ニューオータニ神戸の思い出
2010年 02月 13日
12月26日をもって閉鎖された。
同ホテルは1992年のオープン、客室数252室、レストラン5店舗と
大小宴会場を持つフルサービスのホテルだった。

私はこのホテルには特別な思い出がある。
1995年の12月、当時ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル
ホテルのセールスマネージャーだった私は、海外でのキャリアアップの
機会を模索していた。
そしてたまたま紹介してくれる人がいて、その前月にインドネシアの
シャングリ・ラ・ジャカルタの日本人セールスのポジションにアプライし、
レジュメを送付していた。
ところが数週間たっても先方からは何の連絡も無い。
どうなっているのかわからずじりじりしながら、関西地区の営業担当
だった私は予定していた神戸に出張し、ニューオータニ神戸に
宿泊していた。
当時の神戸は大震災から10か月が経過し、あちこちにブルーテントが
張ってあるものの、確実に復興の槌音が響いていた。
確か水曜日だったと思う。その日のセールスコールを終え、夜の接待に
備え荷物を置きにホテルに帰ると、突然部屋の電話が鳴り響いた。
受話器を取ると、電話の主はシャングリ・ラ ジャカルタのGM秘書から
だった。
彼女はきれいな発音の英語で、急で申し訳ないが今週の週末に
ジャカルタまでインタビューに来てほしい、と依頼してきたのだ。
もちろんイエス、サンキューと即答で了解したが、受話器を置いてハタと
気がついた。
今回の出張日程が金曜日まで。金曜夜に横浜の自宅に帰り、翌朝には
成田発のガルーダに乗らなくてはならない。
私はアプライはしたものの、返答がなかなか来ないのでジャカルタについて
何の学習もしておらず、予備知識が全く無かった。
それと英語。担当のフィールドが国内になっていたので、1年以上英語での
ミーティング、真剣勝負の英語を喋っていない。
もちろんジャカルタでのインタビューは英語で行われる。
私は腹を括り、翌日のアポイントを思いっきり圧縮し時間を捻出する
事にした。
クライアントに頼み込み1時間のミーティングを30分に縮め、ランチを
朝食ミーティングに変えてもらう。
そしてニューオータニのゲストリレーションに、近くの図書館の場所を
教えてもらった。
幸いなことに、ホテルからタクシーで10分ほどの所に神戸市立図書館が
あることがわかる。
私はそこでほぼ半日をインドネシアとジャカルタの諸事情の学習に充て、
週末のインタビューに備えた。
インドネシア建国の歴史、地理、他民族・多言語の様相から、日本との
交易の歴史をまとめる。そしてジャカルタに進出している日系企業の業種別
リストとそれぞれの駐在員数、取扱品目を作成。
もちろん競合ホテルのリストアップも欠かせない。

その日の夜の接待場所は大阪の難波。私は待ち合わせの1時間前に、当時の
南海サウスタワーホテル、現在のスイスホテル南海大阪に行き、今度は英語
の「口馴らし」を始めた。
1年以上使わずに錆ついた英語力を取り戻すため、ロビーにいる外国人宿泊客
に片っ端から話しかけ、会話に持ち込む。
こういう時、外国人はフランクだ。こちらの意図も知らないまま、気軽に
何人かが会話に乗ってくる。
1時間余りではせいぜい4-5人としか話ができなかったが、それでもだいぶ
舌がなめらかになった。
翌日も同じ事を繰り返し、「泥縄式」ではあるが何とか最低限の予備知識を
得たことで、多少の自信を持って週末のジャカルタでのインタビューに
赴く事ができた。

ビジネスマンにとって、ホテルは出張時の単なる寝る場所にしか過ぎないと
いう意見を言う人は多い。
私はその意見を否定はしない。が、それではあまりにもドラマ性の無い、
感性に乏しい人生ではないだろうかと、憐れんでしまう。
ニューオータニ神戸も、そういう人たちには単なる寝る場所でしか
ないのかもしれない。
しかし私にとっては、この名前を聞いたらとたんに15年前のエピソードを
思い出す、忘れられないホテルであるのだ。
このホテルの閉鎖の理由は、営業成績が極端に悪かったからではない。
だから残念な、もったいない話である。
建物のオーナーが外資系に代わった事で伝統の塩盛りができなくなった
せい、ではないだろうが。
写真は上から ホテルニューオータニ神戸、神戸市立中央図書館、
そしてシャングリ・ラ ジャカルタ。

