ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

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スハルトの死

インドネシアの第2代大統領だったスハルトが亡くなった。享年86才。
いつも笑顔を絶やさず「微笑みの大統領」とインドネシア国民に親しまれ、
30年以上君臨した。
また「Bapak/バパッ(お父さんの意味、転じて『国父』)と呼ばれ、先進
諸国からODA/Official Development Aid(政府開発援助)を積極的に
導入、経済発展と国民の生活水準の向上を実現して、政治の安定を
もたらした。彼の最大の功労はインドネシア経済の発展、国民の生活水準
の向上に力を注いだ事といえる。

その一方で、スハルトは1965年の権力掌握期、初代大統領スカルノ
(あのデビ夫人はスカルノの第3夫人)を長期にわたり幽閉し、彼を支持
する数十万人の共産党員を殺害したとされるなど、反対派を容赦なく
弾圧した恐怖政治の代名詞という強烈な一面があった。

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私がインドネシアのジャカルタにいた1996-1997年は彼の大統領として
の絶頂期でもあり、日本からのODAも突出して多く、将に我が世の春を
謳歌していた時期といえる。

そんな時、スハルトの講演会が私の勤務していたシャングリ・ラ ホテル
であって、ホテルは厳重な警戒に包まれた・・・筈だった。
もちろん表向きはアーマライト・マシンガンを肩に下げた兵士が数十名、
ものものしく彼を警護していたが、これが全くの「ざる」警備。
どんなに「ざる」だったかというと、例えばスハルトがホテル内を歩く導線上に
ゴミ箱は置きっ放し。撤去どころか中のチェックもしない。
爆弾でも仕掛けてあったらひとたまりもなかった筈だ。

又ホテルボールルームでのスハルトの講演会の最中、宴会場裏の
サービスエリアではその兵士達が床に座りこんでお喋りに興じている。
私など怖いもの見たさで兵士達に近寄り、片言のインドネシア語で
冗談を言い合い、なんとアーマライトの銃口に指を突っ込んで遊んだり
したものだ。

当時私の勤務していたセールス&マーケティング部門には、
インドネシア政府要人の子弟がうじゃうじゃいた。
エリというセールスマネージャの父親は副首相だったし、
リザというPRマネージャの亡くなった父親は元の商工大臣、アシスタント
セールスマネージャのニーナの父親は現職のイタリア駐在大使だった
(ちなみにエリとリザは男性、ニーナは女性)。
また唯一の華僑の娘ジュリアナは、スハルトに多額の献金をしている
政商であるアストラグループの一族という風に、インドネシア政界の
保守派、体制派の巣窟のような部署だった。

よって彼らのスハルト「信仰」は非常に篤く、エリなどは自分のデスク
の上に、父親がスハルトと写っている記念写真をインドネシア国旗と
共に大事に掲げていたものだ。

もちろんシャングリ・ラは政府や有力企業から強力にサポートされており、
日本企業の利用も非常に多く宿泊客の日本人比率が20%を超えていた。
これは国別宿泊比率で常にアメリカとトップを争うほどで、
その日本企業をセールスマネージャとして担当する私も、それなりに
処遇されていた。
思えばいい時代だったなあ・・・。

衛生上、治安上の問題は多かったが、実は私も家内も、海外で過ごした
3カ国(インドネシア、シンガポール、マレーシア)のうち、一番楽しく
鮮明に印象に残っているのがジャカルタでの生活だ。
あそこでの日々は将にChaos/カオス(混沌)と言っていいほどだった。
どれだけ混沌としていたかは追々紹介するが、スハルトの死は
文字通り私達のChaotic な生活をエンジョイさせてくれた時代の死、
ともいえるのである。
今の京都での生活も結構Chaotic だけど・・・。

写真はスハルトの肖像を印刷したインドネシアの50,000ルピア札。
日本円で現在約700円。ちなみに最高額紙幣は100,000ルピアである。
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by Mikio_Motegi | 2008-01-28 21:43 | 東南アジア
(前項より)

東南アジアの都会では街中いたるところで様々なバイクが大音響と
排気ガス撒き散らして走り回る様が見受けられる。
経済成長著しい地域のバイタリティの現れのような風景だ。

