ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

<   2010年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

実は携帯メールが苦手

実は携帯メールが苦手な私である。
理由は簡単で、要するに私がテクノロジーの進歩に追い付けていない
アナログ人間だから。

私は携帯電話が広く普及する前の1995年に日本を離れ、2003年に帰国
した。帰国して驚いたのが、周囲の人々が何処に行っても携帯メールで
一斉にピコピコやっている姿だった。
慌てて追従したのだが当初は上手く使いこなせず、ガールフレンドに
「浦島太郎さん」とか呼ばれてしまう体たらく。完全に出遅れ、今に
至っている。
また現在の携帯がタッチパネル式なのも、メール無精に拍車をかける
結果になっているようだ。

c0094556_1540105.jpg


学生時代に英文タイプを学ばなかった私は、新卒で入社したホテルで、
フロントに配属される事が決まったとたん、キーボードが打てない事に
気がついた。
ご存じのようにフロント業務はHPS(ホテル・プロパティ・システム)を
使えることが前提とされる。
英文タイプの通信教育を受け、何とか3週間ほどでブラインド・タッチ
までこなせるようになった。

1995年の12月にインドネシアのジャカルタのシャングリ・ラに面接に
行って感激したのが、私を含むセールススタッフ全員にそれぞれPCが
1台ずつ割り当てられていること。
それまでいた日本のホテルでは10名ほどの宿泊セールス部全体で
PCは1台しか無く、「そういうもの」だとばかり思っていた。
もっとも先進国・日本から来た身としては、インドネシア人の彼らに
そんな内部事情は口に出せなかったが。

以降、デスクワークの殆どを自分のPCでこなす職場に8年いた。
使用言語はあの頃の事で、当然英語のみ。今ではありえないだろうが。

c0094556_15405981.jpg


かつて欧米社会では一家に1台の、学生は一人1台のタイプ・ライターを持つ
のが普通だった。その文化の延長で、企業がスタッフにそれぞれPCを
割り当てるのはほぼ「常識」だ。彼らはキーボードを使うPCに日常的に
親しんでいる。
そんな文化の無い日本では、キーボードを使うPCより携帯がより普及し、
それに伴い携帯でのメールがPCより浸透した、言える。

c0094556_15413294.jpg


ところでハーバードの学生が創業したFacebook だが、今や世界中で
5億人以上が利用する最大のSNSに成長したという。
アメリカではFacebook を通して就職をアプライしたり、企業も
その求職者について本人のFacbookのプロフィール評価・判断したり
しているという。

恋愛のシーンでも「出会い系」中心の日本のSNSと大きく異なる。
真剣な交際を前提としてFacebookを利用し、プロフィールを見た男女が、
お互いの趣向を知る為にかなり詳しく内容を精査するという。

そして企業の採用担当者や、真剣に交際相手を探している人たちの
共通認識は、Facebookに記載されている内容、及びそれがきっかけで
メールでのやり取りを続けると、その人間の「人となり」を極めて正確に
評価できる、というものである。
文脈、文法、スペル、行間の空け方、適正な表現、それらが人間の性格を
正確に投影している、というのだ。

それが本当だとしたら、携帯メールはFacebookにはとても不向きな
メディアであると言えるだろう。
あの限られた小さなスクリーンでは、正確で的確な表現などできやしない。
職務の概要、正確な履歴、達成数値、人生の目標を記載するレジュメや、
見知らぬ異性に自分をせいいっぱいアピールする為のプロフィールを
書くには、やはりPCは欠かせない。

やはり携帯メールは急な連絡やChat かTwitに用途を限定したほうが
いい、と私は思うのである。

最近さる国内の大手老舗のホテルチェーンの人と名刺交換した際、
連絡先に社用携帯メールアドレスが記載されているのに気がついた。
聞くと、見積り書や人事異動の通達、マーケティング戦略などの
かなりの重要事項もこの携帯メールで連絡・指示が飛んでくるの
だそうだ。

