Yokoso! Japan トラベルマート2009
2009年 05月 30日
に行って来た。
年に2度行われるインバウンド業界の商談会で、国内のホテル、旅館、
交通機関、観光施設、コンベンション・ビューロー等400軒以上が参加、
海外からは250近いバイヤーがやってきた。
私が顔を出した28日はあいにくの雨。それに加え新型インフルエンザの
影響で海外からのバイヤーの直前キャンセルも多いとの事で、活気が
無いのではと心配していた。
だが実際はそんなことは無く、逆境の今だからこそビジネスチャンスと、
バイヤーに積極的に売り込む施設が多いのには感心した。
私自身も多くの新しい出会いがあり、かつ多くの友人達と旧交を
温めることができ、大変有意義だった。
私が始めてこの種の商談会に参加したのは、1989年に高輪プリンスホテル
の飛天の間で開催されたJATA。
当時私はインターコンチネンタルホテルを買収したばかりのセゾン・グループ
の社員で、2年後の91年にオープン予定の横浜の開業準備室勤務
だった。
セゾンの傘下に入ったばかりとの事で、世界中のインターコンチが日本に
目を向けていて、「日本はどんな国?」とばかり大デリゲーションが
やって来た。
おりしもバブル絶頂期で、日本人の海外渡航客数が飛躍的に伸びている
時期でもあった。
インターコンチの派手なブースの中に身をおき、横浜を世界のマーケットに
売り込む最初の機会として、気分が高揚していたのを思い出す。
海外のインターコンチの同僚や他ホテルのホテリエと知り合い、我彼の
違いを知り、かつ共通部分の多いことも知った。
未だに付き合いのある友人達にも出会い、インターナショナルな気分に
浸ったのが昨日の事のようだ。
あれから20年も経つが、今も海外や外資系ホテルとビジネスの付き合いが
切れないのは、あのJATAでの経験が未だに尾を引いているからかもしれない。
また自分自身が将来海外で働こう、勝負してみようと思い立つきっかけに
なったイベントだったとも言えるだろう。
ところで今の私の立場から見て残念なのは、エージェントの同業者の顔が全く
見られなかったこと。
シンガポールやオーストラリアでのこの手の商談会では、それこそ
ヘッドハンター達がうようよ会場を歩き回っている。
この業務のホテル業界への認知度を高める為にも、同業者にはもっと
アグレッシブになってもらいたいと願うのは、時期尚早・或いは私の
思い上がりだろうか。