ところが4年連続して二ケタ台のGDP(国内総生産)成長率を達成している
中国の、この街杭州ではバイクのけたたましい音が一切聞かれない。
ここではバイクの乗り入れ、運転は州法で禁止されているのだ。
代わりにおびただしい数の「電動自転車」が走り回っている。
電動自転車は排気ガスが発生しない環境に優しい乗り物ということで、
ここ数年普及されてきている。よって観光客にとっても杭州は静かな街、
というイメージが刷り込まれ、観光業振興には良い効果を生むだろう。
日本のカワサキやヤマハといったメーカーには気の毒だが。

もちろん土地が平坦なこの地だから導入できる政策と言える。
電動自転車は馬力が弱いので、坂道が多いところでは直ぐにバッテリー
が切れ、役に立たないのは周知の通りである。

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さて最終日の夜、私達は「宋城」という南宋時代の街並みを再現した
テーマパークで、「宋城千古情」という時代活劇を観覧した。
ガイドの陳さんの計らいで、2千名は入れそうな劇場のなんと最前列の
かぶりつき席に案内される。
「シルク・ドゥ・ソレイユ」を髣髴とさせるクラウン(道化)の寸劇から始まり、
大群舞、武闘劇、歌謡ショーと盛り沢山。約1時間半、大いに楽しませて
もらった。

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ただ観劇中ずっと考えていたのだが、一見華やかなこのアトラクション
だが、細かい点で決して洗練されたものではない。
コンテンツも一昔前の日本の「常磐ハワイアンセンター」のようなものだ
(ああ、何で私はあんな所を知っているのだろう!?)。

そもそも杭州に来る観光客の90%以上が中国国内の人々だ。
結局中国の人々の求める娯楽レベルは、40年前の日本人が
「常磐ハワイアン」に押し寄せた時のようなレベル、ということなのだろう。
・・・と言いながら私は思いっきり写真を撮ってしまった。
ここの素晴らしい点は、撮影禁止と謳っているのに係員は誰も観客が写真
を撮るのを制止しない所である。

杭州空港には海外からはアジア圏からしか直行便が飛んでいない。
アジア以外からも飛行機が飛んでくるようになれば、宋城も「シルク・ドゥ・
ソレイユ」やウィーンの「スパニッシュ・ホースライディング・スクール」等
を体験している外国人観光客の厳しい批評にさらされ、より芸術性の高い
躍動感あるショーに洗練されていくのではないかと思う。

もちろんコンテンツが洗練されグローバル化されることのみが好ましい、
と言っているのではない。彼らの方向性を決めるのは一義的には宋城の
関係者であり、二義的には「マーケット」なのだから。
中国が「社会主義市場経済」を受けいれている現在、宋城のコンテンツが
今後どう変わっていくかを見るのも面白いと思う。

ところでこの「中国・杭州(ハンチョウ)の旅」の初回の前半に述べた部分、
『中国を表す「3つのS」があるという。 Speed、 Splendor、 Shout
(スピードと壮大と叫び)だ』というのは、故開高健が岩波文庫で1961年
に刊行した「過去と未来の国々」に出てくる一文だ(2007年11月光文社
文庫に再録)。
今から50年も前の開高健のこの指摘だが、その後中国が対峙した歴史の
大変遷を経ても尚、的確に彼の国の姿を現していると言えるのでは
ないだろうか。

                                     (この項 了)
写真は上が西湖湖上から見た杭州市街の摩天楼
中、下が「宋城」のショー
You Tube の「杭州、宋城」も是非ご覧あれ!