私は実物を見てないので、どんな表記でメールが来るかは不明だが、
それを「テクノロジーの進化」と捉えるか、「やり過ぎ」と捉えるかは、
人それぞれだろう。

少なくとも私は辞令は上司から直接聞きたいし、"Just Do It"が求め
られる営業の最前線だからこそ、メールによる指示ではなく、綿密な
戦略を資料と共に事前に頭に叩き込んでおきたい、と思う。

c0094556_15422032.jpg


先日も昔からの仲間同士の気の置けない集まりに関する打ち合わせで
私宛にもCCでメールが多数飛んできたが、殆ど返信できなかった。
その日は休日で、且つ珍しく熱を出して寝込んでいて返信する気力が
無かった事を差し引いても、気がついたら60件近いメールが着信ファイル
に溜まっていた。

熱に浮かされていた私は、ベッドの上を何十というメールが飛び交う姿が
眼に見えるような錯覚に悩まされ続けたのである。

c0094556_15424657.jpg


写真は全てイメージ。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2010-12-26 17:21 | ブレイク

妻をめとらば曽野綾子

作家の三浦朱門は、色紙を頼まれると「妻をめとらば曽野綾子」と
書いたというエピソードを、確か遠藤周作のエッセイで読んだ事がある。
ユーモア半分、おのろけ半分だろうが、後に文化庁長官を務めた程の
三浦朱門にここまで言わせる才色兼備の女流作家が、妻である
曽野綾子だ。

c0094556_2232341.jpg


2008年の刊行で、先月文庫化された「言い残された言葉(光文社文庫)」
を読み終えたが、面白かった。
彼女はあの笹川良一が創立した(財)日本船舶振興会(通称日本財団)
の会長を2005年まで10年間勤めたほどだから、言動は保守系右寄りの
色が濃い、とイメージされがちだ。
が、ここに書いてあるのは実は当たり前の、だが最近忘れられてしまった
日本人の行動様式の源流があると思う。

いくつか抜粋してみる:

「『人間は平等』というのは『人間は平等を目指す』のであり、
『人間は平等になれる』という保証ではない」(自分の傷を舐める)

「人生の不幸は後に必ず精神的財産になる。大災害、大事故の現場に
いながら奇跡的に無傷だった人は、PTSD(精神的後遺症)になんて
ならずにもっと素直にその幸運を喜んでいい」
(同)

「ホームレスを庇(かば)うという事は、法を守る事は必要ないと教えている
のと同じ」(満開の桜の下で)

「どのような田舎の小さな催しでも、すぐに国歌が歌われるのは世界の慣習。
国歌に敬意を表する事は、対立が絶えない世界における最低の儀礼である。
なのに日本人は・・・」
(フィニケの海)

「流行語は誰でもがお手軽に使っているので、手あかにまみれたインパクトの
弱い表現になっている」(二人のドミンゴ)

「黒髪を金髪に染める日本人は、白人崇拝と同時に黒人蔑視を表している
自分を失っている個性の無い集団で、欧米では全く尊敬されない」
(モンテ・ナポレオーネ通り)

「日本は『対人地雷全面禁止条約』に署名すべきではなかった。
持っているふりをして使わなければいい。地雷というものがこの世に
ある限り、それを使わせない為の策を講じるのが大人の判断のはず」
(幼児化に抗する)

「レイプの結果以外の妊娠はすべて当人に責任がある」
(残り1パーセントの真実)


・・・右寄りでも過激でもない、実に当たり前の言葉ばかりでしょう?

c0094556_1326169.jpg


彼女を聖心女子大学卒業の「お嬢さん作家」のように誤解している人も
いるが、実は苛烈な幼少期をすごしている。
1945年3月10日の東京大空襲で被災し心神喪失状態になり、父親に
よる家庭内暴力を受け、さらに母親の自殺の道づれになりそうになった
経験を潜り抜けている。

私は三浦朱門、曽野綾子夫妻とシンガポールで何度かお会いした事
がある。2000年頃の話だが、ご夫妻はシンガポールの植物園辺りに
居を構えており、毎年数カ月をそこで過ごしていた。

日本財団の若い職員がアフリカのどこかから帰任する途中、彼らの労を
ねぎらう為に夫妻が毎年私の勤めるインターコンチネンタルホテル
に宿泊をアレンジしていたのだ。
職員たちの滞在中、ホテルを訪れた夫妻と何度かロビーでお話をさせて
頂いたが、ミセス・タンという、シンガポールの大富豪に嫁がれた
見事な銀髪の日本人女性と連れだって来られていた。

