ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

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4月はタケノコのシーズンである。今から3年前、2004年の3月後半から
5月のゴールデン・ウィーク明けまで、私は京都でタケノコを売りまくっていた。

前年の6月に長年住んだ東南アジアから帰国し、私は妻の実家のある京都で
事業を興した。
貿易業である。東南アジアで作られるリネン類、ウェディングドレス、
インテリア家具等を輸入し国内のレストランやホテルに卸す、又は国内製品を
アジアのホテルやレストランチェーンに売る、貿易エージェントの仕事だ。

ハッキリ言ってなかなか儲からず、当時は商売になるものだったら何でも
飛びついた。そんな時今の会社の川井代表の紹介で知り合った京都で
代々続くタケノコ農家のM氏と意気投合し、彼の掘り出すタケノコを
私の友人・知人や知り合いのホテル・レストラン業界に片っ端から
売りまくったのである。
名義は運送業を営む義父の会社名を利用した。

タケノコというと竹林に勝手に生えてくるもの、と思われる方も多いかも
しれない。それは全くの誤解だ。
高級品質のタケノコはほぼ1年かけて農家が丹精込めて育てるのである。
実際にM氏の竹林に行き丹精込めて育てられたタケノコの姿を見て、
情報発信の仕方次第でこれは売れる、と閃(ひらめい)いた。

京都のタケノコの由来、丹精に育てる過程等を写真付きのデータに
落とし込み、添付ファイルで友人・知人やホテル・レストランに片っ端から
メールを送った。
様々な異業種交流会に参加し、タケノコを実際に賞味してもらい即売したりした。
主要ホテルや会員組織のレストランの総支配人にサンプルを送りつけ、
大量購入に繋がった例もある。

反応は上々。ネットで注文を受けた私がクール便の伝票に送付先を書き込み、
タケノコをゆがくのに使う糠(ぬか)と鷹の爪(唐辛子)、そして簡単なタケノコの
由来を書いたしおりをM氏のタケノコ林近くの農協に運び込む。
M氏は朝早くから夜中まで一日がかりで掘り出した新鮮なタケノコをその農協
で箱詰めし、出荷する。
これが平井源治郎商店謹製「京都・洛西の朝掘りタケノコ」である。

2ヶ月間の売上げは1,000万円近くに上り、現在の月収よりはるかに多い現金
が手元に残った。

・・・しかしその2ヶ月間で私は精も根も尽きた。忙しすぎたのである。
殆ど毎日タケノコ売りに奮闘していた為、起業を計画していた人材紹介事業の
仕事が全く手につかなかった。

形が悪かったりして売れない商品は持ち帰り、当時居候していた家内の
実家の母にゆがいてもらう。
タケノコは鮮度が命だ。掘り出したらなるべく時間を置かずにゆがかないと
独特の「えぐみ」が出てしまう。
京都人は皆タケノコ料理が大好物だ。特に義母の手料理「タケノコの若布
(ワカメ)炊き」は絶品だった。
が、毎日毎日タケノコばかりを食べさせられ、流石に家族全員食べ飽きたのも
事実。

その年の6月に京都コンサルタントを設立、有料人材紹介業を立ち上げ免許を
取得し、タケノコ販売から足を洗った。今ではタケノコを売りまくった3年前が
遠い昔の事のようだ。

今でも時たま、昔の顧客がその年のタケノコの出来を問い合わせてくる。
またどこで噂を聞いたのか、東京で輸入食材をネット販売している
見ず知らずの人が、タケノコだけじゃなく賀茂ナスや九条ネギ、金時にんじん
等京野菜を扱う商売を起こすので一緒に組まないか、などと連絡してくる。
もちろん丁重にお断りしているが、それはそれで嬉しいものである。

今の人材商売が傾いたら、今度は本気でタケノコにとり組もうかと思う。
「京都コンサルタント謹製 洛西のタケノコ。1箱5キログラム入り 10,000円」
10箱以上の大量注文に付き、1箱サービス。
皆様、お一ついかがですか?