参考URL
http://ja.wikipedia.org (Wikipedia)
http://www.hangzhou-tour.net/ (杭州市観光局ホームページ)
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by Mikio_Motegi | 2008-01-27 23:14 | 京都・紀行
(前項より)

杭州では、昼夜を問わず打ち上げ花火が上がっている。春節(旧正月)が
近い為の景気付けだろう、と思ってガイドの陳さんに問うと、「いえ、あれは
結婚式のお祝いです」という。
聞けば今年は北京オリンピックの年。記念すべき年に結婚式を挙げよう
というカップルが非常に多く、毎日どこかで結婚式があるという。
日本で花火といえば、夏の夕闇である。ここ杭州では冬だろうと雨天だろう
とお構い無しの様だ。

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・・・その日の夜中の1時。突然の大音響と共にホテルの部屋がぴりぴりと
振動した。カーテンを開けて外を見ると、直ぐ脇の団地の中庭で打ち上げ
花火が上がっているのだ。それも延々と。
呆れ返った。なんて非常識で近所迷惑な・・・。
目が覚めてしまったので、冷蔵庫からビールを取り出して飲み干す。
その時は昼間の疲れもあって直ぐにまた寝入った。

ところが明け方にまたまた大音声。今度は昨夜とは違う方角の団地の
中庭だ。
5-6階建ての建物の屋上近くに大輪の花火が炸裂している。
時計を見るとまだ朝の6時。

私はここで考え直した。いくら何でも夜中の1時と朝の6時に結婚式を
祝う為にあんなでかい花火を上げる奴はいない。
やっぱり旧正月が近いからだろう、そうそう、確かシンガポールでも
この時期は一日中花火が上がっていた。
だって、結婚式はその家だけのお祝いである。他所の家にしたら
関係のない事で、こんな時間に花火なんか上げられたらたまったもんじゃ
ない・・・。陳さんに会ったらそう言って彼女の間違いを正してやろう。

「いえ、結婚式です」ときっぱりと、しかも爽やかに否定した陳さん。
「夜中の花火は結婚式が終わった合図。朝の花火は別のところで結婚式
が始まる合図です」

・・・私は1996年から2003年までの8年間、インドネシアをはじめ
東南アジアの3カ国で暮らした経験を持つ。
そこは日本の常識なんて通用しない。郷に入りては郷に従え、
カルチャー・ギャップなんて何処にでもあるさ、という考えが私には浸透して
いる、と思っていた。

しかしここで私はハッキリ言おう。
「誰が何と言ったって、他の人間に関係ない、自分達の結婚式を祝う為に、
夜中の1時と早朝6時に花火を上げることは、反社会的な行為だ。
断じて許されるべきではない」と。
・・・でもこんなことを叫んでも「それが中国さ」のひと言で片付けられて
しまうんだろうな・・・。

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写真上は、西湖のほとり「新天地」の街並。石畳が敷き詰められ、まるで
ウイーンかブタペストのような雰囲気だ。チリ一つ落ちていない。
下は庶民が住む街中の路地。
                                      (この項つづく)
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by Mikio_Motegi | 2008-01-25 22:16 | 京都・紀行
中国は杭州(ハンチョウ)に2泊3日で行って来た。
私にとって初めてのメインチャイナ、初めてのパッケージツアーである。

もちろんたった3日間のガイドさん付き観光旅行で、広大な中国について
何を語れるわけでもないが、今回はその見聞記。

杭州は上海の南西に位置する浙江(せっこう/チェジアン)省の省都で、
総人口約600万人。中国八大古都の一つである。関西空港からは
直行便で4時間の距離。

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中国を表す「3つのS」があるという。 Speed、 Splendor、 Shout
(スピードと壮大と叫び)だ。
確かに空港やホテルのロビーで、人々が怒鳴りあっている姿をよく見かけた。
自己主張が強いのか。一昔のソウルのような雰囲気。

陳(ちん)さんという若く可愛らしい女性が我々のガイドさんだ。陳さんは
浙江大学理学部卒の才媛で、日本語がぺらぺら。
博学で献身的な彼女のお陰で、今回の旅は充実したものになったと思う。

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貸切バスに乗って六和塔(りくわとう)、霊隠寺といった名所巡りに。
日本と中国のお寺の違いは、その壮大さである。
音楽に例えると日本のお寺が「侘び・寂び(さび)」を感じさせる室内楽と
すれば、中国のお寺はとにかく壮麗、壮大な交響曲・シンフォニーだ。

