ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

カテゴリ:ブレイク( 76 )

中国人観光客争奪戦

上記の記事が本日の読売新聞の経済欄に大きく掲載されていた。
それによると、経済の急発展と共に中国から海外への旅行者は急増して
おり、2005年度は約3100万人、1995年が500万人弱だったので
6倍近い伸びを示した。
日本人の出国数は1754万人(2006年)なので、既に大きく上回っている。

中国人のDestination(行き先) は上位より
1.香港 1273万人
2.マカオ 237万人
3.シンガポール 89万人
4.タイ 76万人
5.ベトナム 75万人
6.イタリア! 73万人
以下 韓国、ロシア、日本、マレーシア、ドイツ、オーストラリア、アメリカ
と続く。

実は2003年1月の「トラベルビジョン」に「10年後の日本旅行業界」
という特集があり、その中で「2010年は海外旅行1300万人、
訪日旅行1200万人で出入り拮抗」という分析がなされていた。

当時、マレーシア・ペナン島のシャングリ・ラ ラササヤンリゾートに
勤務していた私はこの記事を読んで思わず「これだ!」と膝を打ったものだ。
時代はアウトバウンド(海外旅行)からインバウンド(訪日旅行)に変わり
つつある、という私の意見を理論づけてくれた記事だったのだ。

私が注目したのは中国人の訪日旅行だった。当時日本人の人口の10%
にあたる1200万人が毎年海外旅行に出かけていたが、もし人口10億
の中国人の10%が海外旅行に出るとしたら1億人。少なく見積もって
3%だとしても3000万人が出国する計算だ。
そして海外旅行慣れしていない彼らの最初に選ぶDestinationは
日本ではないか、と予想したのである。

日本は北は北海道から南の沖縄まで優れた観光資源が多く、秋葉原や
銀座に代表されるショッピング環境も充実している。
また大事なことだが、中華思想の強い彼らにとって日本はかつての周辺国
というイメージがあり、欧米に行くのと違いコンプレックスを感じる事が少ない、
というの私の分析だった。

加えてその頃は石原東京都知事がギャンブル施設建設の構想をぶち上げて
いた。ギャンブルが大好きな中国人がこれにも飛びつく、と思ったのである。

その数日後に実父が他界したことをきっかけに、私は8年になる海外生活を
止め、帰国を決心した。仕事もそれまでの日本人海外旅行客相手から、
海外からの訪日客にターゲットを変えたのである。

あれからまもなく4年になるが、予想したほど中国人訪日客は増えていない。
上記の表にもあるように、日本はベスト5に入っていない。私達は彼らに
選ばれていないのである。

ドイツでは、彼らの一人当たり一晩での支出額は228ユーロ(約3万7千円)で、
アメリカ人のそれ(152ユーロ、約2万5千円)を大きく上回る(読売新聞)という。
日本はもっともっと観光収入を重視すべきだ。
「yokoso(ようこそ)日本」キャンペーンも最近下火のような気がする。
シンガポールに於ける観光収入はGDPの13%にのぼり、全産業中1位だ。
まだ日本ではほんの数%にすぎないが、国庫を増やす単純なこの戦略に
もっと注力してもらいたい。我々の明るい未来の為にも。

写真はシンガポールにオープンするカジノ、米サンズ社の施設
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/5019488.stm より
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by Mikio_Motegi | 2007-06-03 22:33 | ブレイク
俳優・北村和夫が亡くなった。その名前を聞いてもピンと来ない人でも、
下の顔写真をみれば「ああ、あの俳優」と思い出す人は多いだろう。

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彼のバイオグラフィーを探してGoogle を30分以上渉猟したが、彼を
「映画俳優」「多数のTVドラマ、映画に出演」と紹介していても舞台俳優
として印象付ける記事が極端に少ないのは残念だ。
北村和夫は文学座の舞台俳優である。

私が高校1年の時読んで以来、自分の愛読書ランキングNo.1である「シラノ・
ド・ベルジュラック」(岩瀬孝訳 旺文社文庫 廃刊)に、彼が演じたシラノ、
小川真由美のヒロイン・ロクサーヌ、細川俊之のクリスチャンの舞台写真が
ふんだんに載っている。私はそれを眺めながらシラノの雄姿、ロクサーヌ
の可憐にずっと憧れ続けた。
たしかに「スター」俳優でない北村が、豪快無双の剣豪であり当代一流の
芸術家、そして異形の鼻を持つシラノを演じているのに少々違和感が
あったのは確かだ。でも私はそんなことより、ビジュアル化したシラノを
眺められることが大満足だった。 

