ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

カテゴリ:ブレイク( 76 )

アメリカのハードボイルド作家、ロバート・B・パーカーが19日に亡くなった。
享年77歳。
1973年の「ゴッドウルフの行方」からはじまった私立探偵「スペンサー」
シリーズは、昨年の「ザ・プロフェッショナル」まであしかけ36年間で
37作品が刊行されている、大ベストセラー作家だ。

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私は80年代の半ば、25歳の頃にスペンサーに出会い、暫くは完全に
「はまって」しまった経験がある。
それまで刊行されたシリーズを次々と読破し、新刊本が出ると、いや
ハードカバーは値段が張るので、文庫化されると飛びつくように買い求め、
貪り読んだものだ。

その20冊近くのコレクションは、残念なことにペナンから京都の家内の
実家に転がり込む事になった時、他の本も含めペナン在住の日本人向けの
ガレージセールで売り払ってしまった。

ただし「初秋」だけは手元に残してある。これは私が最初に経験した
スペンサーで、且つ最も愛着のある白眉の一冊だ。
読者人気投票でも常に1位にランクされる、特に愛読者の多い本として
名高い。

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内容はこうだ。・・・思春期を迎えたポールは、いがみ合う両親の元で
育てられた為、ひ弱で自立心が無く、全てに無気力でだらしない。
スペンサーはそんなポールをひと夏に間に「男」として鍛え上げるべく、
二人で湖畔のログハウス作りに取りかかる。
すぐに疲れ、反抗し、ふて腐れるポール。何を質問しても肩をすくめ
答えないポールに「今度俺の前で両肩をすくめるマネをしたら、ここから
叩き出す」と宣告する。

「料理は女がやるものではないの?」という質問に、「半分正しい。
女もやるし男もやる」等々、ウィットと深い人生観に裏打ちされたセリフが
にくい。

夏が過ぎ、初秋を迎える頃、ついにログハウスが完成する。
シャンパンで乾杯する二人。
日焼けして見違えるほど身体も大きくなったポール。
毎日コツコツと続ける事、やり遂げることの素晴らしさを身をもって
体験し、やがて両親から離れてポールは自立の道を歩むことになる。

一方でお約束の、ポールを取り戻そうとする父親の雇った用心棒との
派手な立ち回り、「スペンサーの料理」という単行本も出たほどの凝った
料理等、楽しませてくれる要素もふんだんに盛り込まれている。

ある評論家が、「思春期の子供を持つ親のバイブルのような本」と言って
いたようだが、正にその通りだ。

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元ヘビー級のボクサーで、朝鮮戦争に従軍した経験があるタフガイ。
ジョギングとウェイト・トレーニングを欠かさず、脇の下に吊るした
リボルバーの膨らみでジャケットのシルエットが崩れるのを気にする
洒落者。
ビールと白ワイン(辛口のシャルドネ!)とウィスキーを愛し、週末は
ガール・フレンドのスーザンの為にプロ級の料理の腕を振るう。

そんなスペンサーに「男の理想像」を見出す人も多かったろう。
事実私も心の中の澱(おり)のように、今でも無意識のうちにスペンサーの
ライフスタイルを追い求める事がある。

おりしもスペンサー・シリーズを再読しようかなと思っていた矢先でもある。
週末は書棚にたった一冊残っている「初秋」を取り出して、パーカーを
偲ぶとしよう。

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写真は上からパーカー。

「初秋」ハヤカワ・ミステリー文庫刊。故・菊池光の翻訳が素晴らしい。

アメリカでテレビシリーズ化されたスペンサー。左は相棒のホーク。
このホークという男が、時としてスペンサー以上にかっこいいのだ。
だがこのスペンサー役の俳優は、スペンサーのイメージとまるで違うという
読者・視聴者の意見が圧倒的だったようだ。

スペンサーの人物像は、パーカー本人の姿が色濃く反映されている。
よってパーカーに風貌が似ている「スタン・ハンセン」に演じて欲しかった。
www.geocity.jp/team_hiroki_man
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by Mikio_Motegi | 2010-01-24 16:27 | ブレイク
こう寒い日が続くと、シューベルトの歌曲「冬の旅」を聴きたくなる。
この曲は、失恋した若者が絶望、挫折、疎外感、失った者への
憧憬を感じながら、凍てつく冬の中を彷徨うという叙情曲だ。
シューベルト最晩年の作で、ドイツ歌曲史上最高傑作と呼ばれる
名曲だ。

