ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

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着衣水泳講習を体験

「着衣水泳(ちゃくいすいえい)講習」とは、普段着のままプールで
泳ぐ講習のこと。
河川や海などに落ちたり災害等に水難に遭った際、当然人は普段着を
着ている。そういった非常時に備え、水着と普段着とでは水の中での
状態がどう違うかを体感し、同時に水難に遭った際の究明方法を学ぶ為の
講習会だ。

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講習場所は娘たちが通っている京都・北山の「ナカジマ・
スイミングスクール」。
この日の1時間ほどのセッションで講習会に参加し、実際に着衣水泳を
体験した大人は私だけだった。他の期日では数名いたとのこと。

実はヨーロッパ、特にイギリスやオランダで着衣水泳は競泳以上に重要視され、
学校教育でのカリキュラムに組み込まれている。
これらの国々は運河や水路が発達していて、水難事故への備えが古くから
徹底している事が大きな理由だ。
ところが四方を海に囲まれ急流が多いにも拘らず、わが国での着衣水泳
の認知度はあまり高くないようだ。

ちなみに統計では、日本の全事故死亡件数のうち「溺死」は毎年
5000名以上に上り、人口10万人当たりの死亡率として2.7%になる。
ところが着衣水泳の認知度が高いヨーロッパ諸国での同じ統計では、
イギリスが0.5%、オランダが0.7%、アメリカでも1.6%に過ぎないという。
ちなみにタイは5.5%、フィリピンは5.9%。(厚生労働省 国民衛生の動向より)

この数値が一体何を意味するのかは、自明ではないだろうか。

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水に落ちた際、まず大事なのは仰向きで浮かぶ「ラッコ泳ぎ」の体勢を
確保すること。
身体を浮かせ故宮を確保しつつ体力の消耗を防ぎ、救助を待つのだ。
ちなみにクロールでは全く泳げない。普段着が水に濡れると大気中での体重は
20%はアップするという。つまりクロールで腕を上げようとしても、袖の部分が
重くて上がらない。泳ぐ必要がある時は平泳ぎがベター。

また動きやすくする為だからといって、水中で服を脱ぐことはまず不可能。
むしろ体温を逃がさない為、服を着ていたほうが良い。
また化学繊維の布は空気を逃がさないので、浮き輪代わりにもなる。
靴も脱がない。特にウレタンが使われているスポーツシューズは、素材
自体に浮力がある為だ。

逆に落ちた人を助ける為に水に入るときは、服を脱いだ方が良い。
また重要なことだが、救命の為とはいえ背の立たない水に入ることは厳禁。
むしろペットボトルやポリ袋を投げてあげるべき。
1リットルのペットボトル、1枚のポリ袋で私のような大人でも充分浮力を
確保できる。

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日本では落ちた人を助けようと水に入り、二重・三重の遭難事故が起きる
ケースが後を絶たない。
確かに勇敢で立派な行為だが、特殊な訓練を受けていないと背の立たない
所で人命救助するのは、相手が子供であっても至難の業だ。

ところがヨーロッパでは水に落ちた人を見つけたら、身近にある浮力の
あるもの、上記のペットボトルやポリ袋の他、バケツやサッカーボール等を
投げ込むことを学校教育で教えている。
これをもって日本とヨーロッパの人生観の差、とするのは言いすぎだろうか。


写真は上がBaywatch より。10年程前に大人気を博したアメリカの
TVシリーズ。レスキュー隊員はこのようなポリウレタン製のフロートを
必ず所持し、人命救助に当たる。

中と下は講習風景。下の写真は中くらいの容量のポリ袋をお腹のあたりで
抱え、ラッコ泳ぎする私。
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by Mikio_Motegi | 2009-07-28 22:05 | 京都・紀行

「私の死亡記事」

「・・・死を考えることは生を考えることです。人の業績や人生上のエピソードは、
つねに時代のまわりからの評価にさらされ、それを集約したかたちで死亡記事
や人名辞典の記述がなされます。・・・(中略)・・・しかし本人がどう思って
いるかは別問題です・・・(後略)」

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以上は2000年に文藝春秋より刊行された「私の死亡記事」の「はじめに」から
の抜粋。
同書は各界の著名人102名(4年後の文庫版では12名追加)に依頼し,
自分が死んだと仮定して自らの死亡記事を書いてもらうという前代未聞の
ユニークなもの。