もっとも私は実際のその舞台を見ていない。上演されたのが1968年度の
30数回のみで、その頃の私はまだ小学3年生だ。いくらなんでも
「シラノ」を理解するには早すぎる。
この本が刊行されたのは1970年で、その時には既に北村の「シラノ」
が舞台にかかることは無くなっていた。
長年憧れ続けた「シラノ」をこの目で実際に見たのはずっと後の1982年
の大学生の時。シラノは北村ではなく江守徹、ロクサーヌは平淑江、
クリスチャンは大出俊だった。

私が北村を見たのはやはり大学生の時で、故杉村春子!主演の
「欲望という名の電車」だった。映画ではマーロン・ブランドが演じていた
スタンレー役だが、ブランドとは違ったタイプの、「やや悩める粗野な
肉体労働者」というイメージ作りが面白かった。

この秋、江守による「シラノ」が20数年ぶりに東京で再演されるようで、
今から楽しみである。
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by Mikio_Motegi | 2007-05-08 21:11 | ブレイク

城山三郎の訃報に寄せて

「男子の本懐」や「落日燃ゆ」、「粗にして野だが卑ではない」等の骨っぽい日本人を描かせたらピカ1だった作家の城山三郎が昨日(3月22日) 亡くなった。79歳だった。
たまたま私が愛読する塩谷信幸先生のブログに城山の「硫黄島に死す」が取り上げられたのが17日。それに触発されて彼の作品を読み返しているときの訃報だった。http://blog.excite.co.jp/shioya-antiaging

私が彼の作品を初めて読んだのは中学3年生の時で、亡父が購読していた「週刊朝日」に掲載されていた「通算官僚たちの夏(後に官僚たちの夏と改題、新潮社で出版)」だった。中学生にはちんぷんかんぷんだったが、男の生き様、働くことの熱気のようなものは感じることが出来た。何故か今でも書架に置いておいて、仕事に行き詰った時、うまく物事が廻らないと感じた時々に読み返してみたくなる作風だった。

評論家の佐高信が城山の作品を、上記のような歴史上の人物・著名人の足跡を掘り起こしたものと、いわば市井の無名の人々を描いたものとに大別することが出来る、と言っている(「イースト・リバーの蟹」新潮文庫の解説)。
後者の作品群で私が好きなのは「真昼のワンマン・オフィス」だ。「アメリカの真昼のようにまばゆい繁栄の中で黙々と生きる彼ら達。広大な大陸のはずれにひとりだけで駐在する例も珍しくない。彼らはその事務所を、半ば自嘲を込めて「ワンマン・オフィス」と呼ぶ。深い孤独と隔絶。現代版のる民の生活である」(作者あとがき)。ビジネス社会の、人生の向こう側を見つめたような作品だった。

タイトルがユニーク、印象的でもあった。上記の他に「毎日が日曜日」「堂々たる打算」「打出小槌町(うちでのこづち)町一番地」等、本屋の書棚でついつい手にとってみたくなる。
また「女が描けない」ことでも有名で、本人も気にしていたようだが、それがまた彼らしかった。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-23 11:09 | ブレイク

2月14日

2月14日は、作家の故開高健(かいこう たけし)の命日だ。正確に言うと彼の本当に亡くなった日は12月9日で、2月14日は彼の最初の命日である。
・・・どういうことかというと、開高は1965年2月14日、ベトナム戦争の従軍記者として米軍に同行していたが、 取材中ベトコンに襲撃された。200名の米軍部隊兵のうち生存したのがたった17名という酸鼻(さんび)極まるすさまじい戦闘だったが、将に奇跡の生還を遂げたのである。開高はその後「2月14日は俺の最初の命日や」と言い、毎年この日になると一緒に従軍していてこれも奇跡的に助かった秋元啓一カメラマンと二人で酒を酌み交わしたそうだ。

私は開高の作品が好きで、殆どの彼の作品を読んだ。また8年間の東南アジア在住中には特に香港やベトナムでの滞在を背景にした小説や随筆を何度も読み返した。
彼の作品には、東南アジア特有の深い闇と、粘っこい風を感じることができるのである。