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その「冬の旅」は、中曽根康弘元首相も好きな曲だという。

第71代-73代内閣総理大臣を務めた中曽根康弘(以下敬称略)は、
言わずとしれた日本の保守勢力を代表する政治家だ。
彼の功績は多々あるが、外交関係では親米、対ソ連(当時)強硬路線を
確立したことが挙げられる。

ソ連が当時ヨーロッパに中距離核ミサイルを配備した時、中曽根は
対抗措置に消極的なヨーロッパの首脳達を説き伏せ、レーガン
元米大統領の提唱する中距離核戦力削減交渉実現をサポート、
「ロン、ヤス」とニックネームで呼び合うほどの密接な関係を構築した。
「大勲位菊花大綬章」を叙勲していることから「大勲位(だいくんい)」と
ニックネームで呼ばれることもある。

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彼は第二次大戦中、海軍主計中尉に任官、東京帝大出のエリート
青年将校としてフィリピン・ミンダナオ島やインドネシア・ボルネオ島
バリクパパンに侵攻する中隊を率いた。
逃亡しもぬけの殻になった地元資産家の屋敷を徴収し、リビングに
残された蓄音機を見つけると、持参したSP盤の「冬の旅」を聴くのが
楽しみの一つだった、とある雑誌で述懐している。
(婦人画報2009年10月号)。

徴収した屋敷とは、多分華僑の豪邸だろう。
南方のプランテーションに囲まれた瀟洒な屋敷のリビングで、砲弾が
飛び交い、明日をも知れぬ戦局の只中、中曽根青年将校がソファに
寛ぎ一人シューベルトに耳を傾ける・・・。何ともいえない情景だ。

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この時の情景、心情は、私は何となく理解できるような気がする。
中曽根の姿には、私の亡父の姿がどこかオーバーラップするからだ。

父と大勲位は同年生まれ(1917年)、共に群馬県の似たような家庭環境
に育つ。地元の旧制中学を出て上京し、大正デモクラシーや戦前の
教養主義の洗礼を受け、クラシックが趣味という点までも共通している。

選挙区は違うが同世代の群馬県人として何か接点があったようで、
中曽根の直筆の手紙が実家にある事も、私が彼に親しみを感じる理由の
一つかもしれない。一文字一文字が異様に大きく、力強い筆跡が
印象的な手紙だった。もちろん大勲位と市井の一般人である父の人生、
業績を比べるべくも無いが。

中曽根という政治家には、多大な功績とは裏腹に失政ともいえる施策への
批判も数々挙げられる。「政界の風見鶏」とも呼ばれるネガティブな
面もある。
が、彼からは最前線という修羅場を潜り抜けてきた「凄み」のような
オーラを感じる事は確かだ。そしてそれが現代の多くの政治家連中に
欠けている物であることも、また確かなことだと思う。

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写真は上から私の持っている「冬の旅」のCD。
バリトンはフィッシャー・ディスカウ。

中2枚は中曽根大勲位の現在と昔。

下はフィッシャー・ディスカウ。いずれも各メディアから。

・・・「冬の旅」は私は最近殆ど毎日聴いている。が、率直に言って、
この曲のどこが魅力で大傑作と評価されているか、私にはてんで
わからないのである。
メロディラインやドイツ語の歌詞は確かに美しいが、意味がさっぱり
わからないし、訳文を見ても「よそ者としてやってきて、よそ者のまま
去ってゆく」とかいう歌詞で始まるし、何だか自分の事を歌われている
ような気がして腹が立つ。

また、「冬の旅」を赤道直下のクソ暑いボルネオ島で聴くというのも、
なかなか感情移入しがたいところではある。
どうもこの曲に対する姿勢ひとつとっても、私は大勲位の足元にも
及ばないようだ。
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by Mikio_Motegi | 2010-01-17 17:30 | ブレイク

ACCJ新年会にて

例年通り、私が所属するACCJ(米国商工会議所)の新年会に出席
してきた。会場は、これまた例年通り帝国ホテルの「光の間」。

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今年は来賓としてジョン・ルース大使がスピーチを行った。
オバマ大統領にも電話一本で常に連絡を取り合う仲という大物だが、
ACCJのイベントにもいつも積極的に参加している。
今回はドア・オープン時に入り口の前に立ち、列席者一人一人に
挨拶を交わしてくれた。