こんな企画に賛同しただけあって、どの筆者もみな諧謔的で退廃的(健康的で
明るい死亡記事があるわけないが・・・)な死亡記事になっている。
文体が三人称なのも、それまでの人生、将来の夢、成し得る業績を客観的に
書き連ねている。

面白いのは死因の大多数が「老衰」「自然死」「心不全」としており、やはり
著名人であっても、長い闘病生活や延命治療は受けたくないのは一般人と
同じであること。

「食べ物を喉に詰まらせて死亡」(泉麻人、落合恵子、南伸坊)、「旅先で
原因不明の死」(桐野夏生、玄侑宗久、高野孟)、「腹上死」(野村万之丞、
毛利子来)等、ある種あこがれのような死に方もあれば、高樹のぶ子や
西部邁のような「自殺」という手段を取る人もいる。

私が腹を抱えて笑ってしまったのは、コラムニスト中野翠の「風になりたい」。
「最後の言葉とするべく、かねて用意の『風になりたい』という言葉を呟いた
つもりが、ろれつが回らず、『粥を食べたい』と間違われ、ムッとしたとたんに
こときれた」というもの。

また読売新聞主筆渡邉恒雄の「カラス駆除中、転落死」も面白い。
「自宅の庭に来るカラスを駆除しようと、桜の大木に十メートルの
ハシゴをかけ、毒入りマヨネーズを盛ったカゴを吊るそうとした際、老齢の為
ハシゴの頂上より足を踏み外し、頭部を強打し死亡」というもの。

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渡邉は政財界に絶大な影響力のある保守系メディアのドンとも称される人物。
それが人生の最終章・集大成である死に際し、このような諧謔で自分を
貶めることができるとは。卓越したユーモアの感覚に脱帽。

またメディアの論客である高野孟と西部邁の記事も面白い。

高野は「馬に乗って出かけたまま、それっきり」として「革命家には二つの
生き方がある。カストロかチェ・ゲバラか、大久保か西郷か。
前者は旧体制を引っくり返した後に新体制の権力者に収まり、次代の
建設に取り組む人。後者はそういうことに興味が無く、次のフロンティア、
死に場所を求めて旅立っていく人」としている。
高野がどちらの人になりたいかは自明だ。

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西部は「自殺できて安堵しております」というタイトルで、自殺の理由を
「虚無の温床である生命それ自体にケリをつける。
それが自分の生にかろうじて意味を見つける最後の手立て」で、「今の世間が
自死の意義をあまりよく理解していない」としている。

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いずれもメディアでのイメージと相当落差があり、意外な面が見受けられる。

反対につまらなかったのが政治家の記事。
元自民党幹事長の「闘い続けた人生」、元首相の「先祖以来の文武両道」、
元自由党幹事長の「自由党幹事長ライフルで狙撃される」など、自己愛と
政治活動の弁明に終始していて、気分が悪くなる。

読んでいると、114名の筆者達は殆どが中年以上で、死について
多少なりとも考える年代であり、死は彼らにとってもやがては迎えるシリアスな
問題なのだ。
だからこそ今限りある「生」をいかに生きるか。
軽い読み物ではあるが、つきつけられた課題は大きい。

さて「私の死亡記事」、夏の間に私も書いてみようかな・・・。
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by Mikio_Motegi | 2009-07-25 14:50 | ブレイク

京都の祭り

日本三大祭のひとつ、京都・祇園祭はハイライトである「山鉾巡行」が
一昨日無事に終わった。今年も例年通り40万人近い人出だったようだ。

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私のような関東地方出身の者にとって、祭りとはその年の収穫・五穀豊穣
を感謝し無病息災を祈願する、農耕に密着した秋の「収穫祭」をイメージする。
1年の辛い労働を終え、いわばお祝いのような解放感に溢れた、心が
うきうきするものだ。当然「無礼講」的な行為も行われ、泥酔、暴力、
乱痴気騒ぎ、フリーXXX等々のエクストラバガンザが繰り広げられる。
かくいう私の初XXXも高校時代の地元のお祭りの時で・・・、いや、
話題がそれた。