写真はタケノコとM氏所有の竹林。この写真を撮影した後、ハンターに追われ
た野生のイノシシが凄い勢いで目の前に飛び込んで来て、肝を冷やした。
場所は長岡京の近く。サントリー山崎蒸留所のやや京都よりの北側の小高い
山が私達のタケノコの生える竹林である。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-31 23:03 | 京都・紀行

ニューオータニ東京

昨日1泊した。さすが旧御三家,思ったよりはるかに快適だった。老舗ホテルの常である年寄りスタッフが前面に出ておらず、フロント、コーヒーショップ、ベルに若々しいスタッフが目立つ。
慇懃無礼(いんぎんぶれい)な所作は全く 見られず、皆フレンドリーで笑顔に溢れている。
ただ当日はサッポロとの統合問題で揺れるアサヒビールの株主総会があり、宴会エントランスから入ってしまった私をスタッフが株主と勘違いし、総会受付にエスコートしてしまう、という笑い話があったが。もちろんその後のフォローとチェックインは完璧。

外資ホテルの大攻勢に対抗すべく、オータニは現在総工費数十億円をかけて本館をリノベーション中だ。コンセプトは「禅」。和のイメージを強調するのだそうだ。

改装後の本年10月1日にオータニの各フロアは以下のようにマーケットがセグメントされる。

本館上層階   →ザ・メイン・エグゼクティブフロア VIP・セレブリティ・富裕層向け
本館中・低層階 →ザ・メイン               コーポレートゲスト
タワー階     →(改装せず)             グループ、インバウンド

要するに今までの本館とタワー階のコンセプトが逆転するわけだ。

4月には中国の温家宝(ウェン・チアバオ)首相一行を迎える。
オータニのホスピタリティは、果たして冷えている日中関係を温めることが
できるだろうか。
それより当日は館内が「盛り塩」だらけだったりして。

写真はタワー階の客室と、32階からの眺め。赤坂迎賓館越しの新宿・高層ビル群。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-29 22:46 | 人材・ホテル

城山三郎の訃報に寄せて

「男子の本懐」や「落日燃ゆ」、「粗にして野だが卑ではない」等の骨っぽい日本人を描かせたらピカ1だった作家の城山三郎が昨日(3月22日) 亡くなった。79歳だった。
たまたま私が愛読する塩谷信幸先生のブログに城山の「硫黄島に死す」が取り上げられたのが17日。それに触発されて彼の作品を読み返しているときの訃報だった。http://blog.excite.co.jp/shioya-antiaging

私が彼の作品を初めて読んだのは中学3年生の時で、亡父が購読していた「週刊朝日」に掲載されていた「通算官僚たちの夏(後に官僚たちの夏と改題、新潮社で出版)」だった。中学生にはちんぷんかんぷんだったが、男の生き様、働くことの熱気のようなものは感じることが出来た。何故か今でも書架に置いておいて、仕事に行き詰った時、うまく物事が廻らないと感じた時々に読み返してみたくなる作風だった。

評論家の佐高信が城山の作品を、上記のような歴史上の人物・著名人の足跡を掘り起こしたものと、いわば市井の無名の人々を描いたものとに大別することが出来る、と言っている(「イースト・リバーの蟹」新潮文庫の解説)。
後者の作品群で私が好きなのは「真昼のワンマン・オフィス」だ。「アメリカの真昼のようにまばゆい繁栄の中で黙々と生きる彼ら達。広大な大陸のはずれにひとりだけで駐在する例も珍しくない。彼らはその事務所を、半ば自嘲を込めて「ワンマン・オフィス」と呼ぶ。深い孤独と隔絶。現代版のる民の生活である」(作者あとがき)。ビジネス社会の、人生の向こう側を見つめたような作品だった。

タイトルがユニーク、印象的でもあった。上記の他に「毎日が日曜日」「堂々たる打算」「打出小槌町(うちでのこづち)町一番地」等、本屋の書棚でついつい手にとってみたくなる。
また「女が描けない」ことでも有名で、本人も気にしていたようだが、それがまた彼らしかった。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-23 11:09 | ブレイク
3月18日の日曜日、我が家の小学校3年生の長女が英語スピーチコンテストに参加した。
今年で17回目を数える同コンテストは、京都の地元テレビ局KBSが主催する、「日本にいて英語を学ぶ小学生までのちびっ子を対象にした」スピーチコンテストだ。
http://www.kbs-c.co.jp/kid_english/index.html#ks17jyu

