ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

カテゴリ:ブレイク( 76 )

裸のプレゼンテーション

「プレゼンテーションの神様」ガー・レイノルズ"Garr Reynolds"は
1961年生まれのアメリカ人。
住友電工や米・アップル社を経て、現在は関西外国語大学の准教授を
勤めている。

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彼の開発した独特のプレゼンテーション・メソッドは、Google,
P&G、スタンフォード大学などで取り入れられ、スティーブ・ジョブズ
やアル・ゴア(元米副大統領)にも多大な影響を与えている。
著書の「シンプル・プレゼンテーション」は17万部を売り上げ、米アマゾン
のビジネス書部門でベスト3に入る評価を受けているという、この世界では
知らない人の無い大物だ。

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6月15日(水)、ACCJ(在日米国商工会議所)の主催する彼のプレゼン・
セミナーに参加する為、神戸のイーライ・リリー本社に行って来た。

彼のプレゼンは、従来型のパワー・ポイントを使ったデータやグラフの羅列で
終始、参加者はあらかじめ配られたレジュメを読みながら進行するという
それとは大きく異なる。
彼の特徴は美しく刺激的な映像、シンプルなキーワード、参加者の意表を突く
謎かけ等を駆使する。

彼は、よくありがちなパワーポイント画像を棒読みする事などありえない。
シンプルで特徴的な画像を背景に演題から常に離れて立ち、活発で楽しく、
大きな身振りでユーモアを混ぜて、というもの。

150名ほど入る会場は超満員。私も2時間のセミナーで一瞬たりとも睡魔に
襲われること無く、あっという間に時間が流れて行った。

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もちろん、彼のように何百人の聴衆を前に2時間も独演会を行うには
相当の経験が必要だ。また何といっても人を魅了する「カリスマ性」も。
だから彼のスタイルは誰にでも真似ができるものではない。

また、データやグラフを羅列し、レジュメをするプレゼンにもそれなりの
意味がある。
まずレジュメを持ち帰れるので、後で検討・研究する事ができる。
もうひとつ重要なのは、カリスマ性とまでは言わないが、データなしに
プレゼンをする為の表現力、語学力が備わっている人は多くなく、それを
補完する為にもレジュメは必要な場合もあるだろう。

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セミナーで面白かったのは、日本人の奥さんを持ち日本通の彼が、
こよなく愛する「駅弁」と「良いプレゼン」の共通項を、数人に
グループ分けした我々参加者に考えさえた設問。

お察しの通り、この設問に正解は無い。答えは何でも良いのだが、
こうして参加者の虚をつく質問をぶつけ考えさせる点など、流石だ。

私たちのグループの答えは:
1.顧客の好みを考えている
2.おかずが一口サイズの丁度良いポーション
3.色彩豊か、デザイン重視
4.利便性
など。私はそれに加え
5.飽きたら直ぐに捨てられる、と加え、グループのイーライ・リリーの
連中の笑いを誘う事に成功した。

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セミナー後の懇親会は、まだ日が高かった事もあり参加者は20数名と
少なめだった。が、私個人としては充分すぎるネットワーキングの機会
だったと申し添えておく。

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写真は上から、彼の著書 「シンプル・プレゼン」

2,3,4枚目 イーライ・リリー本社でのセミナー光景

5.お隣の"Nestle Cafe”での懇親会にて。右からANAクラウンプラザ神戸の
営業統括部長、白木優至氏。私。フリーの英語コミュニケーション
コーチのAlyssa Bantle。
断っておくが乾杯の段階で既に私の顔が赤いのは、日焼けのせい。

6、おまけショット。Garrのブログにも載っているこの写真は、昨年5月の
ラマダホテル大阪でのパーティーで私が撮影したもの。

・・・ちなみに私はGarrがこんなにも有名で凄い人だと気がついたのは、
つい数週間前の事。それまではただの日本大好きアメリカ人のひとり
だとばかり思っていた。

また今回のブログのタイトル「裸のプレゼンテーション」も、
Garrのセミナーの最新のタイトルから拝借したものである。
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by Mikio_Motegi | 2011-06-25 08:40 | ブレイク
最近は観る機会は滅多に無いが、日曜夜のNHK大河ドラマは子供の頃は
毎回楽しみにしていたものだ。

今でも印象に残っている作品は「樅の木は残った」(1970年)と
「新・平家物語」(1972年)、それと「黄金の日々」(1978年)。
先週と先々週、偶然にも「樅の木」と「新平家」の総集編をNHKの
衛星放送で放映しており、懐かしさのあまり食い入るように観てしまった。

