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ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi

アディダスVSプーマ

先日のメディアに、日本サッカー協会が代表チームの背番号"10"の座に、
エースの本田圭佑ではなくサイド・アタッカー香川真司を指名する
という記事が載った。
その理由は彼らの実力云々ではなく、香川が普段からアディダスの
スパイクを愛用する一方で、本田はミズノのスパイクを履いていて、
協会は代表のユニフォーム類を長らく支援しているアディダスに気を使い、
エース番号を香川に与える、というもの。

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私はその記事を読み、義憤にかられた。サッカー選手にとって背番号"10"は
ペレやプラティ二、マラドーナに代表されるように、絶対的エースのみに
着用が許される聖なるナンバー。
それをたかが道具メーカーの顔色を伺って・・・などと、抗議のブログを
書こうとPCに向かった。

ところが参考資料にしようと今年4月に刊行された「アディダスVSプーマ」
を購入し読み進むうち、唖然・呆然としてしまった。
私の義憤がいかに子供じみたもので、実はスーパースターであるペレも
マラドーナも、そしてあのベッケンバウアーとクライフも、世界の
スポーツ・ブランドが繰り広げる経済「戦争」に手を、いや足を貸して
いたという事実を知ったからである。

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アディダスとプーマは、ご存知の方は多いだろうが元々アディとルドルフ
の兄弟が戦前から経営する「ダスラ―兄弟商会」が出発点だ。
しかし兄弟間の確執から兄のルドルフが離脱し「プーマ」を設立。
ダスラ―兄弟社を引き継いで「アディダス」を設立したアディと共に
次第にスポーツ用品マーケットの覇権を争うようになる。

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そして自社の「広告塔」となり得る有名選手たちを次々と手中に納めようと、
札束が飛び交う経済戦争を繰り広げ事になる。
彼ら有名選手を利用し、あの手この手で自社製品をアピールする手法には
あっけにとられる。

例えば普及しつつあるテレビの視聴者をターゲットに、サッカーの試合中に
ゴールを決めた選手にスパイクを脱いで頭上に掲げながらピッチを走り
回らせる、或いは脱いだスパイクにテレビカメラの前でキスをさせるなんて
演出は日常茶飯に行われたという。
あの感動のシーンは実は「やらせ」だったのだ。

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凄いのは、プーマを履いたあのペレが、試合開始の直前に審判に対し
スパイクの紐が解けたと伝えてキック・オフの笛を数秒間遅らせ、その間に
かがみこんで紐を結び直す、という演出。
その数秒間、ペレがゆうゆうと紐を結びなおすプーマのスパイクは、
テレビ画面を通し世界中の何千万人という視聴者が注視する事になるのだ。

ヨハン・クライフは本当はアディダスが大好きなのに、マネージャーが
プーマと契約してしまった為、仕方なくアディダス製のスパイクを、
あの三本線を靴墨で塗りつぶして履いていた事もあるという。
私などクライフが履いているからずっとスパイクはプーマと決めていたのに。

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厳しいアマチュア憲章、まだまだスポーツに対する経済的サポートが少ない
という時代背景。それらに目をつけたのがアディとルドルフで、は窮乏した
選手や協会役員に巧みに近付き、高価なスパイクやボールを現物供与する事
からはじまり、家族ぐるみの豪華な接待、「実弾」攻撃により人間関係を
構築、マーケットに浸透したのである。

この本では、アディダスとプーマという2大スポーツブランドが、選手たち
のみならず各競技団体やオリンピック委員会、FIFA(国際サッカー連盟)
といった巨大組織に対し「スポーツ・ポリティクス」を導入し取り入り、
浸透していった過程を読み取れる。

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省みて、現代の我々の周囲のホテル・マーケティング戦略はどうだろう?
確立されたブランドや、交通至便といったアドバンテージに胡坐をかき、
大きなものに挑戦することを忘れ、小さな満足に溺れている経営者は
いないだろうか?
IT媒体での浸透に力を注ぐあまり、人間臭い、どろどろとした関係構築を
避け、結果として活力を失う事態に陥っていないだろうか?

「全ては人間関係に尽きる」と公言するダスラ―兄弟の凄まじい接待攻勢も、
現代の希薄な顧客とセールスマンとの関係と比べれば、妙に懐かしく
且つ羨ましく思える。とにかくルドルフもアディも顧客情報獲得の為、
粉骨砕身の努力を惜しまず全力投球し続けたのだ。

サッカーを始めて40年、今まで私がこだわっていたアディダスやプーマの
イメージは根底から覆された。
そんな背景を知ってしまったからには、冒頭の日本代表の背番号"10"も、
誰が着用してもどうでもよくなってしまった。
どうぞご自由に、何だったら希望者がじゃんけんで決めたら?

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写真は上から本田と香川。

イメージ。

ホルストとアディのダスラ―兄弟。

1974年西ドイツワールドカップの決勝、西ドイツ対オランダでの
ベッケンバウアーとクライフ。
私が初めてTVで「ナマ」観戦し、最も印象に残っているワールドカップ。

スーパースター、ヨハン・クライフ。ビジネスマンとしての嗅覚も
抜群で、アディダスとプーマを両天秤にかけ、巧みに契約料を
吊り上げた。

フランツ・ベッケンバウアー。ドイツサッカー界の「皇帝」にして
2006年ワールドカップドイツ大会組織委員長。
同時にアディダスの終身大使としても収入を得ているという臆面の
無さも皇帝級。

「アディダスVSプーマ」(バーバラ・スミット著 RHブックス刊
820円)の表紙。
やや冗漫で翻訳がこなれていない部分も散見するが、そこは読み
飛ばしてもいいだろう。
by Mikio_Motegi | 2010-10-24 15:22 | サッカー、スポーツ