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予選エントリー年々増えて今年は全500組。そのうち本選出場が約100組。北は北海道から南は沖縄まで参加があったそうで、最近は全国レベルの大会になってきた。
長女のお題は"The School System in Singapore"というもの。昨夏のシンガポール旅行で、旧友に再会した彼女が知ったシンガポールの小学生の勉強の厳しさについての感想を、1000名近い聴衆の前で2分以内で暗証する。
実は彼女は大会直前までインフルエンザで寝込んでおり、殆ど練習ができなかった。それで却って力が抜けたのか、本番のパフォーマンスは上出来だった。
結果、長女は一般スピーチ部門の優秀賞を頂いた。グランプリ1名、最優秀賞4名、優秀賞は全部で8名。序列で言うと上から6番目、全エントリーの中で上位0.1%に入ったと言うわけだ。めでたしめでたし。

実は彼女は4年前の帰国以来、昨年を除く3回目のエントリーだ。3年前は最優秀賞、2年前は審査員特別賞を頂いており、いわばこのコンテスト入賞者の「常連」だ。

シンガポールとマレーシア・ペナン島でイギリス系インターナショナル・スクールに通い完璧なバイリンガルだった長女だが、帰国後の一番の親の心配はいかに彼女の英語力キープするか、だった。
知人達に、子供の頃に身についた言語は使わないと忘れるが、使い出せば直ぐにCatch Upする(思い出す)と言われたことを信じ、週1回の英会話教室に通わすだけで取り立てて英語を勉強させていない。
それでもメリハリをつける為にこのコンテストには参加させている。今回は1年生の次女も参加したが惜しくもテープ審査で落選、本選出場は成らなかった。

長女は6年生までにグランプリを取る、と今から闘志を燃やしているし、次女も来年こそは予選通過、と意気込んでいる。私も家内も子供達に負けないよう頑張らなくては。

実は一次審査があるのが毎年1月の中旬。よって我が家の年末年始はこのコンテストの準備に追われていて、落ち着いたお正月を迎えられたためしがないのである。Oh Yeah・・・

文中写真は大会ロゴ。下は受賞式後に英会話学校「ユニバーサル・キャンパス」の先生達に囲まれる長女と次女。この先生達の献身的なサポートがなければ賞など全くおぼつかなかった。多謝。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-20 23:03 | 京都・紀行

正社員のメリット

 "mixi" の「コンサルタント サロン」というというコミュニティで、「正社員の必然性」について
最近議論が交わされている。このコミュニティのレベルは高く、時々火花の散るようなな高度なディベートが行われ、私などはついて行くのがやっとだ。
 「正社員の必然性」とは、企業と労働者にとって正社員を雇用/就労することのメリットは何か、という問いかけである。

 「正社員」という言葉は慣用語であって、厳密な定義は無い。強いて言えば「正規雇用で企業に雇われた、従業員籍を有する労働者」といえるだろうか。

 正社員の特徴として以下が挙げられる:

 雇用期間 :期間を定めず、定年まで雇われる事が多い。
 賃金    :加齢とともに賃金があがる形態(いわゆる年功序列)が多い。
 昇進・昇格:加齢に伴い、ある一定の年齢になれば一定の役職に就ける場合が多い。
また、総合職、一般職といったコース別に分かれている場合は総合職の方が
昇進・昇格のスピードが速い。 (Wikipedia より)

 ・・・このように「多い」「速い」という傾向はあるが、何も確実に決定していることではない。

 ところで私の知人で、最近ある外資系企業の幹部職員として採用された男がいる。
彼の待遇は、 給料は業績に応じ1年毎に更改する成果主義年棒制、雇用契約期間は1年で更新有り、退職金無し、賞与無し、各種保険制度完備、海外研修制度有り、将来業績に応じ昇格のチャンス有り。
 彼の雇用形態はどこにでもある、立派な正社員扱いといえる。ところが実際の彼の雇用契約は「契約社員」だ。

