ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

<   2009年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

京都の地蔵盆

「地蔵盆(じぞうぼん)」は、辻々に祀られているお地蔵様の縁日。
毎年旧暦の7月24日、グレゴリオ暦の8月24日前後の土日に
執り行われる。お地蔵様は子供の守り神とされており、地域の
子供たちの為の縁日-お祭りである。

c0094556_21475989.jpg


京都の市内を歩けばお気づきだろうが、ここはやたらとお地蔵様が
多い。一説5000体以上のお地蔵様が祀られているという程だ。

この日が近づくと、町内の住人はお地蔵様を洗い清め、お化粧を
施し、前垂れを新調する。
住人に子供が生まれると、名前を書いた提灯を新調し奉納する。

ロケーション、規模、風習等全てのお地蔵様は条件が違うので、
理論上5000通りの地蔵盆の祝い方があるという。
我が家の町内の地蔵盆は、当日は地蔵の前にテントを立て、
提灯を下げる。祭壇に灯明を上げ「曼荼羅(まんだら)」という幟(のぼり)
を立てる。
お地蔵様の前の通路が狭いので、一般車両の通行を遮断してしまう。

c0094556_2159358.jpg


子供達はテントの中や周囲で、大人が用意した福引やゲーム、
金魚すくい等に興じる。
また大人たちも自分の子供時代を思い出し、子供に昔話をしたり
昔のゲームを教えたりして楽しんでいる。
昼食も済ましてしまうので、日がな一日子供達は飽きることがない。

特に毎年8月24日前後は地蔵盆ラッシュなので、京都の市街地の
あちこちでこのような風景が見られる。
場所によってはテントは張らずガレージや民家の庭先、マンションの
集会場で執り行われることも多い。

c0094556_220623.jpg


地蔵盆という風習は京都、大阪、滋賀及び若狭地方に多く見られると
いう。
関東には地蔵信仰は薄く、代わりに稲荷信仰が篤いという。
当然のことながら関東で生まれ育った私にとって、地蔵盆は全く
ちんぷんかんぷん。
子供達はともかく、大人までも何故こんなに真剣になって遊ぶのか
当初は全く理解できなかった。

中世の京都は、この時代のご多分に漏れず衛生観念が無かった。
具体的に言うと、疫病の流行や戦禍などで人が死んでも埋葬せずに
死体は野ざらし。
埋葬などをする余裕も無いほど人々は貧しかったのだ。

もちろん身体の弱い子供達が疫病や戦禍の犠牲になることも
多かった。
まだ幼い子供の死体が野ざらしで朽ちていく。
見かねた町民がその地に遺体を埋葬し、霊を慰める為に建立したのが
現在のお地蔵様の由来であるという。

少子高齢化、核家族化、中心街の人口空洞化といった現代病の影響で、
京都の地蔵盆も年々寂れていく。
お地蔵様を祀っていても、子供のお祭りでありながら子供自体が
そこに住んでいないのだ。

地蔵盆を伝承し次世代に残すのは私たちの責任である。
そして国の宝でもある子供達の為に、私たちが為すべき事はあまりにも
多く重要だ。

・・・私は悲しいお地蔵様の由来を知った当初、街中を歩くたびに出くわす
彼らの前でその都度立ち止まり、「南無阿弥陀仏」を唱えていた。
でも毎回それをやっていると家から最寄の駅まで5-6箇所は立ち止まら
なければならないという現実に直面し、直ぐに諦めてしまった。

こんな私に国の施策を批判する資格があるかどうか、我ながら甚だ
疑問である。折りしも今日は衆議院選挙の当日・・・。


写真上は「数珠(じゅず)回し」。長さ3-4メートルの大数珠を皆で回し、
ご詠歌を歌うという独特の風習。 www.kokuta-keiji.jp

中、下は我が家の近所の地蔵盆風景。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2009-08-30 22:41 | 京都・紀行
現在の渋谷・道玄坂の百軒店(ひゃっけんだな)界隈は、
完全な風俗の街だ。
が、1970年から80年代初頭にかけて、ここに
「ブラック・ホーク」という超個性的なトラッド系ロック喫茶が
存在していたことを知る人は多くない。



c0094556_12243863.jpg

          ザ・バンド 「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」

ブラック・ホークは暗い穴蔵の様な場所でロックの轟音に身を
委ねる、という店ではない。むしろクラシック喫茶の趣きがあった。
ここでのロックは、例えば音量ギンギンのヘビメタ全盛期に
アコースティック系を、西海岸のアダルト・ポップな音楽が席巻すると
ゴスペル色の強い南部音楽を流すというもの。
かなりへそまがりで世の流れに同調しない、それでいて専門的で
特別な空気に満ちているものだった。