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どちらも主役の演技が素晴らしい。
「樅の木」では原田甲斐を演じる平幹二郎の、「新・平家」は平清盛を演じる
仲代達也の、どちらも端正で静謐、時に豪快な演技がなんといっても
見ものだった。

二人とも当時は新劇「俳優座」の所属で看板スターだったが、大舞台で鍛えた
朗々たる声、セリフ回しや演技など、さすが、と言いたくなる。
両日共に夕方の2時間をしっかりと堪能させてもらった。

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翻って、ではなぜ私は最近の大河ドラマを観なくなったのだろう、と考えた。
海外で生活していた8年間は毎週楽しみにして観ていたのに。

理由は簡単、「つまらない」から。
もちろんつまらなくなった、つまらなく感じるようになった理由は様々だ。

一番感じるのは、製作者があまりに視聴者におもねって、ストーリーを
現代受けするようにしてしまい、却って白けてしまった点。
例えば「新撰組!」で坂本竜馬と近藤勇が一緒に酒を酌み交わすなどといった
バカげたシーンを見せられると、あまりの下らなさにスイッチを切ってしまい
たくなる。

確かに大河ドラマは史実に忠実である必要はない、ドラマなのだから
ある程度の脚色はあっていい。だがあのシーンはアホな脚本家とアホな
演出家の視聴率欲しさからくるサル知恵すぎず、明らかにやりすぎだ。
自ずと限度というものがあるでしょう。

また過剰なBGMにも興をそがれる。シーンを盛り上げようとするあまり
大音量でBGMを叩きつけられると、白けてしまう。
俳優の下手な演技、下手な脚本をカバーする意味もあるのだろうが。

我々視聴者の方にも問題がある。
時代劇に相応しいかつての重々しい古文調のセリフが煩わしくなり、
現代口語調のセリフを求めている点。
またリモコンで簡単に番組を変えられ、時には2画面で観たりするので、
製作者も視聴者を逃すまいと「盛り上げる」シーンをてんこ盛りにしてしまう
傾向がある。
ひとつの番組内で静と動、静謐と躍動が交互する場面をじっくり観るからこそ
歴史ドラマは面白いのに。

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そう考えると、今後も大河ドラマが面白くなる可能性は限りなく低いのでは
ないだろうか。
NHKの朝の連続ドラマ、大晦日の紅白歌合戦を含め、コンテンツが時代に
合っていない。
だからいっそのことそれら全部止めてしまった方がいい。

NHKは民放や韓流ドラマに対抗するのではなく、大がかりなロケによる
報道番組やドキュメンタリー、スポーツや演奏会の中継、ニュース解説、
歴史探訪などに徹するべき。それであれば受信料も気持ち良く払える
というものだ。

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主役を張る最近の俳優の資質はどうか?・・・私は最近日本の演劇の舞台
を全く観ていないのと、好みの問題もあるので言及しないほうが良いだろう。

幸い私は若かりし頃の平幹二郎の「ハムレット」、仲代がこれも俳優座の
看板スターだった加藤剛と共演した「アントニーとクレオパトラ」、
「黄金の日々」の主役だった市川染五郎(現松本幸四郎)を
「オイディプス王」や歌舞伎で観た経験がある。
だが彼らも既に70代。今更新劇でもないだろうが、時代を受け継ぐ名舞台俳優
はいるのだろうか?

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写真は上から 「新・平家物語」
「樅の木は残った」
「黄金の日々」
現在放映中の「江」。最初の3-4回までは面白かったが、後は尻つぼみに。
来年放映予定の「新・平家物語」。名優・仲代のイメージを払しょくできるか?
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by Mikio_Motegi | 2011-05-02 21:35 | ブレイク

リア王

シェイクスピア東日本大震災のような大災害見舞われ、何を信じていいか
わからなくなり、価値観がひっくり返ってしまうと、私のような凡人が
頼れるよすがになるのは「古典」でしかない。

「愚者は経験に頼り、賢者は歴史に学ぶ」と言うし。
かくして30年以上も前に読んだ「リア王」(シェイクスピア作 野島秀勝訳
ワイド版岩波文庫)を再購入、再読した。

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「リア王」はシェイクスピアの四大悲劇の中でも最も壮大なスケールで、且つ
残酷な物語だ。
あらすじは、三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディリア
の真心を信ぜず、不実な長女と次女の甘言を信じ、結局裏切られる。
狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまよい、疲れ果てた父とコーディリアとの
美しい再会も束の間、悲惨な結末が待っている、というもの。

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読んでいて気がつくのが、シェイクスピアというと何となく高尚な、
インテリ向けの作品のようなイメージがあるが、実際は違って猥雑な
セリフも数多い。