 正社員であることの効能に、企業も労働者も「安心感」が得られる、という点もある。だが、本当にそうだろうか?正社員は安心が得られるかもしれない。が、上記の企業などはのコアとなる企画立案、実行、マネジメント、継続性を委ねられているのは彼のような契約社員である。

 自分を研鑽し続け、チャンスがあるや高賃金・高ステータスのキャリア転職を繰り返す。コアとなる企画・立案・実行を任せられる。もちろん失敗した際の責任は取る。こういう生き方を望むのなら、これからは正社員・非正社員にこだわる必要は無いと思う。

 参考までに、正社員でないと日本の銀行では高額なローン(例えば住宅取得ローン)を組めないという事実がある。が、外資ファンド系の「東京スター銀行」は契約・アルバイト社員でも条件次第でローンを組める商品を発売している。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-15 19:58 | 人材・ホテル
 滋賀県の東近江市五個荘(ごかしょう)町の、近江商人博物館と近隣の「商家に伝わるひな人形巡り」展に行ってきた。
 豪商屋敷が4軒、博物館になっていて江戸時代・寛永年間から伝わる豪奢なひな人形と家屋敷を堪能した。

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 驚いたのは、こうした豪商の屋敷や庭の造りが、私の生家や親戚・縁者のそれと非常に似ていることだ。私の実家のある群馬県桐生市は、昔は生糸で大変栄えた地方都市だった。近江商人たちがその繁栄ぶりに目をつけ、ここで商売を始めて定着したのだ。もちろん田舎都市の桐生商人たちは近江商人のもたらす新しい商売の手法、技術、文化に瞠目し、積極的に取り入れようとしたのはいうまでもない。
 よって桐生商人の家屋敷もこうした近江の影響を受けたのだろう。しかしまさかこんなところで私の実家や、今は商業地に再開発されてしまったが昔よく訪ねた親戚の家にそっくりの商家の佇まいに接するとは夢にも思わなかった。

 「近江商人は他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの『三方良し(さんぽう よし』である。取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した『三方良し』の原典は、宝暦四(1754)年の中村治兵衛宗岸の書置である」・・・http://www.shigaplaza.or.jp/sanpou/index.html

近江商人の系譜には、私がかつて勤務していた西武(セゾン)グループの他、伊藤忠、丸紅、ワコール、ややエリアは離れるが髙島屋等がある。

 三方良しをホテル業界に置き換えると、Customer Satisfaction, Employee Satisfaction そして Stake Holder Satisfaction であろう。
ホテル業界の皆さん、近江商人のこの教え、どう思いますか?
特に最後の 「世間良し・Stake Holder Satisfaction」について。

文中の写真は「豪商外村家住宅」のひな人形の展示。
下は同じく外村家の2階より庭を見下ろしたもの。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-11 18:31 | 京都・紀行

労働力増加の切り札

 もちろん切り札なんて無い。労働人口、主に単純労働者が不足しているのは日本だけではないし、お隣の韓国ももっと深刻だ。
ここで滞東南アジア歴8年(滞米とか滞欧とか言えないのが口惜しいが)の自称国際派の私が「開国論」を標榜し、もっと外国人労働者を移入せよと唱えるかというと、ちょっと違う。

 私の住んでいたインドネシア、シンガポール、そしてマレーシアは多民族国家であることは誰でも知っている事実だ。多民族ということは多宗教でもあり、同時に多言語であった。こういうところから日本を眺め、将来様々な肌の色の人々が暮らす日本を想像したかというと、実は全くできなかった。今流行の"Diversity/多様性"について言えば、私は「総論賛成・各論反対」の立場である。悲観主義者なのか、或いは真の国際派ではないのかもしれない。