c0094556_1225233.jpg

           ライ・クーダー「チッキン・スキン・ミュージック」

コンサート会場で聴く場合と違い、メディアを通した音楽鑑賞とは
そもそも独りで楽しむものだ。だがロックやジャズ、クラシックを
専門的に流す喫茶店は、いわばお客と店側が価値観を共有する
場だった。
主に常連客同士で流れてきた曲に対しお互い顔を上げて
「いいね、これ・・・」と目配せしたり、逆に不満顔をアピールしたり
する、つまり曲を選ぶ店側、及びその曲をリクエストするお客の
感性をも厳しくチェックするという修練の場、とも言えた。

c0094556_12255048.jpg

           二ール・ダイヤモンド「ジャズ・シンガー」 

リスナーであるお客に緊張を強いる独特の雰囲気があり、流行を
全く追わない店だったので、下手なリクエストなどとてもできなかった。
店員さんもどこか謎めいていて怖かった。
私など当初は隅の席で音楽を「聴かせて頂いています」という状態。

リスナーにも高いハードルを設定していて、ブラック・ホークの
価値観にあった音楽のみを流し、「ブラック・ホークはただ今
こういった曲を流しています。(ついてこれるかい?)」
と冷ややかに眺めている感があった。

c0094556_12273231.jpg

           ピーター・グリーン&フリートウッド・マック
             「フリートウッド・マック」


ある時私と同じような「シロウト」のカップルの一見客が、当時
大流行していたAORのボズ・スキャッグスをリクエストした場面に
遭遇した。
その時店員さんは全く無視。そのお客と目も合わさない。
「ウチではこのような曲は扱っていません」と説明するでなし、
「はあ?」とあからさまに馬鹿にするでなし。とにかく完全無視。
そして気付くと常連客の冷たい視線が彼らにいっせいに注がれて
いる。
・・・そのカップルがすごすごと退散したのは、言うまでも無い。

c0094556_12262025.jpg

           ハリー・ニルソン「夜のシュミルソン」

そのようない緊張感溢れる店なので、お客同士のお喋りも禁止。
ちょっと大きな声で喋ろうものなら「お静かに」と書かれたカードを
店員さんにつきつけられる。

最近の言葉で言えば、時代・流行の空気を全く読まない曲ばかりを
かけ続け、それでいてリスナーに店の空気を読むことを求めていたのだ。

c0094556_1227511.jpg

           ブルース・コバーン「ハイ・ウィンズ、ブライト・スカイ」
             (原題)


1985年に閉店。ビルは壊され、往時の面影は全く無い。
すぐ隣のカレーの「ムルギー」、百軒店入り口のラーメン「喜楽」
そしてストリップ小屋の「道頓堀劇場」は今も残っているが。

c0094556_12283934.jpg

           トム・ウェイツ「オン・ザ・ニッケル」

今回掲載した写真は、私がブラック・ホークで知り、或いは
影響されて聴くようになった作品のジャケットの一部だ。
一般的にはかなりマイナーだろうが、ブラック・ホークでは
「やや商業的な」に部類されていたもの。
私は店内にいる常連客の顔を見て、怖そうでない人ばかりの時を
見計らってこれらをリクエストしたものだ。

 
c0094556_12275551.jpg

           ディブ・メイソン「スプリット・ココナッツ」

・・・最後になるが、私にブラック・ホークと、トラッド系ロックの
素晴らしさを教えてくれた桐生高校サッカー部の先輩である柿沼政之
さんが、今月5日急逝された。享年52才。
今回のブログは彼の死にインスパイアされてエントリーしたものである。

c0094556_1229684.jpg

           ジャクソン・ブラウン「ザ・プリテンダー」

・・・これは1976年のブラック・ホークのリスナーが選ぶ
ベストアルバムに輝いた作品。が、当時のレコード室の松平維秋氏
が「ブラック・ホークのリスナーも堕落した」と嘆いたいわくつきのもの。
西海岸の良質なシンガー・ソング・ライターだったジャクソン・ブラウンが
商業主義に走った作品として松平さんは酷評していたのだ。