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普天間基地の移設問題をはじめとする日米関係の悪化がメディアで
取りざたされている。
私は、現在の状況は正常な二国間友好関係を築く過程の、いわば
「生みの苦しみ」のようなものだ、と思っている。
戦後60年以上が経つのに戦勝国からの駐留軍のプレゼンスがこれだけ
高く、また何の検証もせずに 毎年何千億円もの「思いやり予算」を組む
ような二国間関係は、やはり異常と言えるだろう。

財政難に喘ぐアメリカにしたら、その「思いやり予算」を死守したいのは
やまやまだろう。また一方ではその思惑を利権としている日本人がいるのも
事実だ。
鳩山政権のビジョンに対し、日米関係悪化と騒ぎ立てている保守系メディア
や評論家は、そのお先棒を担いでいるだけなのだ。

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昨年の新年会は、経済危機がどこまで続きどこまで悪くなるか全く不透明な
状況だったので、会場の雰囲気は良くなかった。
ところが今年はだいぶ違う。アメリカ経済の復興が明らかなので、人々の表情
も明るい。
また、昨年は私と同業の米系エグゼクティブ・サーチ会社の出席が殆ど
なかったのに、今年は今まで通り大量に顔を見せている事実も、このトレンドが
顕著であることを物語っているのでは。


写真は、上からACCJのリーダーの一人、東海由紀子さん。
会場にてNHKの取材を受けている場面だが、近い将来彼女が発信する情報に、
我々は大いに注目すべきだろう。

ジョン・ルースアメリカ大使と奥さん。アメリカ大使館のHPより。

東京・六本木に広大な面積を占有する米軍の「赤坂プレスセンター」。
ミッドタウンに接する超一等地だ。
東京都知事本局基地対策室のHPより。
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by Mikio_Motegi | 2010-01-10 19:51 | ブレイク
毎年元旦はTVで昼はサッカーの天皇杯、夜はウィーン・フィルハーモニー
管弦楽団(ウィーン・フィル)による「ニューイヤー・コンサート」の生中継を
観ることにしている。これが無いと正月を迎えた気がしない。

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ニューイヤー・コンサートは1939年から続く、60年の歴史を有する
コンサートだ。会場はウィーン楽友協会の黄金のホール。
今年はフランス人のジョルジュ・プレートルが指揮をとった。
彼は既に85才。コンサートの史上最高齢の指揮者だ。

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曲目はウィーンに関連の深い作曲家の作品が毎年選ばれており、
特にヨハン・シュトラウスとその息子達の作品が好まれている。
今回も冒頭に「こうもり序曲」、アンコール最後に「ラデツキー行進曲」
が演奏された。
また毎年「美しく青きドナウ」が演奏されるが、第一楽章の途中で突然
中断し、指揮者が観衆に新年の挨拶の辞を述べるというお決まりの
セレモニーが続く。

曲目は全部で18曲ほど。第一部と二部の間に15分ほどのインターバルが
入る。例年のNHKの放送だと、この時間にNHKのスタジオに映像が
移り、音楽評論家や識者による座談が放映される。
ところが今年は、コンサートと同時中継されるバレエの練習風景や、
衣装のデザイニング、仮縫い(デザイナーはあのバレンティノ本人!)等の
舞台裏の様子をたっぷりと見せてくれた。
多分、オリジナルの放送では毎年これを放映しているのだろう。
もちろんこっちのほうが断然良い。

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ところでいつも感じるのだが、このコンサートに関る全ての事物の絢爛豪華さ
は一体何なのだろう?
会場の楽友協会ホールのインテリア、北イタリアのサン・レモから毎年届く
数万本のバラ、バレエを収録したウィーン美術史美術館の総大理石造りの
デコレーション、そのバレエを踊るのがパリ・オペラ座と地元ウィーン・オペラ座
のバレリーナ達。
ちなみにバレンティノは自家用ジェットで会場入りしている。

一体このお金のかけかたは何なんだ?収支報告を見たいわけではないが、
誰がどれだけお金をかけてこの絢爛豪華なショウを実現させるのだろう。
スポンサー企業の財力も相当なものだろうが、やはりハプスブルク家の栄華、
ヨーロッパの富の蓄積はハンパではない。
そしてその蓄積はどこからもたらされたのか・・・。