また開高は、「明日、地球が滅びるとも、今日君はリンゴの木を植える」という言葉を好んで色紙に書いた。私もいつかこういう言葉を書ける様になりたい、と常々思うが。

写真は晩年の開高 http://kaiko.jp/association/ より
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by Mikio_Motegi | 2007-02-16 10:41 | ブレイク

Still Life / 静物

9歳になる長女が最近ピカソに興味を持っており、作品数は少ないが展示作品が観られるということで、3連休の最終日ということもあり国立京都近代美術館(MOMAK)に家族で行ってきた。写真は1938年、ピカソ57才の時の作品の「静物-パレット・燭台・ミノタウロスの頭部」である。

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最近の美術館はストロボさえ焚かなければ写真撮影を許可してくれるところが多い。おかげで我がブログもビジュアル面を充実させることが出来る。
初めてピカソの現物を観たのは1989年のセゾン美術館で開催された「ニューヨーク・グッゲンハイム美術館展」の「マンドリンとギター」だった。あの大作に受けた衝撃は今でも忘れられない。ピカソのエネルギーが充満し、昇華したような力強さ!魂を込めるとこんな造形ができるのか、と人間の力を再認識させられた。この「Still Life/静物」も、その片鱗を充分に魅せてくれている。

帰り途、折りしも成人式の式典がMOMAKの隣で催されていて、多くの新成人の大群の中に入り込んでしまった。私の母方の実家は桐生で生糸の問屋を営み、母は茶道教室を経営している。その為子供の頃から着物を見るのは馴れていたが、いやはや最近の振袖のカラフルなこと。勿論殆どが初めて着物を着るような風体だが、流石は京都、ビシッと決まっている若者も多い。印象に残ったのは織田信長のようにちょんまげ頭にマントを羽織った男、新撰組隊士風の一群。ヘアスタイルもボンバーヘッド風、ドラッド・ロック風から伝統的な「桃割れ」風と、バラエティに富んでいる。どんな形にせよ若い世代が着物に親しむのはこの伝統文化を残す為に絶対必要である。

今年の新成人は全国で約130万人、一方で今年60歳になり定年退職を迎える人は200万人を超えるという。我々の世代は否が応でもこの若者達に将来を託さなければならないのだ。
ピカソが青の時代からバラの時代を経て、やがてキュービズム、新古典主義を構築したように、今年の新成人たちも大きく変化を遂げていって欲しいものである。

写真はMOMAKから見た平安神宮の鳥居と京都国立博物館、新成人の大群。

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by Mikio_Motegi | 2007-01-08 22:45 | ブレイク

ポインセティアに想う事

昨夜、京都府立植物園でクリスマスシーズンのライトアップを見てきた。
神戸のルミナリエとは比べようも無いが、お役所仕事にしては珍しく、入園者をうきうきさせる洒落たライトアップが施されている。温室内のポインセティアのコーナーは、クリスマスを飾る花としても有名なせいか、記念写真を撮る人々が行列を成すほどだ。


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ポインセティアはメキシコの原産で、19世紀に駐メキシコのアメリカ大使ポインセットが本国に持ち帰り、人気が広まったもの、というのが通説だ。誰がつけたのか知らないが、この花はアメリカ人の名を冠しているのだ。

16世紀、スペインのコルテスやピサロが当時のアステカ・インカ帝国を征服し、黄金や香辛料に代表されるこの地の富を収奪、ヨーロッパ文明の配下に収めた。ヨーロッパやアメリカが繁栄したのは、南米やアジア、アフリカの諸国から吸い上げた富が源泉になっている、という説の端緒となるエピソードである。幸い日本はその時代はヨーロッパに征服されずに済んでいたのだが。

クリスマスというヨーロッパ文明の象徴的な祭事を彩る花が、ヨーロッパに征服された地からもたらされたもの、というのは何とも皮肉な話である。この花が、嘗てスペイン語で”Buena Noche”(ブエナ・ノーチェ。美しい夜、という意味) と呼ばれていたことを知る人は少ない。
征服者の名と、美しい夜。私は可憐なこの花を手にとって見ても、どうしても「ポインセティア」と呼ぶ気になれないのである。

写真はライトアップ風景。

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by Mikio_Motegi | 2006-12-23 17:18 | ブレイク