柿沼先輩は松平さんの意見に同調しつつも、このアルバムの
ジャケット写真の素晴らしさを私に語ってくれたものである。

(参考文献)「渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説」
(株)音楽出版社 2007年12月発行 2000円税込み 
[PR]
by Mikio_Motegi | 2009-08-22 22:00 | ブレイク
サッカーのオランダ1部リーグVVVフェンロでプレーする本田圭佑
(ほんだ けいすけ)に、イングランド・プレミアリーグやフランス
リーグの複数の強豪チームが獲得の関心を示しているという
ニュースが飛び込んできた。

c0094556_2317723.jpg


ヨーロッパでは今シーズンの選手移籍市場が8月31日で締まると
いうこともあり、地元オランダのメディアでは大きく報道されている。
それらのチームとはプレミアのリバプール、マンチェスター・シティ、
そしてフランスのリヨンだという。
サッカーファンなら誰でも知っている超強豪チームだ。

もし本田がリバプールでジェラードやフェルナンド・トーレスと、
マンチェスター・シティでロビーニョやテベスと一緒にプレーする
ことが実現するとしたら、これはわくわくものだ。

日本のメディアやサッカー評論家の本田への評価は分かれている。
無駄な走りをしない、ボールを持ちすぎる、前線で守らない、
反則が多い、傲慢な態度をとる等が、彼への否定的な評価だ。
北京オリンピックでの対オランダ戦で、監督の指示に明確に造反し、
真っ向勝負を挑んだ等のエピソードもある。
"モンスター"と称される由縁である。

が、考え方を変え、上記と逆の選手が重宝がられていて、且つ
現在の日本のサッカーが世界に対し低迷しているのだとすれば、
本田は極めてユニークな存在であるといえないだろうか?

彼の魅力は左足での爆発的な無回転フリーキックと、外国人にも
負けないフィジカルの強さ。日本代表としてプレーした今年の対チリ戦で、
相手選手を片腕で押さえつけながらボールをキープしていたが、
これはなかなかできることではない。
また昨年度オランダ2部リーグながら36試合で14ゴールを挙げ、
得点王を獲得したというゴールセンス。

c0094556_23174582.jpg


そして意外と知られていないが、臆せず英語でコミュニケーションを
取れること。YouTubeでも彼が地元メディアのインタビューに
流暢に英語で答えているシーンが掲載されている。

フェンロが昨年1部から2部リーグに降格した際、再昇格の夢を
託されて主将を任されている事からも、彼のコミュニケーション能力
の高さを物語っている。

サッカー選手はあまり聞かないが、アメリカの大リーグやゴルフ・
ツアー、ヨーロッパのバレーボール・リーグ等に挑戦した選手が、
「言葉の壁に悩まされました」と言って日本での実力を発揮できず、
すごすごと帰国する例も多い。

言葉も分からずに外国で挑戦するなんて、「アホちゃうの?」
としか言いようがない。
よく「実力さえあれば語学は二の次」というが、それは日本国内での
話にすぎない。独りで霞(かすみ)でも食べて生きていくという
のであればいいが、その国のチームで一緒にプレーをする選手達と
コミュニケーションする能力は不可欠なのは言うまでもない。
だからメディアのインタビューに堂々と英語で楽しそうに会話を
楽しむ若い本田の姿に、余計頼もしさを覚える。

何度かこのブログで書いたが、私は岡田ジャパンの次回南アフリカ
ワールドカップでのパフォーマンスに相当危惧を抱いている。
まだ23才になったばかりの本田圭佑。
彼の出場によって日本代表も何とか結果が残せるのでは、という
期待を抱かせる選手である。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2009-08-16 23:27 | サッカー、スポーツ
"JAL Crash into deep mountain"

上記は今から24年前、1985年8月13日のジャパン・タイムス
朝刊の見出し。
520名もの命を奪ったJAL123便のあの日の墜落事故は、
多くの日本人の記憶に今も鮮明に刻み込まれている。

c0094556_21353894.jpg


当時私は勤務先の芝パークホテルで、新米のフロント・キャッシャー
だった。
当日の夜勤だった私と3名の先輩社員は、通常勤務に追われながらも
夜の8時頃から刻々と伝わるテレビ・ニュースから目が離せなかった。

何故なら、芝パークの日本人顧客の殆どが関西方面からの
ビジネスマンだったから。
彼らは当日朝にホテルをチェックアウトし、東京のオフィスで勤務後、
新幹線か飛行機で関西への帰路につくというパターン。
芝パークの近くに関西に拠点を置く某エレクトロニクス系巨大企業の
東京本部があり、そこからの出張客も多かった。

「もしかしたらウチのお客様の名前もあるかもしれない・・・」
古くからの常連で、時に親しく我々ホテルマンに接してくれた
お客様たち。この大事故に一人も巻き込まれないでいてくれると
いいのだが・・・。