・・・しかし寒い。この時期の平均気温は5-6℃とのこと。
雨が降っているので湿気があってまだましだが、凍えてしまう寒さだ。
食事はもちろん中国料理。茄子をはじめとする野菜類が美味。
油分が多いのは、この寒さに対抗する為の知恵と思い納得する。

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泊まったホテルは杭州湾大酒店という4つ星クラス。
バスルームのアメニティの中にコンドームを発見する。
「一人っ子政策」の反映か、Birth Controllは一般市民にとって
重要な問題なのだろう。都市部では二人めの子供を産むと、日本円で
約50万円のペナルティを科せられるという。一般男性の年間平均所得
とほぼ同額とのこと。

エレベーターに乗っていると、途中階から3人の家族連れらしい男女が
乗ってきた。
年輩の男は身長2メートルあまり。その奥さんは190センチくらい。
モデルのような容姿の20代後半とみられる娘も180センチ近くある。
ロビーに下りると、結婚式が始まるらしく大勢の地元の人がいる。
先ほどの巨人族のような家族もいれば、私の肩くらいの身長の家族
連れも。人間のサイズが壮大で且つバラエティに富んでいる。

私が嘗て住んでいたシンガポールは、福建省という南方に位置する
地方の出身者が大半を占めるので、あまり大きな人間はいなかった。
それに対し北方系は大きな人が多いという。
杭州では3日間で2メートル近い男女を数名見かけた。日本や
シンガポールではまずあり得ないことである。
やはりバスケットボールやバレーボールで、日本が中国に対抗する
のは相当無理があるのではないだろうか。

幹線道路沿いには近代的なコンドミニアムが多く起っている。
場所にもよるが、100平米の3ベッドルームで2000万円から6000
万円の値段との事。警備がしっかりしている高層のコンドに人気が
集中しているようだ。
ただ先ほどの話で、男性の平均年収が50万円前後とのことなので、
やはりコンドを購入できる層はほんの一握りの富裕層なのだろう。


                                  (この項続く)

写真は上から中国での杭州の位置、ガイドの陳さん、霊隠寺。
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by Mikio_Motegi | 2008-01-22 22:18 | 京都・紀行

マラソンブーム

昨日、冬の京都の風物詩の一つである全国女子都道府県対抗駅伝が
行われた。
家内の実家の前を通る北大路通りがコースになっているので、我が家は
いつも沿道で観戦することにしている。

8年間海外生活で暮らしている時は、この大会をNHKのTV中継で
観戦するのが楽しみだった。
というのも、沿道で走る選手のTV中継画面の中で、家内の実家の前で
選手に向かって手を振る家族の姿が映ることがしばしばあるからだ。
私達家族が海外にいる時は、我が家は皆で実家のおじいちゃん、おばあ
ちゃんの姿を探し、私を除く家族が京都の実家に帰っているときは、
海外に住む私が彼女達の姿を探す、という風に。

さて今年はオリンピックイヤーであり、女子マラソンの代表に内定している
野口みずき選手が三重県代表として北大路通りを走る、ということで、
例年より沿道の観客が多い。

もっとも我々は、何時間も辛抱強く沿道で待つ人たちと違い、部屋の
コタツに入ってTV中継を見て、選手達が近づいてきたら家の前に出て
応援する、というはなはだ楽ちんな観戦ではある。
野口選手は独特のピッチ走法で、文字通り風のように私達の前を駆け
抜けていった。

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ところで私は埼玉県代表の櫻井夏美、という高校生の選手を応援している。
彼女は駅伝の名門・埼玉栄高校の選手で、まだ1年生だ。
昨年末の全国高校駅伝でも彼女は走ったほどのエース格である。
何故私が彼女を応援しているかというと、大会の数週間前に彼女と言葉を
交わしたことがあるから。
彼女はその時同級生数名とコースの下見を兼ねて地図を片手に走って
おり、やはりマラソンの練習中だった私と赤信号待ちの交差点で、
少しおしゃべりをしたのである。
確か内容は「どこから来たの?」とか「ここのコースの角にある堀場
製作所ってどこですか?」とかいう他愛も無いことだった。
ただ利発そうな眼差しと、とても高校1年生とは思えないしっかりとした
受け答え、そして真冬なのに褐色に日焼けした肌が強く印象に残った。
・・・つまり、私はただのオヤジファン、ということではあるが。