例えば:
「自然よ、あんたこそ、おれの女神だ。あんたの掟にだけは従う。
(中略)(妾腹の自分が)下賤だって?いや俺たちこそ人目を忍ぶ欲情が
造った自然の産物。それだけたっぷり、心身の養分と激しい活力を親から
授かっているのだ。
退屈、陳腐、飽き果てた寝床の中で、夢かうつつか、あくび混じりの間に
出来た世のアホどもとはどだい訳が違う」(1幕第2場)

「運が向かなくなると、いや、大抵は自業自得にすぎないのに、禍いを
太陽や月や星の自然のせいにする。悪党になるのは天然自然の必然、
アホのなるのは月の影響、ごろつき、盗っ人、裏切り者になるのは
生まれた時の支配星の運勢、といった塩梅だ。(中略)
てめえの助兵衛根性を星のせいにするとは、なんて見事な女郎買いの
言い逃れか!」  (1幕第2場)

「正直者は犬ころ同然、鞭をくらって追い出され小屋に引っ込むのが
定め。口先達者なやんごとなき“牝犬さま”は炉辺でぬくぬく、
臭いおならをひり遊ばしているというのに」 (第1幕第4場)

「親父がぼろ着りゃ子供はそっぽ向き、親父金もちゃ子供は孝行。
運の女神は根っからの女郎、銭の無いのには戸は明けぬ」(第2幕第4場)

「いや、もっと落ちるかもしれない。これがどん底だなどと言っていられる
間は、どん底になっていないのだ」 (第4幕第1場)

・・・もってまわった修辞語などなく、読む者の胸元にズバッと切れ込む
辛辣な言葉の数々。これらこそが大衆劇作家シェイクスピアの人気の
真骨頂なのだと気づかされる。

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思えば、人間の歴史は数々の苦難の連続だった。今そこにある苦難も、
昔からの人間の営みの延長線上にあると思えば、少しは慰みになる。
古典を読む、歴史を学ぶことは何も知識を増やす結果になるばかりではない。
私達の目の前に横たわる苦難を乗り越える勇気を与えてくれる効能がある、
と言えるだろう。

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写真は全てイメージ。アンソニー・ホプキンスの主演でナオミ・ワッツ、
グィネス・パルトロウ、キーラ・ナイトレイが三姉妹を演じる予定だった
「キング・リア」という大作映画は、残念ながら製作が中断したままのようだ。

ちなみに、小説はともかく「戯曲」を読むのは苦手という人も多いだろう。
が、読み慣れてしまえば簡単だ。むしろ日常使うセリフのやりとりの行間
から舞台での情景を想像でき、あっという間に読涼できてしまう。
是非試してみて欲しい。
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by Mikio_Motegi | 2011-04-23 19:56 | ブレイク

慎太郎の新作に注目

石原慎太郎が来る4月に公示される東京都知事選に立候補しない
決断を下したようだ。3期12年間にわたる石原都政も遂に終焉を迎える。

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彼の知事デビュー後暫くの間、職員を叱咤激励し強いリーダーシップで次々と
新しい施策を打ち出す姿は本当に頼もしかった。
それまでの青島幸男の無責任行政、鈴木俊一の尊大な官僚主導行政と
一線を画し、日本の首都であり世界有数の大都会である東京の人々に、
都民としての誇りと希望をもたらした、と言える。

ご存じのように慎太郎は政治家と作家という二つの顔を持っている。
Wikipediaを覗くと相当の分量が割かれており、業績が多岐に渡る事を
示している。もっともWikiはやや「アンチ・石原」的な記述が多いが。

ここでは彼の政治業績に言及はしないことにする。
私が大好きな彼の文学作品は、何といっても「挑戦」。
・・・太平洋戦争で親友を失った主人公が自堕落な生活を続ける中、
アメリカの石油油田独占で苦しむイラン国民と日本の石油危機を救う為、
無謀とも言える直接買い付けを決行する。出光興産「日章丸」事件の
実話を基にした経済小説。

慎太郎が27才の時の作品だ。とても20代の作家と思えない壮大な
スケールと緻密な描写、男のロマンを描き切る。

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次に「生還」。
・・・末期ガンを宣告された主人公が、仕事も家族も全てを投げ打って
民間治療に再起をかける。凄絶な闘いの末に彼を待ち受けたものは・・・。

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そしてエッセイ「我が人生の時の・・・」シリーズ。
・・・「ニクソン」では、常にケネディという光の影に隠れていた
リチャード・ニクソンの、大統領選挙での意外なエピソードを暴く。
実はニクソンはケネディに勝っていたのだ!