だが不安は的中した。まずトップクラスの顧客である神戸在住の
O教授の名前が、搭乗者名簿で読み上げられた。

「おい、O先生は本当にウチをチェック・アウトしているか!?」
社長の特徴的な野太い声が、オフィス内に響く。
もしまだ滞在中であれば、あのニュースは誤報ということになる。
・・・残念ながら、O教授は確かに今朝チェックアウトしている。
がっくりと肩を落とす社長。

一人、また一人と常連客の名前がテレビニュースで読み上げられる。
警察からの問い合わせに備え、彼らのレジカードとチェックアウトの
記録をピック・アップする。

「あ、あの人だ・・・!」
私は小さく叫んだ。つい数時間前、私がシフトに就くと同時に
レイト・チェックアウトしに来た外国人観光客。
彼とは滞在中に何度か話をした。

「これから何処へ行くの?」
「キョートへ。"ZEN"に興味があるんだ」
「良い旅を」
「ありがとう」

チェックアウトのこの時も、こんな会話を交わしたのを憶えている。

結局この朝芝パークをチェックアウトしたお客で、この大事故に
巻き込まれた人は5名、ということが判明した。

c0094556_21214122.jpg


当日もホテルは満室の大盛況。大きな宴会も入っていて、レストランは
どこも満席状態。
どんな大事故が起きようと、ホテルは稼動し続ける。
そして私たちフロントの夜勤担当は当日の「締め」の作業を
淡々と正確にこなさなければならない。

一睡どころか一晩中休憩もとれなかった勤務明けの朝、
テレビ・ニュースでは未曾有の大事故の全貌を描き出していた。
新聞各紙ももちろん一面トップ。ホテル中が、いや東京、日本全国が
異様な雰囲気に包まれている。

ロビーのジャパン・タイムスの表記に目が行く。
"JAL Crash into deep mountain"

英語では「墜落」をこう表現するのか、と妙に感心する。

25才だった私は、夜勤明けのその足で、当時神宮外苑にあった
屋外プールでのデートの約束に向かった。

c0094556_21222330.jpg


8月の灼熱の太陽が照りつける中、この日も超満員の神宮外苑プール。
若者達の引き締まった肉体と、それを覆うカラフルな水着で足の
踏み場も無い。
デートの相手は外資系エアラインのスチュワーデス。
普段は快活な彼女も、さすがにその日は相当に表情が強ばっていて、
悄然とするばかりだ。
所属する会社の違いはあるが、同じ空で働く仲間が多く失われたのだ。

・・・お互い言葉も無くプールサイドに横たわっていると、隣のグループ
が聞いていたラジオ放送から、JALの事故現場から生存者を発見した
というニュースが飛び込んできた。

「生存者がいたんだってよ!」
「本当か!?」
ざわめきが周囲に伝わり、やがてあちらこちらでラジオの周波数が
NHKニュースのそれに変わる。

「ただいま日航機墜落現場から、生存者が確認されました!」
NHKのアナウンサーの力強い声に、超満員のプールが一瞬
静けさに包まれ、やがてあちこちで控えめな歓喜の声がさざ波の
ように広がる。抱き合って喜ぶカップルもいる。

「良かった!」「良かったね・・・」

たった4名、いや4名も生きていてくれたこの事実。
520名もの犠牲者を出したこの大惨事での4名の生存者のニュースに、
私たちは興奮していた。

やがてプールには元の喧騒が戻り、いつもの神宮外苑プールの
様相になる。軽快なBGMが空に鳴り渡る。
灼熱の太陽、真っ青な空、白い入道雲。

「生きている」って何だろう。

本当に不謹慎極まりないが、許して欲しい。
昨夜は生々しい大惨事の事故処理の一端に携わり、お客とフロントの
中とはいえ言葉を交わした人を喪い、私は心身ともに疲れ果てていた。

そして今日、事故現場の修羅場とは対照的な神宮外苑の青空の下、
若々しい肉体が弾けるプールサイドで得た「自分は生きている」という
実感。

毎年8月12日午後6時58分。私は今でも黙祷を捧げる。
亡くなった520名の犠牲者、その家族、関係者、そして生きることの意味を
思いながら。


写真は上から www.LessingNets.com
www.intec-j.up.seesaa.net
www.Hanshin-Now.com (屋外プールのイメージ)
[PR]
by Mikio_Motegi | 2009-08-12 22:59 | 人材・ホテル