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下世話な話が続くが、コンサートチケットの殆どはインターネットによる
抽選により取得できるだという。
来年の分は既に受付が始まっており、シートの正規料金は30から940
ユーロ(約3500円~12万円)だ。
ところがこのチケットはダフ屋に流れ、毎年異常に高騰する。
日本の「ラグゼ銀座マロニエ」という旅行代理店では最高位のシートを
1枚4200ユーロ(50万円)で販売していているが、これはかなり良心的だ。
私がインターネットで調べた海外のサイトでは、5600ユーロ(67万円)の
値段が付いていて、しかもシートの場所はギャランティされていない。
・・・チケット一枚のこの値段が高いのか安いのか、私には判断できないが。

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毎年気がつくのが、放映で映し出されるアングロ・サクソン系の観客で
埋まっている会場に、日本人の姿が非常に多く見られる事だ。
ちなみに今年は日本人以外の有色人種は台湾系と思われる紳士が
1名のみで、他は誰もいなかった。
これは単なるカメラワークの問題なのか、唯一の非アングロ・サクソン系
の観衆として日本人を誇っていいのか、それともヨーロッパの
descriminationの厳然たる事実の表れ、と見るべきなのか。

無料でTV放映されるこのコンサートを、家のリビングで鑑賞しながら、
ヨーロッパ文化に思いを馳せるのもまた正月の楽しみの一つである。

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写真は上からコンサート会場のウィーン楽友協会黄金のホール。
http://media.yukasee.jp

指揮者のジョルジュ・プレートル。www.wienerphilharmonikar.at
とても85才とは思えない、若々しい指揮ぶりに驚かされた。

バレンティノ(イメージ画像)。

ウィーン美術史美術館の内部。

ウィーン楽友協会黄金のホールのシート配列図
www.euroteam.info

コンサートの指揮風景(イメージ画像)。後ろに観客席が見える。

今年も最高位の桟敷(さじき)席で、演奏をじっと聞き入るある日本の
財界人と、奥様とおぼしき人の様子が何度も映し出された。
私が嘗て東京の歌舞伎座で「勧進帳」を両親と見た時、チケットを
事前に購入する際に母が「絶対に桟敷席を取ってはダメ。テレビで顔が
映されてしまうことがあるから」と言っていた事を思い出す。

その時は「何て自意識の強い母親なんだ」と呆れたものだが、今はその
意味がよく分かる。
皆さん、TV中継が入るような有名なショウを観る時は、決して桟敷席に
座ってはいけません。特に「訳あり」の同伴者がいる時は。
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by Mikio_Motegi | 2010-01-04 23:42 | ブレイク

謹賀新年


「メリーゴーラウンドがただまっすぐに動いたら、どんなに味気ないものか考えてみるがいい」

(三島由紀夫「不道徳教育講座」 昭和42年角川文庫刊より)

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新年明けましておめでとうございます。皆様、いかがお過ごしですか?

昨年は色々な事がおきました。今年も色々な事がおきるでしょう。
メリーゴーラウンドに乗ったつもりで、私も人生を楽しんで行きたいと思います。

今年もどうぞ宜しくお願い致します。
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by Mikio_Motegi | 2010-01-01 11:23 | ブレイク
ジョン・レノンが凶弾に倒れた1980年12月9日からはや30年ちかく。
月日の経つのは早いものだ。
ジョンの人気は世界中で今も衰えず、むしろ神格化した感がある。
TBSテレビの「キンスマ」という番組で2時間に渡り紹介されたジョンと
ヨーコ・オノとのエピソードなど、「愛と平和の使者」として礼賛していた。

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ジョンの本質は骨太のロックン・ローラーだ。
彼の作品には正統派ロックの"Whatever Get You Thru the
Night(夜をぶっとばせ)",
オリジナル以上の評価を得ている"Stand by Me"
麻薬でラリッた状態を謳いあげた"Lucy in the Sky with Diamond
(LSD)"、
プログレッシブなロックの"Come Together"や"Mother"、
ロンドン、サヴィル・ロウのアップル・レコード本社屋上で突然行われた
いわゆる"Roof Top Concert"で強烈なシャウトを聞かせた
"Don't Let Me Down","One After 909"等がある。

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これらの曲にはジョンの生い立ちや、くぐり抜けて来た環境が色濃く
投影されている。
イギリスの港町リバプールの貧しい労働者階級に生まれ、戦後の混乱と
復興の中、恵まれているとは言えない家族環境で育ち、成長して
アメリカの黒人音楽であるブルースの洗礼を受ける、という人格形成
課程がある。

