ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

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大徳寺雪景色

朝の大徳寺。2年ぶりの雪景色だ。

今月号の婦人画報にも特集が組まれているが、日本の作庭の巨人である
小堀遠州の影響で、禅宗の庭独特の「凛」とした風情が漂う。

こんな朝は人っ子一人いないと予想していたが、案に相違して雪景色を
楽しむ地元の人たちの姿が多く見られた。

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by Mikio_Motegi | 2008-02-13 22:49 | 京都・紀行
曝涼(ばくりょう)とは平素収納している諸道具・図書・衣類等をに日に
さらして風を通すこと。いわゆる「虫干し」のことである。
毎年10月の第2日曜に、大徳寺では所蔵品の曝涼を行い、一般公開
している(入館料大人1,300円。雨天中止)。

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曝涼で驚くのは、大徳寺が所蔵している大変貴重な掛け軸の数々が
ちょっと手を伸ばせば触れられるところに掛かっている。
それもそんじょそこらの美術品ではない。

代表的なものに中国の宋から元の時代に活躍した禅僧の牧谿
(もっけい)による国宝「観音・猿鶴(えんかく)図」、重要文化財「竜虎図」。
国宝の後醍醐天皇直筆の書、朝鮮高麗時代の重要文化財
「楊柳(ようりゅう)観音像」等である。
牧谿の作品などは東洋美術の白眉・至宝ともいえるもので、私は4年前に
初めてこれを拝観した時、あまりの迫力に度肝を抜かれたものだった。

「竜虎図」の竜は鉛色(にびいろ)の雲の間からぬうっと顔をだして
いるようで、実際に竜がいたならこんな風に現れるのだろうな、
と想像してしまう程リアルだ。
虎も、肩の辺りの筋肉の盛り上がりや身体のこなしがいかにもしなやかで、
正に今でも飛び掛ってきそう。
どちらも眼の力が凄い。大きな白眼に、ここにしか打てないと言わん
ばかりの小さな一点のみの眼球。
無機質であり何者も寄せ付けない、霊長類の王者の貫禄である。

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そして気付く人は多くないのが、これらが掛かっている部屋の襖絵だ。
大軸の陰に隠れてしまっているが、精緻だが実に味わい深い山水画が
襖に描かれている。寺の係りの人に尋ねても由来が分からなかったが、
このブログを書くので調べていたらその絵は狩野探幽のものだった。

このような名宝が下町にある我が家から100メートルしか離れ
ていないところに常に所蔵されているという事実が、京都という街の
奥深さなのだろう。
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by Mikio_Motegi | 2007-10-14 12:16 | 京都・紀行
梅雨の合間に所用で久しぶりに大徳寺の塔頭(たっちゅう)である弧蓬庵
(こほうあん)に出かけた。目が洗われるような緑の中に身をおくと、ほんの
暫しだが俗事・雑事を忘れることが出来る。

大徳寺の境内は今月末に完成予定の、電線地中化工事と参道の
整備で忙しい。それというのも京都市が金閣寺や清水寺に続き、大徳寺
や嵐山、相国寺(そうこくじ)等を新たに世界遺産に登録しようと計画
しており、境内の環境設備を急いでいるからだ。

八坂神社、高台寺、清水寺等の観光資源が多くいつも交通渋滞が激しい
東大路周辺に比べ、我が家のあるここ北大路周辺は比較的静かだ。
ただし桜や紅葉のシーズンになると、こんな地味な禅寺である大徳寺周辺も、
観光バスやマイカーなどで若干の渋滞を起こす。
といっても東京都内やジャカルタの渋滞に比べれば可愛いもんだが、地元
住民はこれ以上の渋滞が予想される大徳寺の世界遺産登録申請に、露骨に
嫌な顔をする。
ま、これも京都人特有の「ポーズ」で、本当は京都が世間から注目されるのが
嬉しくてしょうがない事くらいはとうに見抜いている私だが。

追記:本日(7月6日)の地元紙に、祇園祭保存会が文化庁に祇園祭の
世界遺産登録申請を決めたとのニュースが伝えられた。

写真は弧蓬庵の庫裏(くり)より格子戸越しに望む露地。
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by Mikio_Motegi | 2007-07-02 21:24 | 京都・紀行
京都に住居を構えて丸3年がたつ。
関東で生まれ育ち、就職も東京だった昔からの私を知る友人・知人からは「なんで京都に住んでんの?」とよく聞かれるが、理由は簡単。家内の実家があるからだ。

8年に及ぶ東南アジア生活を切り上げ帰国を決めたとき問題になったのが日本の何処に住むか、だった。以前所有していた横浜のマンションは既に売り払っていたし、娘達の教育のことも考えてとりあえず北区の北大路沿いにある家内の実家に転がり込み、そこでこの事業を始めた、というのが真相である。

家内の家は裏庭の塀の向こう側が大徳寺、というロケーションだ。自然と様々な形で大徳寺の方々とのお付き合いが始まった。

写真は江戸時代に小堀遠州が作庭した名刹「狐蓬庵(こほうあん)」。そして我が家の娘達が「大徳寺の森」と呼ぶ、高桐院横の路。将に昼なお暗く、真夏の日中でもひんやりとする鬱蒼としたこの森を、彼女達はここを抜けた先にある「今宮幼稚園」に毎日通っていた。

これから徐々に我が家のある西陣、大徳寺周辺、また京都市内の散歩道を紹介したいと思う。

(このシリーズは司馬遼太郎の「『街道をゆく』34大徳寺散歩」《朝日文芸文庫刊》のタイトルを拝借した)
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by Mikio_Motegi | 2006-10-16 11:54 | 京都・紀行