妻をめとらば曽野綾子
2010年 12月 18日
書いたというエピソードを、確か遠藤周作のエッセイで読んだ事がある。
ユーモア半分、おのろけ半分だろうが、後に文化庁長官を務めた程の
三浦朱門にここまで言わせる才色兼備の女流作家が、妻である
曽野綾子だ。
2008年の刊行で、先月文庫化された「言い残された言葉(光文社文庫)」
を読み終えたが、面白かった。
彼女はあの笹川良一が創立した(財)日本船舶振興会(通称日本財団)
の会長を2005年まで10年間勤めたほどだから、言動は保守系右寄りの
色が濃い、とイメージされがちだ。
が、ここに書いてあるのは実は当たり前の、だが最近忘れられてしまった
日本人の行動様式の源流があると思う。
いくつか抜粋してみる:
「『人間は平等』というのは『人間は平等を目指す』のであり、
『人間は平等になれる』という保証ではない」(自分の傷を舐める)
「人生の不幸は後に必ず精神的財産になる。大災害、大事故の現場に
いながら奇跡的に無傷だった人は、PTSD(精神的後遺症)になんて
ならずにもっと素直にその幸運を喜んでいい」
(同)
「ホームレスを庇(かば)うという事は、法を守る事は必要ないと教えている
のと同じ」(満開の桜の下で)
「どのような田舎の小さな催しでも、すぐに国歌が歌われるのは世界の慣習。
国歌に敬意を表する事は、対立が絶えない世界における最低の儀礼である。
なのに日本人は・・・」
(フィニケの海)
「流行語は誰でもがお手軽に使っているので、手あかにまみれたインパクトの
弱い表現になっている」(二人のドミンゴ)
「黒髪を金髪に染める日本人は、白人崇拝と同時に黒人蔑視を表している
自分を失っている個性の無い集団で、欧米では全く尊敬されない」
(モンテ・ナポレオーネ通り)
「日本は『対人地雷全面禁止条約』に署名すべきではなかった。
持っているふりをして使わなければいい。地雷というものがこの世に
ある限り、それを使わせない為の策を講じるのが大人の判断のはず」
(幼児化に抗する)
「レイプの結果以外の妊娠はすべて当人に責任がある」
(残り1パーセントの真実)
・・・右寄りでも過激でもない、実に当たり前の言葉ばかりでしょう?
彼女を聖心女子大学卒業の「お嬢さん作家」のように誤解している人も
いるが、実は苛烈な幼少期をすごしている。
1945年3月10日の東京大空襲で被災し心神喪失状態になり、父親に
よる家庭内暴力を受け、さらに母親の自殺の道づれになりそうになった
経験を潜り抜けている。
私は三浦朱門、曽野綾子夫妻とシンガポールで何度かお会いした事
がある。2000年頃の話だが、ご夫妻はシンガポールの植物園辺りに
居を構えており、毎年数カ月をそこで過ごしていた。
日本財団の若い職員がアフリカのどこかから帰任する途中、彼らの労を
ねぎらう為に夫妻が毎年私の勤めるインターコンチネンタルホテル
に宿泊をアレンジしていたのだ。
職員たちの滞在中、ホテルを訪れた夫妻と何度かロビーでお話をさせて
頂いたが、ミセス・タンという、シンガポールの大富豪に嫁がれた
見事な銀髪の日本人女性と連れだって来られていた。
その際にミセス・タンが「私の学生時代の夢はホテルに勤めること
だったのよ」とおっしゃったので、「では明日からフロントでアルバイト
されますか?」と私が返し、会話が盛り上がったものだ。
実は私はその時も曽野綾子の著作をいくつか所蔵しており、その一冊に
直筆のサインをしてもらおうかと思ったのだが、日本を離れたシンガポール
には夫である三浦朱門の著作は手に入らず、奥様にだけサインを頂くのも
気が引けるので遠慮しておいた。
あの時三浦氏には例の「妻をめとらば・・・」を色紙に書いて頂けば
よかった、と後になって悔んだものだが。
ちなみに私は「右寄り」という表現をどうかと思う。左翼・社会主義系の
「左寄り」と対をなす右翼・保守系の立場を取る人を表す言葉と捉えられ
がちだが、左から見れば真ん中も右に見える、のだから。