ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

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2月14日

2月14日は、作家の故開高健(かいこう たけし)の命日だ。正確に言うと彼の本当に亡くなった日は12月9日で、2月14日は彼の最初の命日である。
・・・どういうことかというと、開高は1965年2月14日、ベトナム戦争の従軍記者として米軍に同行していたが、 取材中ベトコンに襲撃された。200名の米軍部隊兵のうち生存したのがたった17名という酸鼻(さんび)極まるすさまじい戦闘だったが、将に奇跡の生還を遂げたのである。開高はその後「2月14日は俺の最初の命日や」と言い、毎年この日になると一緒に従軍していてこれも奇跡的に助かった秋元啓一カメラマンと二人で酒を酌み交わしたそうだ。

私は開高の作品が好きで、殆どの彼の作品を読んだ。また8年間の東南アジア在住中には特に香港やベトナムでの滞在を背景にした小説や随筆を何度も読み返した。
彼の作品には、東南アジア特有の深い闇と、粘っこい風を感じることができるのである。

また開高は、「明日、地球が滅びるとも、今日君はリンゴの木を植える」という言葉を好んで色紙に書いた。私もいつかこういう言葉を書ける様になりたい、と常々思うが。

写真は晩年の開高 http://kaiko.jp/association/ より
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by Mikio_Motegi | 2007-02-16 10:41 | ブレイク
なんで30年ぶりにこんな本を読んだかというと、「それから」の主人公長井代助に現在の「ニート」の原型がる、とある人に言われたからだ。
ニートとは Not in Education, Employment or Training, つまり学生ではなく、職を持たず且つ就労に向けた具体的な活動をしているわけでもない若者のことをさす。
ここ数年の社会現象になっている言葉であり、私の商売柄こういう若者が増えるのは困ったことである。だからニートを少し研究してやろうと思い、書店で買い求めたのである。

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時代は明治後期、主人公の長井代助は実業家の父親から生活費の援助を受け一軒家を構え、身の回りの世話をしてくれる書生と婆やと暮らしている。毎日読書、骨董や絵画、音楽を鑑賞し、観劇にでかける「高等遊民」三昧の生活だ。そこへ大学時代からの親友平岡が妻の三千代と東京に帰ってくる。平岡は地方の勤め先で失敗し、東京で職探しに奔走している。三千代は嘗て代助と愛し合ったが、平岡の為に譲った、という経緯がある。この二人がやがて再び愛し合うようになり・・・というあらすじだ。

あまりの文章の美しさにニートの研究のことなどすっかり忘れて読み耽(ふけ)ってしまった。
が、読んでいるうち、代助の生活は現代のニートの概念からかけはなれたものであることがわかった。つまり優雅なのである。それに比べ現代のニート達の生活はあまりにも淋しい。
物語の終わり、父親から放逐され収入の当てがなくなった代助が街に飛び出し、精神に異常をきたす。
極端なことを言うようだが、現代のニートを抱える親も悪いと思う。
現代のさして裕福でない親元に寄生しているニートたちは、いつか親に勘当され追いだされることはあるのだろうか。ニートの問題には親達の意識改革が欠かせないと思うのである。

ニートについては、その定義も含めまた後で触れることとする。
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by Mikio_Motegi | 2007-02-09 22:23 | 人材・ホテル
節分の今日、京都御所東側にある盧山寺に節分会(せつぶんえ)を見に行く。
鬼に扮装した寺男たちが加持祈祷を捧げ、舞台上で狂言を繰りひろげる。仏教発祥の地であるインド舞踊を奉納したり、もち・豆を撒いたり計2時間ほどのイベントを楽しんだ。狭い境内におそらく千人以上の見物客が詰め込まれ、身動きも出来ないほどの大盛況だった。

これで今年も無病息災と言いたいが、実は私は京都に移り住んで節分会を見るのも今年が初めて、家での豆まきも今年が初めてである。過去の2月3日は全てウィークデイで仕事が詰まっていた為だ。それでも別段大病せず、災難にも会わなかった。
この世代では私は信心深い方だと思うが、生来のへそ曲がり癖で、こういう大人数の集まる神事・儀式に本能的に胡散臭さを感じてしまうのである。神事・儀式は出来れば人の少ない、ひっそりとした空間で同じ価値観・目的意識を共有した者のみが執り行えばいい。

この性格は二人の娘にもしっかりと遺伝していて、彼女達は夢中になって集めた折角の福豆を、家に持ち帰っても食べようとしない。この紅白の豆を一つずつ食べると6年間は無病息災でいられる、といわれる。我が家が集めた豆は紅が3、白が4。家族で分けるには紅が一つ足りない。私は家族に食べさせようとしたのだが。
「どうして食べないの?あんなに夢中になって集めたのに」と娘達に聞くと、「あれはあのとき楽しかったからもういいの。だいいち食べ物を投げたりして、粗末にしたらあかんで、あの人たち」と言って取り合わなかった。

写真は降魔退治の加持をする鬼と、撒かれた紅白の蓬莱豆。

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by Mikio_Motegi | 2007-02-03 23:39 | 京都・紀行