渋谷「ブラック・ホーク」伝説
2009年 08月 22日
完全な風俗の街だ。
が、1970年から80年代初頭にかけて、ここに
「ブラック・ホーク」という超個性的なトラッド系ロック喫茶が
存在していたことを知る人は多くない。
ザ・バンド 「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」
ブラック・ホークは暗い穴蔵の様な場所でロックの轟音に身を
委ねる、という店ではない。むしろクラシック喫茶の趣きがあった。
ここでのロックは、例えば音量ギンギンのヘビメタ全盛期に
アコースティック系を、西海岸のアダルト・ポップな音楽が席巻すると
ゴスペル色の強い南部音楽を流すというもの。
かなりへそまがりで世の流れに同調しない、それでいて専門的で
特別な空気に満ちているものだった。
ライ・クーダー「チッキン・スキン・ミュージック」
コンサート会場で聴く場合と違い、メディアを通した音楽鑑賞とは
そもそも独りで楽しむものだ。だがロックやジャズ、クラシックを
専門的に流す喫茶店は、いわばお客と店側が価値観を共有する
場だった。
主に常連客同士で流れてきた曲に対しお互い顔を上げて
「いいね、これ・・・」と目配せしたり、逆に不満顔をアピールしたり
する、つまり曲を選ぶ店側、及びその曲をリクエストするお客の
感性をも厳しくチェックするという修練の場、とも言えた。
二ール・ダイヤモンド「ジャズ・シンガー」
リスナーであるお客に緊張を強いる独特の雰囲気があり、流行を
全く追わない店だったので、下手なリクエストなどとてもできなかった。
店員さんもどこか謎めいていて怖かった。
私など当初は隅の席で音楽を「聴かせて頂いています」という状態。
リスナーにも高いハードルを設定していて、ブラック・ホークの
価値観にあった音楽のみを流し、「ブラック・ホークはただ今
こういった曲を流しています。(ついてこれるかい?)」
と冷ややかに眺めている感があった。
ピーター・グリーン&フリートウッド・マック
「フリートウッド・マック」
ある時私と同じような「シロウト」のカップルの一見客が、当時
大流行していたAORのボズ・スキャッグスをリクエストした場面に
遭遇した。
その時店員さんは全く無視。そのお客と目も合わさない。
「ウチではこのような曲は扱っていません」と説明するでなし、
「はあ?」とあからさまに馬鹿にするでなし。とにかく完全無視。
そして気付くと常連客の冷たい視線が彼らにいっせいに注がれて
いる。
・・・そのカップルがすごすごと退散したのは、言うまでも無い。
ハリー・ニルソン「夜のシュミルソン」
そのようない緊張感溢れる店なので、お客同士のお喋りも禁止。
ちょっと大きな声で喋ろうものなら「お静かに」と書かれたカードを
店員さんにつきつけられる。
最近の言葉で言えば、時代・流行の空気を全く読まない曲ばかりを
かけ続け、それでいてリスナーに店の空気を読むことを求めていたのだ。
ブルース・コバーン「ハイ・ウィンズ、ブライト・スカイ」
(原題)
1985年に閉店。ビルは壊され、往時の面影は全く無い。
すぐ隣のカレーの「ムルギー」、百軒店入り口のラーメン「喜楽」
そしてストリップ小屋の「道頓堀劇場」は今も残っているが。
トム・ウェイツ「オン・ザ・ニッケル」
今回掲載した写真は、私がブラック・ホークで知り、或いは
影響されて聴くようになった作品のジャケットの一部だ。
一般的にはかなりマイナーだろうが、ブラック・ホークでは
「やや商業的な」に部類されていたもの。
私は店内にいる常連客の顔を見て、怖そうでない人ばかりの時を
見計らってこれらをリクエストしたものだ。
ディブ・メイソン「スプリット・ココナッツ」
・・・最後になるが、私にブラック・ホークと、トラッド系ロックの
素晴らしさを教えてくれた桐生高校サッカー部の先輩である柿沼政之
さんが、今月5日急逝された。享年52才。
今回のブログは彼の死にインスパイアされてエントリーしたものである。
ジャクソン・ブラウン「ザ・プリテンダー」
・・・これは1976年のブラック・ホークのリスナーが選ぶ
ベストアルバムに輝いた作品。が、当時のレコード室の松平維秋氏
が「ブラック・ホークのリスナーも堕落した」と嘆いたいわくつきのもの。
西海岸の良質なシンガー・ソング・ライターだったジャクソン・ブラウンが
商業主義に走った作品として松平さんは酷評していたのだ。
柿沼先輩は松平さんの意見に同調しつつも、このアルバムの
ジャケット写真の素晴らしさを私に語ってくれたものである。
(参考文献)「渋谷百軒店 ブラック・ホーク伝説」
(株)音楽出版社 2007年12月発行 2000円税込み