 なんでこんなことを書くかと言うと、外国人労働者を増やす前にもっとやるべきことが山積していると思うからだ。具体的にはお年寄り、女性、ハンディキャップのある人をもっと活用できる体制、女性が安心して子供を産み、育てられる体制の整備を急ぐべきだ。

 日本では小さなお子さんを抱えている女性の就業機会は本当に限定されている。
対してシンガポールやマレーシアでは子持ち女性が会社のエグゼクティブである例なんて腐るほどある。母親の社会進出をバックアップするサポート体制がしっかり出来ているからだ。その為に例えばフィリピン等からベビーシッターのできる労働力を日本が移入するのなら、賛成だ。
もちろん国民全体が「子供は宝」という意識を共有することも大事だと思う。
 
 歴史家・歴史小説家の塩野七生(しおの ななみ)は「自国の人材の活用を忘れたのでは元も子もない。亡国の悲劇は人材がいなくなったがゆえに起こるのではない。- 国家であろうと私企業であろうと、衰退期に差し掛かるや、なぜか人材活用のメカニズムが狂ってくるのだ」と言っている。(「再び男たちへ」第22章 文春文庫刊)
  
 彼女の理論に従えば、日本は衰退期に差し掛かっている、ということになる。

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by Mikio_Motegi | 2007-03-09 00:08 | 人材・ホテル

匹夫(ひっぷ)の勇

 本日の京都商工会議所 国際ビジネス促進協議会の懇談会「タイ・ベトナムとのビジネス交流」で、コーディネーターを勤めた同志社大学の林廣茂(はやし ひろしげ)教授が、日本企業は海外に進出する際の準備が足りない、という指摘をしていた。

 パネリストで島津製作所(あのノーベル賞に輝いた田中耕一さんの会社)の部長がベトナム進出の際のエピソードが語っていた。島津は1997年にホー・チ・ミンに現地法人を立ち上げたが、担当者はベトナム語はもちろん法律、慣習等の調査等、全く下準備せずに一人で出向いていった。現地で何か問題にぶち当たった時は、街中の日本料理屋で日本人駐在員らしい人物を見かけると片っ端から声をかけ、ベトナムでのビジネスのノウハウの教えを乞うたのだそうだ。
驚いたのは、そのアホな事例をその部長氏はいかに島津が勇敢な企業だったか、徒手空拳でいかに困難を乗り越えたかを言い立てている。空恐ろしいことだ。将に匹夫(ひっぷ)の勇である。

 実は同じ時期の同じような事例を私はやはりジャカルタで知っている。
私の勤務していたシャングリ・ラに滞在していたメーカーの駐在員を「なだ万」で接待していた時のこと、私が彼に「御社のジャカルタ進出の際、どんなマニュアルがあったのですか?」と聞いた。
私は「JETROか日系商社、日系銀行に教えてもらった」という程度の答えを期待していたのだが、彼は首を振って「これですよ」と言った。
彼が手にしていたのはジャカルタの日本人向けイエローページの、「ジャカルタ進出の手引き」という4-5ページの案内だけだった。

 そのメーカーが現地法人を立ち上げた翌年に勃発したあの大暴動で、駐在員達はさっさと帰国して会社を閉鎖してしまったのは言うまでも無い。
私企業のことなので知ったことではないが、彼らがいったいいくらコストをかけて進出し、いくら無駄になったのだろう。

 結論ではないが、やはり日本人には「言葉の壁」が問題になっているのは事実だろう。 
よく外国人とコミュニケーションをはかるのに、言葉は要らない、必要なのは心だ、という人がいる。こういう人は外国語が苦手か、苦手を克服しても嘗て失敗した時の体験をトラウマのように引きずっているか、どちらかである。
心も大事だけど、心を表現する方法である言語も大切だ。
 「もっと準備を」とグローバルな世界に生きるビジネスマンに言いたい。心を磨き、言葉、文化、慣習、法令等を熟知し、それらを通じて周到な準備をするべきだ。
 もっとも言葉の問題を日本の中・高・大学教育に於いての英語教育に帰したら、混迷は深くなるばかりだが。
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by Mikio_Motegi | 2007-03-05 22:49 | 東南アジア