バビロン再訪

ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタルホテルに宿泊してきた。
1996年にこのホテルを退職して以来の事だから、13年ぶり
の滞在だ。ちなみに私は1989年のホテルの開業準備室発足と
同時にセールスマネージャーとして着任、結局7年間勤務
していたことになる。

c0094556_20163933.jpg


ヨットの帆をイメージした外観が特徴的なこのホテルがグランドオープン
したのは1991年の8月20日。
開業当初のみなとみらい21地区には、建物といえばホテルと
パシフィコ横浜、そして大観覧車しかなかった。
徒歩15分弱の桜木町駅まで夜間は人っ子一人歩いていない。
ホテルから帰路につく女性スタッフの安全のため、私たち男性スタッフが
道中を等間隔で見張ろうかなどという意見が真剣に交わされた程だった。

今回その道を歩き、クイーンズモールや遊園地に溢れる人々を見て、
正直言って目が回ってしまった。隔世の感とはよく言ったもので・・・

c0094556_20171271.jpg


・・・あまりこんなことばかり書くと、年寄りの昔話と思われるので止めておく。

閑話休題。ホテルの頭頂部、約140メートルのところに「女神像」が安置
されているのをご存知だろうか?

c0094556_20173842.jpg


大型の船をイメージに建造したパシフィコ横浜なので、船と同じく船首に
女神像を設置しようということになり、オープン直前にホテルの頭頂部に安置
されたもの。
「みちびきの像」と名づけられた高さ4メートルのブロンズ像で、横浜銀行が
寄贈した。

c0094556_20181787.jpg


インターコンチネンタル・ホテルズは、今は解体された日本の流通系企業
グループである「(西武)セゾン・グループ」が所有していた。

その日本進出の第1号ホテルいうことでインターコンチ本部も相当力を
入れていたのは事実だが、同時に様々なマーケティング上の恩恵を与えて
いたのも確か。

今から2年後の2011年にはオープン20周年を迎えるこのホテル。
今も新しい血を導入し、常に自己改革を怠らない点はさすがだ。

「みちびきの像」にはいつまでもホテルやパシフィコ横浜、そして
みなとみらい21地区の安全を守り、繁栄を約束して頂きたいものである。

c0094556_20201525.jpg


写真は上からみなとみらい全景。横浜市のHPより。
クイーンズモール界隈。
 http://tokyoyakei.jp/yokohama/mm21/mm21-99s.jpg より。
「みちびきの像」。パシフィコ横浜のHPより。
ホテルの各階、突端部に当たるスイートルームからの眺め。
ベイブリッジを見ながら夏休みの宿題に励む娘たち。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2009-08-10 20:34 | 人材・ホテル
家内と二人で市内の千本中立ち売りにある「神馬(しんめ)」という
居酒屋に寄って来た。

c0094556_22374854.jpg


全国紙である「dancyu」や「週刊新潮」にも取り上げられた
ことのある、創業76年の老舗だ。
質の良い、かつ安い食事と日本酒を提供してくれる店として界隈
ではつと有名である。
戦後良質の日本酒が入手できなかった時代は店を閉めていた。

この日、私たちが注文したのは:

・鱧(はも)の落とし、梅肉添え  
・岩ガキの刺身   
・賀茂茄子のしぎ焼き
・鮑のバター焼き   
・桜海老のてんぷら 
・きずし (さばの昆布ジメ) 
・漬物盛り合わせ    

これらとビール中ジョッキ2杯、冷酒「立山」2合で、会計は
1万円少々。

店内は常連が多いが、私たちのような初見の客にもスタッフは
気さくに声をかけてくれる。
聞くと全員が家族で、且つ全員下戸とのこと。

この店のある「千本中立売り」とは、京都市内の堀川通りと西大路通り
の間を南北に千本通りと、京都御所の蛤御門から西に伸びる中立売り
通りが交差する所。
c0094556_2238478.jpg

太閤秀吉が創建した「聚楽第」の跡地でもある由緒ある街で、戦前戦後
は地場産業である織物業が隆盛を極めていたこともあり、京都では
河原町と並ぶ繁華街だったという。

織物業に従事する人々の遊興の為の周辺産業も盛んで、
「日本のブロードウェイ」と呼ばれるほど映画館や劇場が多かった。

また三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉の「五番町夕霧楼」等に
登場する遊郭である五番町もここに存在していた。

今は残念ながら昔日の隆盛は無い、が、辻々に往時を
思わせる佇まいやお店が現存しているのも、この街の魅力である。

写真上は「神馬」。
下は現在の五番町界隈。http://senbon-nishijin.com より。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2009-08-08 22:40 | 京都・紀行