そうしたジョンの曲作りや行動の原点は「反抗、戦い、成り上がり」だ。
彼は長髪をなびかせ、麻薬常習を否定せず、サイケデリックなファッション
に身を包み過激な発言を繰り返す。

「ビートルズはキリストより有名だ」
" We're more popular than Jesus now"
「30才以上を信用するな」"Don't trust over thirty"
等の過激なセリフを吐き、それまでの既成概念を打ち破る1960年代の
ムーブメントを具現化した、危険でかっこいいトップランナーだった。
人々はそんなジョンに憧れ、熱狂したのである。

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そんなジョンが死後、人々の記憶から薄れるどころか神格化され、
あのTBSの番組のように「愛と平和の使者」として扱われる事に、私は
強烈な違和感を憶える。
「昔はワルだったが、後に立派になって愛と平和を訴えた」という
ステレオタイプな人格像にジョンを当てはめる事に、何の意味が
あるのだろう?

それはジョンの人格を矮小し、冒涜する行為であると共に、我々視聴者の
他人を理解する能力形成に悪影響を与えると言えないだろうか?

人間はそんなに善なる存在ではない。事実ジョンとヨーコが愛と平和
をいくら唱えても、結局人々は戦争を止めやしないではないか。

もちろん人には多面性があるし、晩年のジョンはヨーコから多大な影響を
受け、風貌も哲学的になり内向性を深めていった。
遺作となった「ダブル・ファンタジー」など、かなりポップな味わいで
かつての骨太のロックのイメージは無い。それも彼の一面ではある。

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・・・ヨーコは結局ロックの本質を理解していないのだと思う。
上流階級育ちのヨーコに、労働者階級のプロテスタント・ソングである
ロックの魅力を理解しろといっても、所詮無理な話なのだろう。
それは致し方ないことだ。

とにかくせっかく楽しみにしていたジョンとヨーコのエピソードが、番組では
下らない三流「お涙頂戴」番組に貶められてしまい、残念だ。
「愛と平和の使者」に祭り上げられたジョンも、きっとあの世で
苦笑いしているだろう。

写真は全てイメージ。
一番下の写真、向かって右端はキース・リチャーズ。
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by Mikio_Motegi | 2009-12-27 11:01 | ブレイク

ショートパスタ礼賛

ここ1年以上、レストランでパスタをオーダーする際は必ずショートパスタ
と決めている。サルサ(ソース)は何でも良いが、パスタ(麺)の種類に
こだわっているのだ。

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元々自分でも好んでを料理をするほどショートパスタが好きだったが、
いっそう拍車がかかったのは昨年のニューヨーク旅行。
ミュージカルに行く直前の時間の無い時や、空港でのトランジットで
「早くできるものを」とオーダーすると、決まってパスタが、それも
ファルファッレやペンネ、リガトーニといったショートパスタの料理が
出てきた。
どれも抜群に美味く、おしゃれでそしてびっくりするほどポーションが大きい。
サルサはこれも決まってペスカトーレ。東海岸ならではの新鮮な魚介類
とあいまって、まさに目から鱗が落ちる体験だった。

あれから京都や大阪、東京のあちこちでショートパスタを試しているが、
未だにあの時の水準を越える皿に出会ったためしがない。

だいたい日本ではショートパスタはマイナーな存在で、それ自体用意
していない店が殆どだ。
何人かのレストランオーナーやシェフに聞いてみたが、その理由として
異口同音に「日本人はロングパスタ(いわゆるスパゲッティ)でないと
満足しない。食べた気がしないから」という。
確かに麺類好きの私の家内も同じ事を言っている。

だからといって、ショートパスタの様々に工夫された意匠、可憐な色彩、
食感を軽視していい筈がない。
実用的な面として、数人で皿をシェアする際のショートパスタの取り分け
の容易さは、どんなロングパスタも及ばない。

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ショートパスタがあってもレストランの融通の無さにがっかりすることもある。
都内某5スターホテルのコーヒーショップで、ランチタイムにロングパスタ
料理数種類とペンネのアラビアータ(何という凡庸な!)というメニューが
あった。

店内はやや込んでいたが、ピーク時を外して来店したので大丈夫だろう
と思い、ロングパスタメニューのサルサ(確かボロネーゼ)に、パスタを
ペンネに替えて、とウエイトレスにオーダーした所、彼女は上司や厨房に
可否を尋ねるまでも無く「ランチタイムで忙しいのでできません」と
いけしゃあしゃあと答えやがった。
理由を質そうとマネージャーを呼ぶと、何故か厨房からシェフが
出て来て平謝りに謝っていたが。