「知覧という町で」は、旧特攻隊基地、鹿児島県知覧で少年兵に「母」
と慕われた女性と、南洋に散った英霊との今に続く交流。

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私が初めて接した彼の著作は「スパルタ教育」、私が小学生の頃だ。
これを熱心に読んでいた亡父は、「これからは我が家もスパルタ教育で
いく」と宣言し、私たち兄弟を震えあがらせたものだ。

数々の硬派のエッセイが続くが、最終章が「父親は夭折すべし」。
夭折(ようせつ)とは早死にの意味。
子は常に父の後ろ姿を見て育つ。ならば、年老いて老残をさらす前に、
父として男として早世する事で、残った子らに強烈な印象を残せる。
それこそが「スパルタ教育」を完遂できる唯一の方法なのだ、
という内容。
文字通り苛烈な生き様を見せる彼に相応しいエッセイだ。

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世にアンチ石原の意見は多数ある。特に左がかった勢力からは目の敵に
されている。
もちろん彼にも脇の甘さはあるし、新銀行東京の失敗のように大いに
反省すべき点は多い。

しかし上記のような素晴らしい作品を生み出す原動力のひとつが、あの
傲慢不遜の態度にもあるのだとしたら、多少のお目こぼしは許すべき
だろう。
日本という国家に活力が失われつつあるのを実感する人は多い。
彼のようなリーダーが次世代に現れん事を願う。

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写真は上から故三島由紀夫との文藝春秋屋上でのツー・ショット。
文庫版「挑戦」
同じく「生還」平林たい子賞受賞作だ。
「わが人生の時の時」
絶版となった「スパルタ教育」。再販が待たれる。
慎太郎の近影。

彼は1999年に都知事選に立候補する際、珠玉の長編恋愛小説を書く
構想を温めており、都知事になることでこの作品を完成させる事が
できないのを悔んでいた。

都知事を引退することになった今、私もその長編恋愛小説の完成を
待ち望む多くのファンの一人だ。
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by Mikio_Motegi | 2011-03-06 22:30 | ブレイク

鯨肉を食べよう

鯨肉(げいにく)は最近まで関西以西では普段の食卓に上る食材の
一つだった。
子供たちの学校給食にも時々「竜田揚げ」や「鯨カツ」が登場する
くらいだから、人々は何の違和感無く食している。
牛・豚・鶏肉ほどの頻度ではで無いにしろ、かつては1年に数度は
食卓を飾っていた。

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今冬の南氷洋での日本の調査捕鯨が、目標捕獲頭数を大きく下回ったまま
終了した。
農林水産省の発表によると、理由は「シー・シェパード」による執拗な
操業妨害に堪えきれなくなったため。

シー・シェパードのついては今更改めて言及する事もないだろう。
自分達の狭量な信条・価値観を他人に押し付け、強要する為には手段を
選ばず暴力行為も辞さないという連中で、その辺りのならず者と全く一緒。
スマトラ沖やイエメン近海の海賊と同類だ。

問題は、暫定的ではあるがIWC(国際捕鯨委員会)という国際機関でも
認定されている調査捕鯨を、海賊の妨害を理由に打ち切ってしまう
日本政府にある。

もちろん直接の脅威にさらされている調査捕鯨団の船員に責任は無い。
彼らを守れない責任は、非が相手にあるのにも拘わらず相応の対抗手段を
執れない日本政府にある。

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学生時代からスクーバ・ダイビングにのめりこんでいた私は、かつて
小笠原に約3週間滞在した際、ザトウクジラやイルカ達に日常的に接した。

日に2回のダイビング・スポットへの行き帰りに出会うザトウクジラの
ブリーチングと呼ばれる全身ジャンプ、目の前に浮上した際に漂う
彼らの生々しい体臭、水中で聴く彼らの歌声、海中で私の足の下を
すりぬけて行ったイルカ達が巻き起こす水の衝撃。

小笠原の大自然と共に、単純に大きく速く力強いもの、神秘的な存在
への畏怖を感じ、その後の私にある指針をもたらしてくれたものだ。

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日本の捕鯨は欧米のそれと違い、捕獲した鯨の殆どの部分を有効に使う。
大腸だけはどうにもならないので海に捨ててしまうが。
かつての欧米の場合、捕獲した鯨を船上で解体し、貴重な鯨油のみを
絞りとり後の鯨肉の部分は全て捨ててしまう。まさに海のギャングだ。
どちらが資源を有効活用しているかは明白だ。

日本の沿岸捕鯨の基地である千葉県の和田浦、和歌山県の太地等に
行けば、必ずそこには鯨の霊を祀る神社がある。
かように我々は鯨という自然の恵みに感謝し、恐れと慈悲を持って
扱ってきた歴史がある。

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そうした文化は、暫定的な処置ではあるが、IWCという国際機関から
認定された調査捕鯨という形で存続されてきた。
その貴重な文化遺産を、シー・シェパードというならず者の暴挙により
止めてしまっていいわけがない。

