ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

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ロック・ファンでジミー・ペイジを知らない人はいない。
世界最高のロック・バンド「レッド・ツェッペリン(ZEP)」のリーダーで
ギタリスト。
ZEPのアルバムセールスは全世界で3億枚。アメリカだけで1億枚。
これはビートルズやエルビスと同レベルで、ストーンズやマイケル・
ジャクソンの2倍以上の数字である。

そのジミーが昨夜(2月25日)、NHKの英語教育番組「英語で
しゃべらナイト」にゲスト出演、短い時間だったがロックにかける
情熱、プライド、価値観を熱く語ってくれた。

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私がZEPを初めて聞いたのが1973年、中学2年生の時。
友人の家で彼らの5枚目のアルバム"Houses of the Holy"を
聞いたのだが、その時の衝撃は今も忘れられない。

ZEPの魅力はGroove感(16ビートのノリと揺れのミックス)と、ジミー
に象徴されるビジュアルの美しさである。
中世のアンドロギュヌス(両性具有)を髣髴させる悪魔的・神秘的な
いでたち、ギブソンのレス・ポールギターから繰り出す重厚で熱いフレーズ、
ど派手なパフォーマンス、20分以上の楽曲を連続して演奏する
パワー、そして伝説となったオフ・ステージでの大乱痴気騒ぎ。
それまで熱中して聞いていたビートルズがアホで間の抜けたイノセント
なポップスに感じられたほど、ZEPは攻撃的で美しく、且つ叙情に
溢れていた。

1968年にバンドを結成し、1980年にドラマーのジョン・ボーナム
の死去により活動を停止、来日公演は1971年と1972年の2回だけ。
ZEPのライブに私は触れることはできなかったが、1994年にデビット・
カヴァーデルと「カヴァーデル・ペイジ」として公演した際、1996年に
ジミーがボーカルのロバート・プラントと二人で来日し「プラント&ペイジ」
として公演した際に聞きに行くことが出来た。
・・・実はこの年の1月から私はインドネシアのジャカルタ・シャングリ・ラ
に就職することが決まっていたのだが、「プラント&ペイジ」を聞きたくて
着任を1ヶ月待ってもらった経緯がある。

昨年12月、ZEPが当初所属していたアトランティック・レコードの創始者
アーメット・アーディガンを追悼するコンサートで一夜限りのライブが実現。
この時のチケットはインターネットでのみ申し込みを受け付けたが、2500万
件以上のアクセスがあってサーバー自体がダウンしてしまったほど。
チャリティ・オークションに出された2枚組ペア・チケットで約1900万円の
値段が付いたという。

「英語でしゃべらナイト」でジミーは、このライブのためにいかに真剣に準備を
重ねたか、熱っぽく語ってくれた。それによると数ヶ月の練習期間で指を
3ヵ所も痛めてしまったが、「この大事な時にオレは何をやっているんだ!」
と自分に鞭を打って練習を続けたという。

・・・もちろんジミーも60代のおじさん、ZEPが動かせるほど世界の音楽界は
軽くなくなった。
だが、あのジミーがいまだに夢中に真剣にロックに向かっている、という事実
が何だか無性に嬉しい。

私も影響を受けて今日は一日中かなり集中して仕事に取り組んでしまい、
今は心地よい疲労に浸っている。

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写真上は「英語でしゃべら・・・」のインタビュアー、マーティー・フリーマンの
ホームページ http://www.avexnet.or.jp/marty/news.html
より。右がジミー。

写真下はZEPの公式ホームページ www.ledzeppelin.com より、
1975年頃のZEP。
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by Mikio_Motegi | 2008-02-26 22:14 | ブレイク
先日"ACCJ 2007 Person of the Year" に選ばれた竹中平蔵氏の
講演会&昼食会に参加するため、マンダリン・オリエンタルに行って来た。

竹中氏は小泉内閣で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、郵政民営化
担当大臣、そして総務大臣を歴任。文字通り「小泉構造改革」の重責を
担った人である。

当日、250席ほどの昼食会場は満席。私は昨年暮れにこのイベントが
発表になって即座に申し込んだので席を確保できたが、登録が遅れて
参加できなかった人もかなりの数に上ったとの由。

