もっとクリアな画像をご希望の方は、Googleで検索すればいくらでも
ヒットする。

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「公家」というと華やかなイメージがあるが、冷泉家の造りはいたって質素。
寧ろこの建築物や年中行事を現代まで連綿と受け継ぎ、そして未来に
残そうというエネルギーに頭が下がる。

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さて次は我が家から徒歩で10分ほどの慈受院。天皇家に関係する
門跡(もんせき)寺院として非公開を続けていたが、今年は源氏物語
千年紀でもあり、本邦初の一般公開となった。
室町時代の4大将軍足利義持の妻日野栄子により建立された。

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狩野探幽直筆の襖絵のほか、藤原鎌足の伝記を描いた「大織冠絵巻」は
上下2巻、全長30メートルの及ぶ大迫力。
同様の絵巻物の中では大英博物館所蔵のものより保存状態が良く、
詳細の解明が進めば国宝にランクされることも有り得ると言う。
ただこれらは天皇家からの御物(ぎょぶつ)の為、流石に撮影は不許可。
庭園のみの撮影となる。

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浮世の雑事を忘れ暫し中世の京都の思いに浸るのも、たまには悪くない。

写真は1番上が冷泉家住宅、端午の節句ということで座敷に設えられた
武者飾り。

2番目が貴重な書籍や古文書を収蔵している御文庫。防火対策も施されて
いて天井に土が敷き詰められている。
火事の際、建物が火災で焼け落ちると同時にこの土が落ち、消火する。
手前の井戸は空井戸で、やはり火災の折に収蔵物をここに放り込み難を
逃れる為のもの。

3番目は冷泉家から今出川通り越しに眺める京都御所。自転車で走る
通行人が映っている。

4番目は、拝借した冷泉家の男性用トイレ。

5番目は慈受院の庭。樹齢1000年以上の楠(くす)の木。実は京都市内
は1467年の応仁の乱、1788年の天明の大火、1864年の蛤御門の変
等で幾度も大火に見舞われ灰燼に帰しており、このような古木が残っている
のは非常に珍しい。

一番下は「大織冠絵巻」。この写真のみ他からのコピー。
(平成20年 春季京都非公開文化財特別拝観
http://www.kyoto-okoshiyasu.com/see/hikoukai08_spr)
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by Mikio_Motegi | 2008-05-09 22:21 | 京都・紀行