これでは尖閣諸島問題と同じで、日本はほんのちょっと暴力的な威嚇を
すれば何でも言う事を聞く、領土も文化も棄ててしまう国家という
イメージを、ますます強く他国に与えてしまう。

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断っておくが、私は日本の捕鯨に反対する意見を全て否定するつもりは
ない。文化遺産としてだけでなく生態系の維持、資源枯渇の危惧、
動物愛護といった様々な面で捕鯨について議論をしていくべきだと思う。
ここではあくまでもシー・シェパードの蛮行と日本政府の姿勢に対し意見を
述べているだけだ。

調査捕鯨が中止されて、すぐに鯨肉の流通が凍結してしまうわけではない
という。むしろ問題は、日本人の生活に関わってきた鯨肉を、我々が
あまり食べなくなってしまった事にもあると思う。
鯨肉を食さなくなれば、鯨への愛着も捕鯨の意義も実感として湧いて
来ないのは当然だろう。

お勧めは「ひげ鯨類」に属するミンククジラ。
お腹の脂肪分を抜いた後の皮の部分である「コロ」や舌の部分の
「サエズリ」は、おでんにすると美味しい。
鯨肉と水菜だけで頂く「はりはり鍋」も冬の味覚に欠かせない。
赤身の刺身は、上質の馬肉の味わいだ。

貴重な食文化である鯨肉を、是非一度試してみて欲しい。
こうしたメニューは関西以西の居酒屋では普通に見られる。

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写真は上から 鯨肉の部位 http://love123.blog.so-net.ne.jp

シー・シェパードのよる調査船への妨害活動

ザトウクジラのブリーチング。トラベルプロ・ブルーダイバーズHPより
(私は小笠原でこのようなジャンプに日に数回遭遇した。尾の先端が
完全に水面上に上がるほどのものも数度見たものだ)

千葉県勝山市にある鯨塚。「東京湾内外の鯨塚」
www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/haka-toukyou.html

2008年のIWC総会

美しく盛られた鯨肉 「平戸くじらワールド」のHPより
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by Mikio_Motegi | 2011-02-20 22:04 | ブレイク
アメリカを代表するシンガーに成長したクリスチーナ・アギレラ
"Christina Aguilera"が初めて出演した映画「バーレスク」"Burlesque"
を観てきた。

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田舎出の女の子がロスアンジェルスという大都会で苦闘し、栄光を
掴み取るという典型的な「アメリカン・ドリーム」物語だ。
まさにアメリカのパワーの源泉を見せつけられるようなストーリー。
かつてヒットした「フラッシュ・ダンス」や「コヨーテ・アグリー」と同じ
系譜の作品だ。

日本映画にこの手のサクセス・ストーリー的な主題の作品があまり見当たら
ないのは何故だろう?
市井の人々の日常を丹念に描く、或いは人間の意外性を描く(多分)芸術的な
佳作は多いのだが、欲望丸出しのダイナミックな、観る者を圧倒するような
作品が少ないような気がする。

この現象だけで「日本は矮小化している、アメリカは相変わらず元気が良い」
とステレオタイプ的な分析をするつもりはない。
ただ立身出世物語がエンタメ業界で日本人に好まれない主題になっている、
とは言えるだろう。

今のエンタメ業界は、揚げ足取り、或いはどうでもいい小市民の話題
ばかりだ。
大相撲の八百長など毎日取り上げる話題か?下っ端力士の貸し借りなんぞ、
どうでもいい。マスコミなら元横綱や親方衆の腐敗の深部に切れ込め。
22才の大人のアスリートに向けて「・・・ちゃん」付けで熱狂するメディア
は、幼児体質そのものだ。
便所掃除をする自分の婆さんの歌がそんなにすごいか?
あんなのは公共放送でなく、コミュニティ放送で流せばいい。それを
長々と8分間も聞かされて、よく視聴者は怒らないものだ。
私はテレビであのメロディが流れたら即番組を変える。あの私小説的な
小市民性が大嫌いなのだ。

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・・・すみません、つい興奮して話題がそれた。「バーレスク」である。

アイオワの田舎から出てきた娘が、抜群の歌唱力とダンスで「バーレスク」
というエロチックなショーを売り物にするクラブで認められ、爆発的な
人気を博すという物語。
ストーリーは確かにB級だが、クリスチーナ・アギレラの圧倒的な歌唱力、
存在感に目を見張る。彼女が演じる「アリ」がチャンスをつかみ、はじめて
ステージでソロを歌う場面では、私は鳥肌が立った。
あの小さな身体の何処からあのパワーが生まれるのか?