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さて日本は今や空前のマラソンブームだそうで、シューズやウェアの
売れ行きが上がり、専門誌の創刊が続いている。
アシックスが銀座通りにシューズ専門店をオープンさせ、2月に行われる
第2回東京マラソンでは3万人の出場権に対し10万人以上が応募する、
という加熱ぶりだ。
かくいう私もブーム便乗組の一人だが、年始のブログで「今年の目標は
フルマラソンに挑戦する」と書いたところ、反響が凄かった。

私をフルマラソンの世界にそそのかした張本人であるS氏の言葉を借りる
と、「マラソンを走るいうことは、前に進めば必ずゴールに辿り着くということ。
この考え方が身体に沁み込んで、仕事にも良い影響を与えることになる」
とのこと。なるほど、納得のいくお言葉である。

この週末の3連休、私は初日に10キロ、3日目の今日は20キロを練習で
こなす予定だった。
ところが初日は娘達にせがまれ、これも大ブームのスケートに連れて
行かされた。
30年ぶりに氷上にもかかわらず意外と滑れたので、調子に乗って2時間
もリンク周回を繰り返し、足腰はがたがた。
今日は氷点下に近い寒風なので賀茂川での練習はキャンセル。
代わりにトレッド・ミルで走ろうとジムに行くが、なんとシューズを忘れて
これもキャンセル。仕方ないのでプールで1時間、みっちり泳いで
帰ってきた。

空前のマラソンブームだというのに、私の場合ゴールに辿り着く以前に、
スタートさえもままならない状態が続いているのである。

写真は上が野口みずき選手。あまりに早くてカメラが追いつかず、後ろ姿
のみの写真。
真ん中が北大路通りを走り抜ける選手達。後ろに写っているのは大徳寺。
下が埼玉栄高校の櫻井夏美選手(同校駅伝部のホームページより)
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by Mikio_Motegi | 2008-01-14 17:16 | サッカー、スポーツ

訃報 井出研一郎さん

携帯電話の電話帳から昔からの知人の名前を消去するのは悲しい。
ましてやその理由が、その知人の逝去にあるとしたら。

私たちが親しみを込めて「イデケン」と呼ばせて頂いていた
パノラマ・ホスピタリティの井出研一郎さんが1月4日、亡くなった。
享年60才。

イデケンとの出会いは1996年のこと。ジャカルタのシャングリ・ラ ホテル
に勤務していた私は、和食レストラン「なだ万」の開業を控え、準備作業に
追われていた。
そんな時突然イデケンから私に呼び出しの電話がかかった。
イデケンは当時、同じくジャカルタのサリ・パンパシフィックホテルの
総支配人。同じ日本人同士とはいえ私にとっては雲の上の存在のような
人だ。なんでも「なだ万」の開業準備について意見があると言う。
私は「なだ万」の鈴木マネージャと共にイデケンの下に伺った。

「君達、開業準備で大変なのはわかるが、横紙破りはいかんよ!」
と、部屋に入るなりいきなりの大音声。
「は・・・?」何のことやらさっぱりわからない私達。
ようやく理由を聞きだすと、何でもサリ・パンパシフィックの
和食レストラン「欅(けやき)」の女性スタッフが数名、一度に退職した。
そして彼女達が一様に近々開業する「なだ万」に転職した、という。

インドネシアでは片言の日本語が喋れる女性スタッフは、和食レストラン
では非常に需要が高い。
イデケンは私達が「欅」からめぼしいスタッフに狙いをつけヘッドハント
した、と思っていたようだ。

・・・確かに私と鈴木マネージャは「欅」で数度食事をしたことがあり、
「欅」のスタッフのホスピタリティの良さには感心していたのは事実だ。
しかしその時は純粋に日本料理が食べたかったからで、スタッフを
引き抜こうなどという意図は全くなかった。
つまり彼女達は自分達の意思で「欅」を辞め「なだ万」にアプライして
きたのである。