まさにホスピタリティ以前の問題だが、まだこんな対応をしても生き残って
いられるホテルがあるのかと思うと、逆に感心してしまう。

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シンガポールに住んでいた際、頻繁に通った"Sketches"という
パスタ&ワイン・バーは、6種類のイラスト説明付きのパスタと、
10種類ほどのサルサの中から自由に選び組み合わせ、ポーション、
トッピング、茹で加減の好みをオーダーシートに自分で記入して手渡す、
というお洒落なシステムの店だ。
"Desigh a Pasta" というフレーズで当時は大人気だった。

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そこのオーナーに依頼され、日本人にも分かりやすいようにシートを
和訳し、オーダー方法の日本語マニュアルを作ったのは私の家内だ。
実はここは私のシンガポール生活において忘れられない重要な役割を
果たす店なのだが、その詳細は別の機会に。

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・・・今日はクリスマス・イブ。夕食には好物の「ファルファッレの
トマトグラタン」をリクエストしているが、さてかなえられるだろうか。

写真は1-3枚がショートパスタのイメージ。
4枚目がシンガポールのRobertson WalkにあるSketches
のオーダーシート。
5枚目がSketchesの外観。
ゴッホの「夜のカフェ・テラス」のような、黄色、黒、白を貴重にした
インテリアの店だ。
この他にインターコンチ横のBugis Junctionにもお店があった。
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by Mikio_Motegi | 2009-12-23 23:55 | ブレイク

読書週間 2009

読書週間である。この時期神田の古書街では「古本まつり」が催されていて、
学生時代は良く出かけたものだ。
京都ではお盆の時期に下鴨神社の境内で同じく「古本」の市が立つが、
クソ暑い真っ盛りに屋外で立ち読みでも無いので、私は行く気がおきない。

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実は私は今年の年頭から「読書ノート」というものを書きはじめている。
再読を含め月に5-6冊、毎年60-80冊程のペースで読書をしているのだが、
昨年は何だか同じようなテーマの本を買ってしまうことが続いた。

本の内容をしっかり把握していないからこういうことがおきると猛省する。
このままだとかつて読んだ本を思い出せずに再購入してしまうという屈辱の
事態がおきかねない。
そこで今年から、本を読み終えた後はメモ代わりに「読書ノート」を書くことに
したのだ。

本を読みながら気になる箇所に傍線を引いたり、ページの端を折る人は多い
と思うが、私の「読書ノート」はその部分をノートに書き出すだけの簡単なもの。
自分なりの感想とか意見、反論等を書くという高度なものではない。
PCのキーボードを使わず手書きでノートをつけることで、忘れがちな漢字の
学習機会にもなり、一石二鳥だ。

文学作品の感想はなかなか書けないものだ。
私の読み方が浅いのか、通り一遍のどこかから借りてきたような感想しか
浮かんで来ないのは目に見えている。そしてその駄文を後で読み返すのが
たまらなく嫌だ。
いきおい「ノート」に記すのはビジネス書、啓蒙書、随筆の類が多くなる。

ところで私はビジネス書の、特にベストセラーになった本は意識的に
読まないようにしている。
時代の空気を読んでビジネス書を選ぶと、自然とベストセラーばかりを
読むことになる。そしてベストセラーのノウハウに従うということは、皆が同じ
タイプの成功を目指すことになる。
が、競争社会で皆が同様に成功することはありえない。
私のような零細業者が時代を生き抜いていくには、「逆張り」で行くしかない
のだから。

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さて再読を含め今年1年間で読んだ中で特に印象に残った本が下記
(順不同):

1.「編集者という病(やま)い」 見城徹      幻冬社文庫
2.「ポーツマスの旗」      吉村昭      新潮文庫 
3.「ベトナム戦記」        開高健      朝日新聞社文庫
4.「無印ニッポン」        堤清二・三浦展 中公新書
5.「虚人のすすめ」       康(こう)芳夫   集英社新書

3.を除き基本的にアウトロー的な内容、著者であることに気付く。

また、読んでがっかりした本、「金と時間を返せ」と言いたくなった本と
その理由は以下:

6.「子供あっての親」             石原慎太郎 幻冬社文庫 
7.「スティーブ・ジョブズ 人を動かす神」 竹内一正  経済界
8.「祖父 吉田茂の流儀」          麻生太郎  徳間文庫 
9.「白州次郎の生き方」            馬場啓一  講談社文庫 
10.「日本は没落する」            榊原英資  朝日新聞社 

6.・・・バカ親の典型。ちなみに私は著者の熱烈な愛読者だ。
    「わが人生の時の時」などしみじみと素晴らしいと思う。
    しかし6.を上辞した頃から彼はおかしくなってきたようだ。

7.・・・「二番煎じ」の失敗例。但し姉妹本「神の交渉力」には本当に影響を
    受けた。
    
8.・・・宰相になる人にはIQ試験を課すべき。

9.・・・権力者をアイドルに仕立ててどうする。白州の本当の魅力に迫って
    いない。

10.・・・中国に対する信じられない認識の甘さを露呈(112ページ)。
     この一文が無ければ良かったのに。

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こうして眺めてみると、外国人の著書が無いことに気がつく。今後は意識して
購読しようと思う。

写真は上が神田古本まつり風景。「Book Town じんぼう」のHPより。

    中は私が現在ヒマを見つけては少しずつ再読している開高健の
    「私の釣魚大全」。
    近所の現代的古本屋「あかいも」のご主人推奨。

    下が今年印象に残った本。
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by Mikio_Motegi | 2009-11-01 12:04 | ブレイク

おひとりさま 

「おひとりさま」というタイトルのテレビドラマの放映がはじまった。
もとよりその時間にテレビドラマを見ている時間も余裕も無い私だが、
「おひとりさま」という言葉にはある思い出、感慨のようなものがある。

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ところで「おひとりさま」という表現が実は登録商標で、承諾なしに勝手に
その言葉を使うことを禁じられていることをご存知だろうか?
「おひとりさま向上委員会」 http://ohitorisama.net がこの
コピーライトを所有している。

「おひとりさま」とはジャーナリストで作家の故岩下久美子さんが考案
したもの。
彼女の唱えた「おひとりさま」の理念を簡単に表せば、
「ひとりでも生活をエンジョイできる大人の女性」ということだろうか。

別に独身である必要はなく、既婚者でももちろんかまわない。要するに
群れず、妥協せず、やせ我慢せずに生活をエンジョイできる女性に
なりましょう、というのが故岩下女史の唱えたかった理念なのだ。

そして岩下さんが起こした具体的なアクションは、女性がひとりで訪れても
奇異な目で見ないレストラン、ホテル、旅館を一軒でも多く増やす啓蒙運動
だった。
特にその頃の温泉旅館など、女性がひとりで訪れようものなら、それこそ
地元の男を逆ナンパに来たかそれとも自殺願望者としか見られなかった
時代だ。

岩下さんや彼女の仲間達は粘り強くホテルや旅館、旅行代理店と交渉を
続けた。
その結果「おひとりさま」がマーケットとして潜在需要があることを認識した
それらの施設は、「おひとりさま宿泊プラン」を企画造成し、特別な
アメニティを用意したりして、徐々に認知するようになってきたのである。

ちなみに岩下さんは2001年9月1日に旅行先のプーケットで事故死を
遂げているが、私はその4日前に、東京で彼女を囲んで会食をしている。
その時は私はシンガポール在住しており、日本にはセールスコールで
一時帰国していた。
集まったメンバーは高名なホテル・メディアの編集長、外資系の
ホテルコンサルタント、独立系ホテルコンサルタント、会員制高級ホテルの
総支配人とそのアシスタント、そして岩下さんという刺激に満ちた面々。
当時で赤道直下の国々のホテルに6年も勤務していた私が、相当場違いな
存在だったのは間違いない。

だが私の真正面に座った岩下さんは、そんな「浦島太郎」の私にも
「おひとりさま」の地位向上の取り組みについて情熱的に語ってくれた
ものである。

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先日久しぶりに新宿のパークハイアットにある「ニューヨーク・グリル」を訪れた。
日本で最も予約の取りにくい最先端のレストランのひとつだが、そこでの
ランチタイムにひとりで食事を楽しんでいる女性客を数名みかけた。
彼女達は別に肩肘張るでなく、サーブされる間も虚空をみつめたり景色や
周囲を眺めたりして、違和感無く溶け込んでいる。
スタッフに聞くと、ここではランチだけでなくディナーでも女性の一人客は
多いようだ。