一方1000年以上の歴史のある京都の祇園祭は、元々は
「御霊会(ごりょうえ)」という、一種の厄払いの儀式であった。
御霊とはミタマのことで、平安時代に殺されたり無実の罪で死刑に
なったりした人の霊は怨霊(おんりょう)になったとされた。
その頃の疫病の大流行や天変地異はすべて御霊の所業と考えられていて、
御霊を鎮撫する儀式が祇園祭の起源のようだ。

実は祇園祭りのようなメジャーなものだけでなく、我が家の氏神である
玄武神社や今宮神社の例大祭であり「京都三大奇祭」のひとつである
「やすらい祭り」も、また同じく北区にある上御霊神社の「御霊祭」も
同じく御霊会が起源だ。

いずれにせよどれも怨霊の怒りを鎮める祭りなので、様式が整い全てに
意味がある。そう言われてみれば祭りを盛り立てる「コンチキチン」
の音色も、やすらい祭りの「カンコ」と呼ばれるお囃子もどこか神秘的だ。

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だとすると、人々が京都の祭に異形なものを感じ、それを慕って毎年
全国から観光客が集まってくるという構図も納得がいく。

逆に、私の周囲の生粋の京都っ子で、毎年神田祭やねぶた祭を
見に出かけて行く、という人の話も聞かない。
ちなみに京都っ子の家内は私の実家の群馬県の桐生祭に、
「何か変なお祭やね」という感想を持っているようだ。
彼女らにとって「収穫・五穀豊穣祈願」のお祭りというのは、今ひとつ
馴染めないものらしいのだ。

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今月21日まで行われる下鴨神社の「みたらし祭」でも「足漬けの神事」
というけったいな行事がある。
また五山の送り火もあれは精霊送りだし、お盆に市内の辻々で行われる
「お地蔵さん」も起源は悲しい物語から来ている。

関東っ子である私が理解するには、まだまだ深遠すぎる京都の
諸行事の数々である。


写真は上から www.culinary-academy.com
www.rakutabi.com
www.kanda-isamikai.com より
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by Mikio_Motegi | 2009-07-19 14:11 | 京都・紀行

生まれて初めての酒

あるところに21才の女性がおりました。
彼女はつい最近経験した失恋の憂さ晴らしに、「気持ちが治まらないから
生まれて初めてお酒でも飲んでみようかしら」とあなたに呟きました。

さて質問です。あなたは、そんな彼女にどんなお酒を勧めますか?

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・・・上記は、ジャーナリストであるA・Eホッチナーがヘミングウェイとの
14年にわたる交流の中で書いた伝記、「パパ・ヘミングウェイ」(早川文庫)
での挿話に基づいたもの。
ヘミングウェイが取り巻きを引き連れてパリ・ロンシャン競馬場で馬券の
予想に夢中になっていたとき、彼の横でその女性が呟いたひと言に、
手にしていた予想表を放り出した。
そして生まれて初めて酒を飲むという彼女の為に、レシピを考え抜き選んで
勧めた、というエピソードである。
ちなみに「21才」という部分は私の創作。

酒の飲み方でその人の人格が分かる、という。
母方の祖父は、「酒は生(き)が一番だ」といって90才で亡くなる直前まで
サントリーの角瓶をショットグラスに注いで飲んでいた。

また酒を飲まない亡父の代わりに、私たち兄弟に飲み方を教えてくれた
母方の伯父は、酒を飲む際は予め時間を決めておき、その時刻になったら
一分と違わず酒席を立つという人だ。

もちろんキレイごとでは済まない酒席もあるし、美味くも無い酒に我慢して
付き合わなければならない時もあるのが人間社会の常。
また一緒に飲む人との相性も酒席の大事な要素だ。
だが振り返ってみて、だらだらと飲み続けただ時間を費やすだけの人間と、
私は深い付き合いに至った例がない。

もっとも私は初めての酒の席で、大失態を演じている。
件の伯父に連れ出され、焼き鳥屋で焼酎のコップ酒をしこたま飲んだのだ。
いい気分になった私はその後連れて行かれたスナックで、薄着のドレスに
肌も露なホステスが横に座っただけで完全に酔いが回ってしまった。