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私は彼女が2008年のローリング・ストーンズのライブ映画"Shine a light"
でミック・ジャガーと"Live with me"を熱唱した時から注目していたが、
最近では声と美しさに円熟味が増した。
今や押しも押されぬ世界の「ディーバ」になったと言えるだろう。

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共演のシェール"Cher"も怪演。バラード調のタイトル曲をシンプルに歌い
上げたが、さすがの貫録だった。またStanley Tucci(Shall we dance?
で竹中直人の役をやった人)もいい味を出している。

ストーリーが単純なので、映画評論家や玄人の評価は多分高くないだろう。
ただ私のように音楽が好きで、ミュージカルを観るようにクリスチーナや
シェールの歌、バックバンドの素晴らしい演奏やコーラスを楽しめた人々に
とっては最高に評価される映画だったのではないか?

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封切り後1カ月以上たつのに映画館は満員。男を楽しませる女たちという
古臭くエロチックなコンセプトにもかかわらず、観客の80%が若い女性
なのも印象的だった。

自分の才能を信じ、努力を続ければ「アメリカン・ドリーム」は実現する。
そんな単純なストーリーに夢を馳せる女性は、案外日本にも多くいるの
かもしれない。

ただ私のような立場の人間から言わせてもらえば、アリは常に
「自分を売り込む」事を忘れなかった。そしてそれが功を奏したのである。

日本の女性達もこの映画を観て「自己主張をする勇気」に気がついて
くれればいいと切に願う。

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クリスティーナ・アギレラにはこれからも注目していこうと思う。
もっともそんな彼女も、先日の「スーパーボウル」のオープニングの
アメリカ国歌斉唱で、緊張のあまり歌詞を間違えるという失態を演じた。
その時は即座に自分ブログで失敗を認め非を詫びた為、その潔い姿勢が
かえって評価されたという。
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by Mikio_Motegi | 2011-02-12 21:20 | ブレイク

ACCJの新年会

東京と大阪で開催されたACCJ(在日米国商工会議所)の新年互例会に
それぞれ参加してきた。

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東京は例年通り帝国ホテルの光の間にて、メインゲストにジョン・ルース
駐日大使を迎え、SPも密着していていつもながら緊張した雰囲気。
大企業の重鎮や霞が関の官僚、国会議員も例年同様多数出席している。

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ヒルトン大阪で行われた関西の方は、対象的にくだけた内容。
なんといってもテーマが「アロハ!」で、参加者にはレイを首にかけ
トロピカル・ドリンクが振舞われる。互例会というより飲み会の趣き。
同じACCJの新年互例会でも東京と関西ではこうも雰囲気が違うのかと、
いつもながら呆れてしまう。
もっとも私は関西の互例会企画委員に名を連ね、「アロハ!」のテーマに
賛同した立場なので、あまり偉そうなことは言えないが。

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ちなみに昨年の関西のテーマは「Route66」という、これもわけの
わからないもの。ま、関西人のやる事ですから・・・。

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ところでACCJが毎年日本政府に対して行う"Advocacy(政策提言)"だが、
今年は以下の3点に決まった:

1.アントレプレナー(起業家)へのサポート
2.女性の社会進出へのサポート
3.実践的英語教育の充実

おわかりのようにどれも奇をてらったものでは無いが、他国に比べ日本が
遅れている分野である事に間違いない。
むしろこれら3点の充実が無ければ、日本の将来は暗いとも言える重い
テーマだ。

ご存じの方も多いと思うが、毎年ACCJが日本政府に対して行うこれらの
提言は「Gaiatsu(外圧)」とも呼ばれ、様々な波紋や憶測を招いている。
しかしペリーによる開国以来、この国を変える力を外圧から得てきたという
歴史的事実、そしてそれを受け入れる国民性がある限り、ACCJの提言は
これからも日本政府の指針のひとつとなるだろう。

もっと言えば、この国を愛する者として、外圧ではなく国民が自発的に
物事を変えていける国になって欲しい、と願うのだが。

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写真は上2枚が帝国ホテルの会場内光景。
3枚目、4枚目がヒルトン大阪での光景。
5枚目がジョン・ルース大使。オバマ大統領とホットラインで会話ができる
大物大使だ。ACCJの各種イベントにも良く顔を出し、スピーチは常に
ユーモアを忘れない気さくな面もある。
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by Mikio_Motegi | 2011-01-29 10:07 | ブレイク

謹賀新年


目的が明確なら、私はいつまでも、どこまでも走れる        
(イビツァ・オシム)

「オシムの言葉:木村元彦著 集英社刊)より

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2010年のワールドカップ、「個の力」がいかに重要か改めて
思い知らされました。
私も個の力を上げ、オシムのように走り続けられる自分でありたいと
願っています。