竹中氏の講演内容は主には小泉内閣時代を振り返るものだったが、
30分間の講演及びそれに続く30分間の質疑応答は全て英語。
氏の発音は私を含む一般的日本人のそれと同じく、いかにも「大人に
なってから勉強しました」というレベルだったが、内容は秀逸。
氏自身が冒頭で「大臣を辞めたので好きなことが言える」と述べ会場を
笑わせたが、肩の凝らない終始リラックスしたものだった。

現在の国会の状況については、「参院では野党が多数を占めているため
法案を野党の合意なしには通せない為、近い将来での政界再編が必要」
と指摘。
面白いことに、解散・総選挙及び自民党と野党の一部が合従連衡する
政界再編が「今年の夏ぐらいに行われるだろう」とまで予測して見せた。
小泉政権の中枢にいた人の発言だけに、このくだりには参加者全員が
固唾を呑んで聞き入ったものだった。

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また "privatization"(民営化)という言葉に何度も触れ、自身が主導した
郵政事業民営化の意義と展望、また「日本には民営化しなければならない
事業が多すぎる。次にターゲットとすべきは東京大学だ」と言及、会場を
大いに沸かせた。
その理由として「世界の大学ランキングで東大は17位。GDPが世界2位の
我が国のトップの大学がこのレベルでは情けない。
最上位にランクされるハーバードやMIT,オクスフォードやケンブリッジ等は
全て私学であり、その意味でも東大の民営化には意義がある」と述べた。
この時は会場で大喝采がおき拍手や口笛が鳴り止まず、竹中氏は大いに
満足していた。
最近マスコミ誌上で氏は東大民営化論を積極的に発言しているが、この時
のACCJでの反応の良さに自信を得ての事に違いない、と私は見ている。

ただ福田内閣では構造改革のスピードが鈍化したとの見方に触れ、
経済学者ロバート・フェルドマンが発見した"CRIC"
[Crisis, Response, Improvement, Complacency]サイクルの
最終段階「Complacency = 満足感」に日本がひたってしまい、
「我々は構造改革をやり遂げた。ここらでちょっと一休みしよう」という
マインドになっていると警告し、講演を締めくくった。

メディアを通しては窺い知れない竹中氏のユーモアのセンス、迫力、
そして私とレベルの変わらない英語の発音に触れることができ、今回の
ACCJセミナーは大満足。今後の氏の活躍をますます見逃せなくなった。

写真はACCJ会報の表紙を飾った竹中氏の肖像画。このセミナーの後、
この絵のオリジナルが記念品として竹中氏に寄贈された。
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by Mikio_Motegi | 2008-02-24 21:27 | ブレイク

頑張れ芝パークホテル!

2月15日の深夜1時半頃、東京・港区の芝パークホテル本館で火災が発生、
数名の負傷者がでたというニュースを聞いた。

ご存知のように芝パークホテルは1983年に私が新卒で入社したホテル
である。
あのホテルの防災体制は大変厳重だった。
ホテルや大使館等の外国人が利用する施設の多い港区の防災体制は
ただでさえ厳しく、大規模な防災訓練が年に2回は開催されていた。
その中でも芝パークホテルの緊急消火隊の技量は群を抜いていて、
港区が主催するホテルや商業施設を対象とした防災コンテストの
上位入賞の常連だった。

私たち一般社員の防災訓練もそれはそれは厳しいものがあり、小規模な
ものは毎月、全館挙げての大訓練は年に2回あった、と記憶している。
大訓練では実際に客室で発炎筒を焚き、通報を受けて我々フロント係が
エレベーターを使わず最上階の現場に駆け上がり、実際に消火栓を
開けて初期消火に当たるという、迫力・臨場感満点のものだった。

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今でも私は度々芝パークホテルを訪れるが、私がいた頃と防災に対する
士気は変わっていない、と感じている。
だから現時点では今回の火災の原因は特定されていないが、芝パーク
だからこそ火災の被災者・被害を最小限に食い止めることが出来た、
と信じたい。

1982年2月、赤坂山王下のホテルニュージャパンの大火災の際は
被災した宿泊客を一手に引き受けたのが芝パークホテルだった。
今回は不幸にして逆のケースになってしまったのだが、近隣のホテルの
サポートはどうだったか、心配だ。
 
芝パークホテルの社長の柳瀬連太郎君は私と同期入社の48才。
入社当時から芝パークの将来を担うと嘱望されていた逸材だ。
また総支配人の林義明さんは2年先輩。帝国ホテルの名ホテルマンだった
お父様の血を受け継ぐ根っからのホテル好きで親分肌の人。