・・・もちろん会社人間が群れたり妥協したりして徒党を組み、昼食時はほぼ同じ
メンバーで連れ立って食事に出かけるのは、或る意味重要な政治的行為で、
共同体の一員である事を確かめる儀式でもある。

だがパークハイアットの光景と「おひとりさま」のテレビ放映があいまって、
故岩下女史が唱えた理念がようやく根付いてきた事を私は素直に喜びたい。
また現在の「おひとりさま向上委員会」が、彼女の理念、意思を引き継いで
確実立派に活動を続けていることを祝福するものである。

岩下女史の足跡、顔写真は上記「おひとりさま向上委員会」のホームページに
詳しく載っているので是非ご覧頂きたい。

そこでもわかるように、彼女はジャーナリストとして有能だっただけでなく、女性
としても実に魅力的だった。
上記の会食の僅か4日後に岩下さんはプーケットで事故死したわけだが、
事件の一報を新聞の夕刊で知った出席者の某氏の、その時の悲嘆の
くれようといったらなかった事実が、彼女の魅力の一端を示している。
・・・何があったかは知らないが。
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by Mikio_Motegi | 2009-10-25 22:20 | ブレイク

中川昭一と宋文州

中川昭一前衆議院議員の突然の訃報に接し、昨年読んだ
「どうした、日本-中川昭一と宋文州の不愉快な対話」を再読してみた。
(ダイヤモンド社刊 2008年4月第1刷 1429円)

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宋文州氏は1963年中国生まれ。大学卒業後日本に国費留学、北海道大学
大学院卒業するも、天安門事件で帰国を断念。
その後PCソフト販売のソフトブレーン(株)を創業。
現在は経済界の若手論客・外国人経営者として執筆や講演にひっぱりだこの
人物。

同書はこの宋氏と交流のあった中川氏が、日本の抱える様々な問題について
語り合ったもの。「格差」、「外資への偏見」、「少子化」、「教育」、「日米関係と
日中関係」など話題は多岐にわたる。

印象に残った言葉をいくつかピックアップしてみる:

*****

「差の無い世界は自然界に存在しない。逆に言うと差の無い世界は
死後の世界」

「田園生活を満喫している人たちの年収が都市生活者より低いからといって、
人間としての価値が低いわけではない。その違いは『格差』で括るべきでは
なく、『選択』としてとらえるべき」

「日本で言うところの格差は、中国で言う『所得差』のこと。それを明確に」

「その国の国民が物事を前向きに捉えているか、後ろ向きに捉えているかが、
経済の実態より重要の筈。日本に外国資本が参入しづらい理由の一つは、
国民の後ろ向きの姿勢にある」

「これまでは考えられなかった抜本的な改革を2-3断行するだけで、
人々の気持ちが変わる」

「僕は今、『死』について意識しはじめています」   

「少子化を恐れるな。70才までは老人ではないと設定し、企業の雇用制度を
改革し年功序列意識も変える。部下に先輩がいたり、上司に女性が
いたりすることに抵抗感を持たない。女性の社会進出をもっと促進する
環境整備をすべき」

*****

私はこの本が出版される直前の2008年1月に、帝国ホテルで催された
ACCJ(在日米国商工会議所)の新年パーティーで中川氏にお目に
かかっている。

氏は早々とワイングラスを傾けて、他の出席者の挨拶を受けながらも
名刺交換をするわけでもなく、静かに飄々と人々の間をかき分けていた。
確か議員バッジも外していたと思う。

「代議士」というととにかく目だちたがり、お山の大将的な人ばかりだという
印象があるが、彼の佇まいは明らかにこうした他の代議士達と違っていた。

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この本で宋氏が「中川さんはどんな相手であっても話を聞く姿勢がとても
真摯です。
しかも人の話を聞いて心から納得すると、本当に意見が変わることがある」
と指摘している。
また上記にも挙げたが「僕は今、『死』について意識しはじめています」 と、
およそ政治家らしくないことを平気で言う。

保守派の論客・経済通として馴らし、非業の死を遂げた亡父中川一郎の意思を
継いで次期総理大臣を目指すと期待されていた人だった。
周囲の期待に押しつぶされての死でなければよいのだが。

写真下は故中川一郎。久恒啓一氏のブログより拝借。
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by Mikio_Motegi | 2009-10-10 16:59 | ブレイク