その際にミセス・タンが「私の学生時代の夢はホテルに勤めること
だったのよ」とおっしゃったので、「では明日からフロントでアルバイト
されますか?」と私が返し、会話が盛り上がったものだ。

実は私はその時も曽野綾子の著作をいくつか所蔵しており、その一冊に
直筆のサインをしてもらおうかと思ったのだが、日本を離れたシンガポール
には夫である三浦朱門の著作は手に入らず、奥様にだけサインを頂くのも
気が引けるので遠慮しておいた。

あの時三浦氏には例の「妻をめとらば・・・」を色紙に書いて頂けば
よかった、と後になって悔んだものだが。

c0094556_22324717.jpg


ちなみに私は「右寄り」という表現をどうかと思う。左翼・社会主義系の
「左寄り」と対をなす右翼・保守系の立場を取る人を表す言葉と捉えられ
がちだが、左から見れば真ん中も右に見える、のだから。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2010-12-18 20:49 | ブレイク
7日(火)の夜、キッザニア甲子園で開催された大人だけのクリスマス・
パーティーに行って来た。
ご存じのようにキッザニアは、企業が出展しているパビリオンで子供が
その企業の業務を模擬体験し、子供の実社会への関心を高めるという
一種のテーマパークだ。

c0094556_11325540.jpg


私はキッザニアのこうしたアクティビティに、懐疑的な意見を持っている。
実業の世界はキレイ事だけではない。利益追求の為に実にどろどろとした
駆け引きや人間関係がある。反社会的とまでは言わないが、グレイゾーン
ぎりぎりの利益供与だってある。
また、企業実務はセットアップこそが肝心なのであり、ここのように全て
お仕着せのパビリオンでの模擬体験など、近頃のませたガキどもには
感動どころか実業の世界を甘く見下してしまう結果になるのではないかと
思うのだ。

c0094556_11494825.jpg


ただしキッザニアの関係者数名から今回聞き取ったのだが、
キッザニアは子供たちの入場料収入のみで収益を挙げているわけではない。
パビリオンを出展している企業からの相応の出展料と、キッザニアの
価値に賛同する企業からのスポンサー料も収益の柱だという。

c0094556_11341452.jpg


ではパビリオン出展企業やスポンサー企業ののbenefitは何だろう?

まずひとつは、子供たちを連れてくる親や教師の大人の世代に企業をアピール
する宣伝効果がある。

次に子供たちが実務を模擬体験をする事により、その企業への親しみを
刷り込ませ、大人になったときにファンになってもらえる事を期待する
「種まき」効果。

またキッザニアは子供たちに実業への関心を持たせる場所である事から、
企業の社会貢献活動の場として活用することができる。

さらに今夜のような我々を招いたクリスマスパーティーに代表されるように、
様々な出展企業やスポンサーたち同士のネットワーキング活動の機会を
得ることができる。

c0094556_11345246.jpg


今までキッザニアは子供たちの模擬体験の対価である入場料収入だけで
収益が成り立っていると大きな勘違いをしていた私だが、今回認識を
新たにした。
キッザニアは子供を媒介にした、大人の為の立派なテーマパークなのだ。
その意味で彼らのパブリシティ効果、社会貢献効果は評価に値するもので、
こうした新しい形のテーマパークを日本に導入した彗眼に改めて感服する。

c0094556_11352219.jpg


写真は上からパーティー光景。

セクシーなサンタの衣装に身を包んだスタッフ。彼らのホスピタリティの
高さもキッザニアが好評である大きな要因だ。

何のパビリオンだか不明だが、ウォール・クライミングもある。

キッザニア甲子園。1999年にメキシコシティーに一号店がオープン。
日本では東京・お台場に2006年、ここ甲子園に2009年にオープンした。

企業のパビリオンでユニフォームに着替え、模擬体験に興じる大人たち。
いい年をした大人のこんな姿を見ると、バッカじゃねえかと思う。
最近多いという幼稚な大人のコスプレ願望に付け込んで、こうした
「大人だけのキッザニア」もアクティビティにしたらいいのに・・・
やっぱり気持ち悪いな。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2010-12-12 09:47 | 京都・紀行