火災の様々な後処理に陣頭指揮を執っているだろう彼らに直接連絡を
取ることは遠慮したいので、代わってこのブログで彼らと芝パークホテルに
エールを送ることにする。

また負傷された方々の一刻も早い快癒を願い、被災された方々、
近隣の企業・住民の方々にご迷惑をおかけしたことを、同ホテルOBの
一人としてお詫び申し上げたい。

写真は「予約名人」のサイトwww.yoyaku-meijin.com より。
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by Mikio_Motegi | 2008-02-16 11:03 | 人材・ホテル

大徳寺雪景色

朝の大徳寺。2年ぶりの雪景色だ。

今月号の婦人画報にも特集が組まれているが、日本の作庭の巨人である
小堀遠州の影響で、禅宗の庭独特の「凛」とした風情が漂う。

こんな朝は人っ子一人いないと予想していたが、案に相違して雪景色を
楽しむ地元の人たちの姿が多く見られた。

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by Mikio_Motegi | 2008-02-13 22:49 | 京都・紀行

良いお客、悪いお客

最近私の上京時の定宿になっているグランドプリンス高輪が騒がしい。
ホテル付帯の宴会場施設では日本最大級の規模を有する同ホテルが、
あの「日教組」の年次大会をKick Outしてしまったからだ。

私が見る限りマスコミの論調は「プリンスが悪い」と一方的に断じている。
確かに司法の裁断を無視してまでお客を、しかもデポジットを払い込んで
いるお客を追い出してしまったのだから、何をか言わんや、である。

ただ私には今回の騒動でどうしても腑に落ちない点が2つある。
1つめはクライアント(日教組)とホテルの間に入って予約や手配業務を
やっていた代理店の存在とその責任。
ホテルのグループ受付業務を経験した者なら誰でも知っていることだが、
クライアントが代理店に諸業務を任じた場合、対ホテルの窓口になるのは
その代理店である。もちろん契約もホテルと代理店の間で執り行われるので
ある。代理店の名前があまりマスコミに登場しないのは何故なのか?

2つめは、高輪プリンスともあろうホテルが何故このような初歩的な失態
を犯したか?
今回の件で私が鮮明に思い出すのは、私が勤務していたヨコハマ・グランド
インターコンチネンタルホテルとその建物の所有者であるパシフィコ横浜
でのある事件。
詳細の説明は省くが、1992年に、とある団体がパシフィコでの会場使用を
求め予約を入れたところ、その期日は既に満室ということで断られた。
ところがその団体が数日後、違う団体名を偽って予約を問い合わせた所、
パシフィコはすんなり受け付けてしまった。
そこでその団体はパシフィコに猛烈に抗議し、パシフィコは全面的に非を
認めた、といういきさつがある。

その時ホテルの営業部にいてパシフィコの状況を知った我々は、その轍を
踏まない為に「どういうお客の予約を受け付けてはいけないか」について
かなり真剣にディスカッションをした。
結論はたった二つ。
「お金を払ってくれないお客」と「法定伝染病に罹患しているお客」
これだけである。
つまりこの二つさえクリアしていれば、どんなお客の予約をも断わる理由は
無い、ということになったのである。
ちなみにこの2大原則は外国でも受け入れられていて、事実私がその後
勤務したシャングリ・ラ ジャカルタとインターコンチネンタル・シンガポール
にもしっかり根付いているのである。

本題から逸れるのでこの原則についはこれ以上記さないが、この
ディスカッションをリードした当時の営業部長はプリンスホテルの出身者
だった。
つまりプリンスホテルには、「どういう団体なら受け付けるべきか」のノウハウ
が確立している筈なのである。

それなのに何故、今になってプリンスはこのような事態を引き起こしたのか?
司法の判断に逆らってまでクライアントを一歩的に追い出さなくては
ならなかった本当の事情とは?
これらが解明されないうちは、今回の事件の責任を軽々に断ずることは
出来ないと思うのだが。

一昨日も高輪プリンスのシガーバーで飲んだのだが、そこのスタッフも
今回の件で本当に心を痛めているのがわかった。
以前も記したが、プリンスホテルの若手には優秀な人材が多い。
私としては彼らをサポートする為にも、これからもせっせと通い、
一番お手軽価格のお酒を飲んで彼らの話を聞いてあげようと思う。

「お金を払わないお客はお断り」と言われないように気をつけながら。
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by Mikio_Motegi | 2008-02-07 22:58 | 人材・ホテル