Sudden Death at 福知山マラソン
2008年 11月 24日
と書いた。しかし、完走は来春まで持ち越しになったことを報告します・・・。

「走った距離は、裏切らない」・・・ああ、なんて素晴らしい言葉だろう。
私はこの言葉を信じ、今年1月から毎月100キロのロードワークをこなした。
体重も目標の8キロには届かなかったが、6キロ減。
全てが順調だった。
「スタートから25キロ付近まではスローペースをキープ。
脱落者が増えてくる30キロ付近からスピードを上げ、他人を追い越す
快楽をモチベーションに変えてフィニッシュまで行こう。
目標タイムは4時間40分!」
・・・だが当日のこの結果重視の作戦が裏目に出たのだ。
京都府北部の福知山市郊外を走る「福知山マラソン」は今年で18回を
数える。
参加者は一万人を超える西日本有数の大会だ(ちなみに東京マラソン
の参加者は三万人)。
またボランティアをはじめ大会運営の素晴らしさ、景色の美しさ等で
日本の「マラソン100選」に毎年選ばれている。
私が記念すべき初マラソンにこの地を選んだのは当然のことだった。
号砲が鳴り一万人が一斉にスタート。晩秋の福知山市をひた走る。
由良川という風光明媚な川沿いの平坦なコースだ。
紅葉に染まった山々の景色が目に優しい。
私は初マラソンにしては余裕の走り。
それもその筈で、普段の練習時より2割近くスピードを落としているのだ。
心配だった左ひざと右足太もも裏の痛みも出ない。
20キロを過ぎた時点で「これはいけそうだ」と確信。
全てが順調、の筈だった。
ゴールまで半分を折り返した25キロ地点で、大会名物の「お汁粉」の
サービス。これが楽しみだったんだ。
手渡ししてくれるボランティア女性が、何故かここは皆若奥さん風の
美人ばかり。
思わずにやけて立ち止まり、お汁粉をすすりながら
「毎年ここでボランティアしているの?」とか「近所の人?」とか、
つい余計なお喋り。
お汁粉のお代わりをまでして2-3分立った頃だろうか、若奥さん達が
困ったような顔をしてそわそわしだしたのに気がついた。
するとその時までずっと奥に立っていた年長の女性が
「あんた、のんびりしてる場合とちゃうよ。28キロの関門まで時間が
ないで」と割り込んでくる。
「関門?えー?それって後どれくらいですか?」
聞き返す私に「後15分、ここから3キロはあるで」とのご返事。
「やべえ!」
思わず叫んで走り出した私の背中に、先ほどの若奥さん達の冷たい
視線が矢のように刺さる。「このおっさん、アホちゃうの?」

福知山マラソンに「関門」があることは知っていたが、そんなに厳密に
運用しているとは思わなかった。
ゴールまでの制限時間さえ守れば良い、とばかりタカを括っていたのだ。
びゅんびゅん飛ばす。無数のランナーを置き去りにして。
「確かに他人を追い越すのは快楽だなー」と実感する。
心臓はバクバク、膝はきりきり。だがここで負けたら何のために1年
頑張ってきたかわからない。中学生の時に読んだ「走れメロス」の気持ちが
ようやくわかった、といったら言いすぎだろうな。
・・・奇跡のダッシュをはじめて10数分経過。
大きなカーブを曲がった先の関門(本当にバーが閉まる)が見えてきた。
しかしここで大会役員のカウント・ダウンのアナウンスがこだまする。
「後残り時間15秒・14秒・13秒・・・」
距離にして残り約300メートル。だが残念ながら私はウサイン・ボルト
でも朝原宣治でもない。
10秒で300メートルを走ることは不可能だ(ボルトでも無理)。
「はいランナーの皆さん、お疲れ様でしたー」
無常のアナウンスが山間に響く。
やがて手回し良く待機していたバスに私を含む落伍者数百名が乗せられ、
私の初マラソン挑戦は突然の終幕 "Sudden Death"'を迎えたのである。
憮然としてバスの最前列シートに陣取る私の横で、運転手さんが大会
本部と携帯で交わす会話が聞こえる。
「こちら・・号車。只今48名を収容。これから会場まで護送します」
・・・『収容』とか『護送』とか・・・、何だか犯罪者になったような気分だが、
それに抗う気分もおきないまま、私は心地よいバスの揺れに身を
委ねていた。
今回の教訓:ルールは事前に熟読しよう。

写真上:会場の福知山体育館で着替える参加者。毎年1万人以上が
参加する西日本有数のマラソン大会だ。
中:ゴール近辺。大会を通し数千人の市民ボランティアが熱い声援を
送ってくれる。
会場受付で、地元の小学生による応援メッセージを受け取ったが、これが
また可愛い。
千友合ちゃん、地元の皆さん、応援ありがとう。また来年も来ます!!
下:この時期に鮭も遡上してくる美しい由良川。
私は走りながら目を凝らして鮭の姿を探したが、見つからなかった。
「そんなことをやっているから、制限時間オーバーするんだ」との声もあり。