本年もどうぞ宜しく!
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by Mikio_Motegi | 2011-01-01 09:42 | ブレイク

実は携帯メールが苦手

実は携帯メールが苦手な私である。
理由は簡単で、要するに私がテクノロジーの進歩に追い付けていない
アナログ人間だから。

私は携帯電話が広く普及する前の1995年に日本を離れ、2003年に帰国
した。帰国して驚いたのが、周囲の人々が何処に行っても携帯メールで
一斉にピコピコやっている姿だった。
慌てて追従したのだが当初は上手く使いこなせず、ガールフレンドに
「浦島太郎さん」とか呼ばれてしまう体たらく。完全に出遅れ、今に
至っている。
また現在の携帯がタッチパネル式なのも、メール無精に拍車をかける
結果になっているようだ。

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学生時代に英文タイプを学ばなかった私は、新卒で入社したホテルで、
フロントに配属される事が決まったとたん、キーボードが打てない事に
気がついた。
ご存じのようにフロント業務はHPS(ホテル・プロパティ・システム)を
使えることが前提とされる。
英文タイプの通信教育を受け、何とか3週間ほどでブラインド・タッチ
までこなせるようになった。

1995年の12月にインドネシアのジャカルタのシャングリ・ラに面接に
行って感激したのが、私を含むセールススタッフ全員にそれぞれPCが
1台ずつ割り当てられていること。
それまでいた日本のホテルでは10名ほどの宿泊セールス部全体で
PCは1台しか無く、「そういうもの」だとばかり思っていた。
もっとも先進国・日本から来た身としては、インドネシア人の彼らに
そんな内部事情は口に出せなかったが。

以降、デスクワークの殆どを自分のPCでこなす職場に8年いた。
使用言語はあの頃の事で、当然英語のみ。今ではありえないだろうが。

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かつて欧米社会では一家に1台の、学生は一人1台のタイプ・ライターを持つ
のが普通だった。その文化の延長で、企業がスタッフにそれぞれPCを
割り当てるのはほぼ「常識」だ。彼らはキーボードを使うPCに日常的に
親しんでいる。
そんな文化の無い日本では、キーボードを使うPCより携帯がより普及し、
それに伴い携帯でのメールがPCより浸透した、言える。

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ところでハーバードの学生が創業したFacebook だが、今や世界中で
5億人以上が利用する最大のSNSに成長したという。
アメリカではFacebook を通して就職をアプライしたり、企業も
その求職者について本人のFacbookのプロフィール評価・判断したり
しているという。

恋愛のシーンでも「出会い系」中心の日本のSNSと大きく異なる。
真剣な交際を前提としてFacebookを利用し、プロフィールを見た男女が、
お互いの趣向を知る為にかなり詳しく内容を精査するという。

そして企業の採用担当者や、真剣に交際相手を探している人たちの
共通認識は、Facebookに記載されている内容、及びそれがきっかけで
メールでのやり取りを続けると、その人間の「人となり」を極めて正確に
評価できる、というものである。
文脈、文法、スペル、行間の空け方、適正な表現、それらが人間の性格を
正確に投影している、というのだ。

それが本当だとしたら、携帯メールはFacebookにはとても不向きな
メディアであると言えるだろう。
あの限られた小さなスクリーンでは、正確で的確な表現などできやしない。
職務の概要、正確な履歴、達成数値、人生の目標を記載するレジュメや、
見知らぬ異性に自分をせいいっぱいアピールする為のプロフィールを
書くには、やはりPCは欠かせない。

やはり携帯メールは急な連絡やChat かTwitに用途を限定したほうが
いい、と私は思うのである。

最近さる国内の大手老舗のホテルチェーンの人と名刺交換した際、
連絡先に社用携帯メールアドレスが記載されているのに気がついた。
聞くと、見積り書や人事異動の通達、マーケティング戦略などの
かなりの重要事項もこの携帯メールで連絡・指示が飛んでくるの
だそうだ。

私は実物を見てないので、どんな表記でメールが来るかは不明だが、
それを「テクノロジーの進化」と捉えるか、「やり過ぎ」と捉えるかは、
人それぞれだろう。

少なくとも私は辞令は上司から直接聞きたいし、"Just Do It"が求め
られる営業の最前線だからこそ、メールによる指示ではなく、綿密な
戦略を資料と共に事前に頭に叩き込んでおきたい、と思う。

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先日も昔からの仲間同士の気の置けない集まりに関する打ち合わせで
私宛にもCCでメールが多数飛んできたが、殆ど返信できなかった。
その日は休日で、且つ珍しく熱を出して寝込んでいて返信する気力が
無かった事を差し引いても、気がついたら60件近いメールが着信ファイル
に溜まっていた。