私達が必死になって事情を説明すると、イデケンはすぐに分かってくれた。
そして帰り際、「君達も初めてのジャカルタで苦労も多いだろう。
何か分からない事や困った事があったら、いつでも訪ねて来なさい」と
声をかけてくれたのである。
実際イデケンは私だけでなく私の家内にまで声をかけてくれ、ジャカルタ
生活での無聊(ぶりょう)を慰めてくれたのである。

イデケンはその後横浜のパンパシフィックホテル、そして大阪の
東洋ホテル(現ラマダ大阪)のGMを歴任した。
4年前に帰国した私をその都度ホテルに呼んで食事をご馳走してくれた。

典型的な「総支配人」タイプの人で、仕事に対して非常に厳しく、
自分にも周囲にも妥協を許さない人だった。
また面倒見がよく、付き合いのあった部下達が常に集まってくる
人だった。

1月10日、世田谷の砧で執り行われた「お別れ会」では、平日にも
かかわらず広い会場に収まりきれない程の数の人たちが押しよせ、
イデケンに最後の別れを告げたのである。
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by Mikio_Motegi | 2008-01-13 22:59 | 人材・ホテル
「ヘッドハンター」という名称は誰がつけたのだろう?
直訳すれば「首狩り族」であり、およそ我々の仕事の実態とはかけ離れて
いる呼び名だ。

私も自分の職業を「ヘッドハンター」と呼ぶことは少ないが、マーケットを
意識して、例えば当ブログのタイトル等はSEO/"Search Engine
Optimiization" (検索エンジンヒット数最適化)の為にこの名称を
使用する事もある。

さて本日は、本物の「首狩り族」について。

まず最初にハッキリしておきたいのは、首狩り / head hunting も
食人・人肉食/anthropophagy, cannibalism も、儀礼・祝祭的な意味、
或いは人間が食物の無い極限状態に追い込まれた際、生理的欲求・つまり
飢餓状態を充たす為の行為であり、最初から人肉を主食とする人種・民族の
存在は人類学の歴史上実証されていない、という事実である。

インドネシアのカリマンタン(ボルネオ)島奥地に住むダヤック人イバン族では
確かに首狩りの風習があった。イバン族の男は青年になると首狩りの為の
放浪の旅に出る。そして首を持ち帰ると求婚の資格を得られるのである。
この放浪の旅のことを現地語で"bejalai" という。
現在では流石に首を狩る人はいないが、代わりに狩猟をしたり、或いは都会で
一時就労し賃金を得て帰ってくることをbejalai と呼ぶ。
日本のTV番組でも時々紹介されるが、今でもイバン族の住居に行くとミイラ化
した首が天井から吊るされている。村のお祭りの際にはそれらの首はキレイに
化粧をされ、祭壇に飾られることもある。
亡くなった先祖の首をこうして保存して供養する、という意味もあるとのことだ。

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人肉食については、戦時中の北海道・知床での事件を描いた武田泰淳の
小説「ひかりごけ」や、1972年南米チリで起きた飛行機事故の生存者の
手記を基にバルガス・リョサが脚本を書き映画化した「アンデスの聖餐」
が有名だ。
これらは発表当時大変な反響を呼んだ。私も中学生の時に父が購読して
いた文藝春秋に「アンデス・・・」の抄訳が掲載されたのを、
恐れおののきながら読んだ記憶がある。

「ヘッドハンター」とか「人肉食」とかいうと、おどろおどろしい物語、例えば
「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」等を連想してしまうが、実態は極めて
祝祭的或いは偶発的な現象、と言っていいようだ。

もっとも私の商売を説明する際、「エグゼクティブ・サーチです」と言って
も理解してくれる人は全体の一割もいない。仕方なく「ヘッド・ハンターと
呼ばれることもあります」と小声で補足するのだが。

先日、久しぶりに会った年長の親戚に現在の私の仕事を問われ、上記の
ように説明をしたところ、彼は私の顔をまじまじと見て暫く考えてから
「それで、キミは何の首を狩るの?」と真顔で尋ねてきた。
実はその際のショックが未だ抜け切らず、傷ついた心を癒す為にこんな
トピックを書いてみた次第である。