オペラな夜

12月3日(金)、スイスホテル南海大阪で催されたチャリティ・ディナー・
ショーに行って来た。
会場はリノベーションを終えたばかりの最上階のイタリアン「タボラ36」。
今回の企画の目玉は、メトロポリタン・オペラ所属の歌手による約40分間
のオペラのミニ・コンサートがある事だ。

c0094556_20245520.jpg


ちなみに主催はNPOの「JVC 国際ボランティア協会」。
各地でコンサートを開催し、その収益金で世界中の貧困や大災害に喘ぐ人々を
救おう、という団体だ。
このディナー・ショーは私の所属するACCJ(在日米国商工会議所)の
社会貢献プログラムの一環でもあり、私も特別料金で参加する事ができた。

c0094556_20253984.jpg


私が初めて本場のオペラを観たのは20年以上前のウィーン・オペラハウス
での「ワルキューレ」と「トリスタンとイゾルデ」だった。
あの時は、それまでに訪れた事のある日本のコンサート・ホールとは全く違う
雰囲気に圧倒されたものだ。
ブラック・タイとイブニング・ドレスで着飾った男女、高価そうな香水の匂い、
豪華な内装、幕間のシャンパン、そして奮発して購入した桟敷席から観た壮大
(長大?)なる歌曲。絢爛たるハプスブルク文化の神髄の一端に触れた気が
したのを思い出す。

ただし日本にやってくる本場のオペラはチケット代が高い。
一般席でも数万円はするので、そう度々楽しむわけにはいかない。
だから今回のディナー・ショーは、ACCJでの企画段階から大変楽しみに
していた。

c0094556_20272433.jpg


さてレストランでのショーという事で、演目は下記のアリア:

「こうもり」より “乾杯の歌” ヨハン・シュトラウス
「ドン・パスクァーレ」より “なんと快い4月半ばの夜よ”ドニゼッティ
「ルサルカ」より “月に寄せる歌” ドボルザーク
「ラ・ボェーム」より “年老いた外套よ、聴いておくれ” プッチーニ
「カルメン」より “セギディーリャ” ビゼー
「ホフマン物語」より “バラカローレ(舟歌)” オッフェンバッハ

これにいくつかのクリスマス・メドレー。 

c0094556_20274884.jpg


残念ながらパフォーマンスはやや低調だった。
レストランなので音響も悪く、細かい事だがソプラノはビブラートを
効かせすぎ、テナーは低音部がまるで出ていなかった。
しかしKenneth Kellogg というアフリカ系バリトン歌手の声は深く伸びが
あり、素晴らしかった。
また日本人女性によるピアノ伴奏も秀逸。

ディナー・ショーという事で、客は必ずしもオペラのファンばかりではない
ので、雰囲気がややだらけていて緊張感が無かったのも事実。
ステージのすぐ脇の席に座っていたイブニングドレス姿の若い外国人女性が、
ショーの最中に煙草をすぱすぱ吸いだしたのには驚いた。

が、オペラやクラシックが今のようなコンサート・ホールで演奏される
ようになったのはモーツアルトの頃からで、それ以前は王族等のパトロンの
屋敷でのサロン・コンサートが主流だった。
そこでは当然酒食が供されており、歌手たちは煙草やアルコールの匂いの
中でパフォーマンスを演じるのが普通だ。
現在のように、しわぶきひとつも憚れるような雰囲気は無かったろう。
だからその外国人女性も、当然サロンの歴史を知っての喫煙だろうから、
今回は不問に付しておこうと思う。

c0094556_20292316.jpg


今回のショーの後、JVCは大阪と東京で大観衆を前にした本格的な
チャリティ・コンサートを開催するという。
歌手たちが今夜のパフォーマンスで声馴らしをし、本番に備える手助けに
なったとしたら、チャリティに参加できない私としては本望ではある。

c0094556_20294372.jpg

c0094556_165968.jpg


写真は上から今回のパンフレット。
ミニ・コンサート風景。
ACCJ古参会員である吉原氏と私。
ACCJメンバーによる集合写真。
ACCJ関西の事務局、KeizoさんとYukoさんの2ショット。
[PR]
by Mikio_Motegi | 2010-12-05 10:11 | ブレイク