熱に浮かされていた私は、ベッドの上を何十というメールが飛び交う姿が
眼に見えるような錯覚に悩まされ続けたのである。

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写真は全てイメージ。
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by Mikio_Motegi | 2010-12-26 17:21 | ブレイク

妻をめとらば曽野綾子

作家の三浦朱門は、色紙を頼まれると「妻をめとらば曽野綾子」と
書いたというエピソードを、確か遠藤周作のエッセイで読んだ事がある。
ユーモア半分、おのろけ半分だろうが、後に文化庁長官を務めた程の
三浦朱門にここまで言わせる才色兼備の女流作家が、妻である
曽野綾子だ。

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2008年の刊行で、先月文庫化された「言い残された言葉(光文社文庫)」
を読み終えたが、面白かった。
彼女はあの笹川良一が創立した(財)日本船舶振興会(通称日本財団)
の会長を2005年まで10年間勤めたほどだから、言動は保守系右寄りの
色が濃い、とイメージされがちだ。
が、ここに書いてあるのは実は当たり前の、だが最近忘れられてしまった
日本人の行動様式の源流があると思う。

いくつか抜粋してみる:

「『人間は平等』というのは『人間は平等を目指す』のであり、
『人間は平等になれる』という保証ではない」(自分の傷を舐める)

「人生の不幸は後に必ず精神的財産になる。大災害、大事故の現場に
いながら奇跡的に無傷だった人は、PTSD(精神的後遺症)になんて
ならずにもっと素直にその幸運を喜んでいい」
(同)

「ホームレスを庇(かば)うという事は、法を守る事は必要ないと教えている
のと同じ」(満開の桜の下で)

「どのような田舎の小さな催しでも、すぐに国歌が歌われるのは世界の慣習。
国歌に敬意を表する事は、対立が絶えない世界における最低の儀礼である。
なのに日本人は・・・」
(フィニケの海)

「流行語は誰でもがお手軽に使っているので、手あかにまみれたインパクトの
弱い表現になっている」(二人のドミンゴ)

「黒髪を金髪に染める日本人は、白人崇拝と同時に黒人蔑視を表している
自分を失っている個性の無い集団で、欧米では全く尊敬されない」
(モンテ・ナポレオーネ通り)

「日本は『対人地雷全面禁止条約』に署名すべきではなかった。
持っているふりをして使わなければいい。地雷というものがこの世に
ある限り、それを使わせない為の策を講じるのが大人の判断のはず」
(幼児化に抗する)

「レイプの結果以外の妊娠はすべて当人に責任がある」
(残り1パーセントの真実)


・・・右寄りでも過激でもない、実に当たり前の言葉ばかりでしょう?

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彼女を聖心女子大学卒業の「お嬢さん作家」のように誤解している人も
いるが、実は苛烈な幼少期をすごしている。
1945年3月10日の東京大空襲で被災し心神喪失状態になり、父親に
よる家庭内暴力を受け、さらに母親の自殺の道づれになりそうになった
経験を潜り抜けている。

私は三浦朱門、曽野綾子夫妻とシンガポールで何度かお会いした事
がある。2000年頃の話だが、ご夫妻はシンガポールの植物園辺りに
居を構えており、毎年数カ月をそこで過ごしていた。

日本財団の若い職員がアフリカのどこかから帰任する途中、彼らの労を
ねぎらう為に夫妻が毎年私の勤めるインターコンチネンタルホテル
に宿泊をアレンジしていたのだ。
職員たちの滞在中、ホテルを訪れた夫妻と何度かロビーでお話をさせて
頂いたが、ミセス・タンという、シンガポールの大富豪に嫁がれた
見事な銀髪の日本人女性と連れだって来られていた。

その際にミセス・タンが「私の学生時代の夢はホテルに勤めること
だったのよ」とおっしゃったので、「では明日からフロントでアルバイト
されますか?」と私が返し、会話が盛り上がったものだ。

実は私はその時も曽野綾子の著作をいくつか所蔵しており、その一冊に
直筆のサインをしてもらおうかと思ったのだが、日本を離れたシンガポール
には夫である三浦朱門の著作は手に入らず、奥様にだけサインを頂くのも
気が引けるので遠慮しておいた。

あの時三浦氏には例の「妻をめとらば・・・」を色紙に書いて頂けば
よかった、と後になって悔んだものだが。

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ちなみに私は「右寄り」という表現をどうかと思う。左翼・社会主義系の
「左寄り」と対をなす右翼・保守系の立場を取る人を表す言葉と捉えられ
がちだが、左から見れば真ん中も右に見える、のだから。
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by Mikio_Motegi | 2010-12-18 20:49 | ブレイク