写真上は大槻重之『インドネシア専科」 
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/ よりイバン族の兵士。
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by Mikio_Motegi | 2008-01-12 21:54 | 人材・ホテル
毎年恒例の京都経済4団体(商工会議所、経営者連盟、経済同友会、
及び工業会)主催の年賀交歓会が昨日、ウェスティン都ホテル京都で
行われた。出席者は2000名近い。
私は京都商工会議所の会員でもある為、些少ではあるが人脈を保ち、
情報を得る為に折々のイベントに出席するようにしている。

商工会議所会頭であるオムロンの立石会長が冒頭の挨拶で、国内の
いわゆる「格差」是正の方策について言及していた。
彼はその処方として、新たな財源を得る為の増税よりも、経済成長を重視
して日本経済を活性化し、分け前を増やすように努力すべきだ、と言った。

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これを聞いて「おや?」と感じた人も多い筈だ。
というのも、現内閣の財務大臣(1月11日付 訂正!→現自民党政務
調査会長でした。)で増税論者の谷垣禎一氏は京都選出の
衆議院議員であり、彼の支持者も数多くこの場に出席しているのである。
京都府自民党議連の重鎮である谷垣大臣の支持者の前でのこの発言に、
私は立石会頭の熱意を感じた。
私自信としては安易な増税よりも経済成長こそが日本経済をドライブする
ものと思うので、この挨拶は胃の腑に落ちた。
これを聞いただけでも今日出席して良かったと思った程だ。

伏見の酒どころがある京都らしく、日本酒での鏡開きの後乾杯。
月桂冠、黄桜、招福、キンシ正宗の4銘柄が並ぶ。
樽酒は杉の木の香りがするが、これはフェイクだ。人口香料が混ざっている、
とみた。
ビュッフェ料理を一通り試したが、メニューと味はまあまあ。
マレーシア風のココナッツ・カレーがあるのが珍しい。でも保守的な京都人の
趣向に合うのだろうかとやや疑問。

最後に鉄板焼きの一口ステーキを口にいれ、驚いた。脂身なのである。
皿に盛られたもう一切れのステーキを見たが、ソースにまみれていて
よく分からない。
そのもう一切れを食べてみたが、これもやはり脂身。汚い話だが、
もちろんティッシュに包んで戻した。
京都の主要経済団体主催のパーティで、ウェスティン都はこんな料理を
出すのか、とがっかりした。
もっとも数キロはある肉の塊の中で、脂身に当たってしまった私の運が
悪いだけ、なのかもしれないが。
正月から「脂ギッシュ」に行け、という神様のご託宣だと思い納得する。
しかし古いギャグだね。

帰路、口の中に残っている嫌な脂を落とす為、知人と京都ホテルオークラの
最上階の鉄板焼き「ときわ」に寄る。
ここは味は勿論、シェフのパフォーマンスも一流だ。そしてお値段も。
昼のパーティの口直しで結局高くつくことになったのだが、赤ワインが
美味しく、且つ東山の眺めが良かったので機嫌は直った。
今日は昼から沢山食べたので、家に帰ってこれから走らなくっちゃ!

考えてみれば、今日のカロリーを落とす為にこれから走ろうという
モチベーションになっただけでも、あのウェスティンの脂身ステーキは意味が
あったのかもしれない。

写真は上がオムロン立石会頭の挨拶風景。下は京都ホテルオークラの
14階からの東山の眺め。比叡山は頂上付近が白くなっていた。

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by Mikio_Motegi | 2008-01-05 23:26 | 京都・紀行

謹賀新年


「生が結局は、各種の時間潰しの堆積であるならば、その合い間に、
ちょっと夢中になれる、あるいは夢中になった振りのできる気晴らしの
あることは悪いことではない」

(柴田翔 「されど われらが日々-」 文春文庫新装版 より)


今年の私の目標は、フルマラソンに挑戦し、完走することです。
日によっては多分5時間か6時間、或いはそれ以上私と連絡がつかない
状態が続くかもしれません。
そんな時は、「茂木は夢中になって気晴らしをしているんだな」と思って
ご勘弁ください。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

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by Mikio_Motegi | 2008-01-01 21:04 | ブレイク