興奮した私はそのホステスを抱き上げて店内を走り回ったり、店の看板を
外して持ち出そうとしたり、挙句の果ては店を追い出された後、親戚が
経営する近所の薬局に置いてあった当時流行のカエルの「ケロヨン人形」
を運び出し、家に持ち帰ってしまった。

翌朝私を起こしに来た母親が、部屋で私の横で寝ている等身大の「ケロヨン」
を見つけ仰天し烈火のごとく怒り、その後しこたま説教されたものだ。

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ところで巻頭の質問、「失恋を経験した女性が生まれて初めて口にする酒」の
私の答えは、シャンパンにカシスを加えた「キール・ロワイヤル」。
フルーティで口当たりが軽く、またシャンパンという華やいだ酒をベースに
しているので、失恋の痛手を打ち消すには持ってこいだと思うのだが。

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さて、あなたの答えは?

写真中は http://youkoso.city.matsumoto.nagano より。
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by Mikio_Motegi | 2009-07-12 11:54 | ブレイク

中国訪日ビザ発行解禁

「・・・私はかねてから、海外における最近の日本人マネージャーの
存在意義について、かなり懐疑心をもっていました。
米英とイスラム原理主義の対立の構図は、今回のイラク攻撃でますます
深刻化するでしょう。これからも世界中いたるところで米英をターゲットにした
テロ行為は続くと思います。
(中略)・・・これから日本は間違いなくインバウンド観光産業に力を入れて
いきます。中国やロシアなどの一大マーケットがすぐ近くにあるのですから、
当然だと言えるでしょう。
だとしたら、私のような経歴の者が役に立てる領域が必ずあると信じます・・」

以上は、2003年4月に私が当時勤務していたマレーシア・ペナン島の
シャングリ・ラ・ラササヤン・リゾートを離れ、日本に帰国する際に親しい
知人・友人達に宛てたメールの一部。

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本年7月1日から中国人の訪日個人旅行が一部可能になった。
年収25万元(約350万円)以上など経済力や職業などを総合的に審査し、
国内に不法滞在する恐れのない人たちを対象に、個人旅行の査証(ビザ)
を発給する。
観光庁の試算では、今回の解禁で2010年には400億円(一人当たり消費額
16万円と想定)の経済効果が見込まれるとしている。

私が2003年に「日本はインバウンド観光産業に力を入れて・・・」と書いてから
6年。この傾向・政策は着実に成果をもたらしている。

一方で、東南アジアに在住する華僑の友人達に言わせると、日本は観光
コンテンツに溢れた魅力に満ちたデスティネーションだが、
「英語が通じない」
「物価が高い」
この大きな二つの障壁のため、行くのをためらってしまうという意見が
未だに圧倒的だ。

物価が高いのは為替の問題もありこれはなかなか解決できない。
ただ世界で一番不便な国際空港である成田から、各デスティネーションへの
アクセスの料金を減額するなどの措置は直ぐにとれるだろう。

英語の問題は・・・もっと勉強しましょう!

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また残念なことに受け入れ側の旅館などで、外国人、特に中国や東南アジア
の観光客が増えることについてのネガティブな面を心配する声は相変わらず
多い。
これは欧米崇拝・アジア蔑視の考えが根っこにあるので、なかなか解消
できるものではないのも事実。

ビジネスの法則に「賛同者をしっかりと抱え込む」ことにプライオリティを
置き、「反対論者へのアプローチはその後」とする考え方がある。

当面は政府や観光庁は、外国人観光客誘致に熱心なデスティネーションに
フォーカスし、案内の多言語化・ユニバーサルデザイン化・スタッフ研修等の
充実を計るべきではないだろうか。
外国人誘致に熱心な施設とそうでない施設に、ビジネス上の明らかな利益・
不利益が生じてからでないと、はっきり言ってダメな経営者は目を覚まさない
のも事実だからだ。

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もっとも我が京都の主だったホテル・旅館が熱心かどうかは、未だ定かでは
ないが。


写真は上からラササヤンリゾート。
石川県の加賀屋。日本でもっとも外国人観光客誘致に熱心な施設の一つ。
京都・清水寺。いずれもKNTのサイトから。
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by Mikio_Motegi | 2009-07-05 15:34 | 人材・ホテル