今年の休暇1-富士は日本一の山
2010年 08月 17日
我が家の13才と11才になる娘たちが未だ本物の富士山を観た事が無い
というので、お盆で群馬の実家に帰る途中に富士山の五合目まで行って来た。
富士山を日本象徴、日本人のアイデンティティーのよりどころとする意見は
多い。
つまり富士山を観て「ああ自分は日本人だ」と感じる人たちがこの国には
とても多いという事だ。

若い頃は富士山の存在などどうでも良い、高尚な趣味人としては
むしろ俗っぽくて嫌悪していた私だ。
だが不思議なもので、海外で生活していて久しぶりに一時帰国する際、
アジア方面から成田に向かう機中で進行方向左側にある富士山の姿を
観ると、「ああ俺は帰って来た、日本人で良かった」と本気で
思うのだから、高尚趣味もいい加減なものである。

もっと不思議な事に、今や日本中の観光地を闊歩する中国人観光客にも
富士山観光は絶大な人気を誇っているという。
高尾山でも浅間山でもない、富士山というコンテンツが彼らを引き付ける
理由は何なのだろう?
五合目の茶屋(と呼ぶにはあまりに巨大)には日本語と英語に並び、
マンダリンの観光案内が併記されているし、実際に中国人観光客の数は
非常に多かった。ちなみに富士サファリランドと箱根大涌谷、強羅にも
沢山来ていた。
彼らの殆どがガイドさん付きの団体パッケージ旅行だ。
日本人が「エコノミック・アニマル」と世界中で揶揄された時期に、欧米で
例の旗を持ったガイドさんの後をくっついて歩く団体旅行と全く同じ。
要するに歴史は繰り返し、40年前に日本人がやっていた事を今の中国人が
やっているのである。

それはともかく、深刻なのが言葉の壁だ。
この日も団体行動から独り離れた中国人女性が、しきりに自動販売機の前で
係の日本人男性に中国語で何か問いかけている。
しかしその男性には中国語はまったく通じず、いい加減な答えを日本語で
繰り返している。
こういう場合は英語が通じれば騎士道精神を発揮する私の出番なのだが、
いかんせん中国語では如何ともし難い。
その内その女性は諦めたかのように団体に戻って行ってしまったが。
旅の醍醐味は地元の人々との触れ合いにある。
その昔ヨーロッパだのアメリカだのに団体パッケージ旅行で繰り出した
世代が、その種の旅行パターンで何を得て帰って来たのかは敢えて
問うまい。
ただ現代の中国人観光客が、束の間を過ごす日本で何かを得てくれる事を
望みたいものだ。
写真は上から五合目から仰ぎ見た富士山。台風の余波で終日霧が
かかっていたにも関わらず、この瞬間たった5分間だけ顔を出してくれた。
中、下は共にイメージ。

