「明日地球が滅びるとも、今日君はリンゴの木を植える」
2011年 03月 21日
作家の故開高健により有名になった言葉だ。
東欧の詩人の言葉で開高自身のものではないが、いかにも彼らしく、
私も座右の銘にしている。
福島第一原発の事故とそれを巡る政府の発表、メディアによる報道、
そして一般人の対応を観察していると、1997年のアジア危機の際に
私が経験したインドネシア・ジャカルタでの出来事を思い出さざるを
得ない。
ひと言で表せば、「東京もジャカルタも一緒」だという事。
時系列に沿って何が起きたかを比較すると:
まずどちらにも社会不安という下地がある。
東京は、前日に起きた東日本大震災。未曾有の被害が確実だった。
ジャカルタは貧困、格差、独裁、民族対立等の恒常的な社会不安。
次に小さな事件が起きる。
東京の場合は、判明した原発の事故。
ジャカルタは、色々ある。列車の大規模な横転事故、ロックの
コンサート会場でのチケットを巡る暴動、サッカー場での暴動。
そして海外メディアがその小さな事件を母国に伝える。
母国では、編集者が見知らぬ国の珍しい事件に注目し、やや誇大に
取り上げる。食いつく視聴者。
その報道を見た、東京やジャカルタに住んでいる外国人の母国の家族、
友人が一斉に「大丈夫か?」と連絡を入れる。
「大丈夫か?」と聞かれた、その国に住む本人はびっくりする。
自分達は普段通り働き生活しているのに、小さな事件はあっても
「いつものことで、大したもんじゃない」と思っているのに、
母国では大問題となっているのだ。
驚いた本人が、友人や同僚に次々と疑問、確認の連絡を取る。
そして疑惑を確信するようになる。
「この国の政府は真実を隠している、メディアはコントロールされている。
真実は母国メディアでのみ発信されている」
・・・これが繰り返され、再生産され、拡大していく。
日本のメディアが繰り返し報道するジャカルタでの暴動で、私達ジャカルタ
に住む日本人が最も驚き対応に苦慮したのが、日本に住む家族からの
心配の声だ。
例えば限定された地区での暴動を取り上げ、いかにもジャカルタ全市に
拡大しているかのようなイメージを与える過剰報道。
いちいち相手にするもの面倒な類のものだ。
「私たちはここに生き、働き、暮らしている。もちろん日本ではないので
苦労も多い。でも充分に生活と仕事を満喫している。
偏向した、センセーショナリズムに走るメディア報道ばかりを信じないで
ください」と何度訴えた事か。
断っておくが、私は日本や東京を脱出した人々を怒っているわけではない。
これだけメディアで不安を煽られれば、逃げ出したくなるのは
ある意味正常な行為だ。誰でも我が身は可愛いものだ。
面白く且つ勇気づけれられるのが、日本を愛し、日本に住む外国人達の言葉。
脱出する同朋をしり目に:
・俺は日本が好きだ。だから何があっても俺は残る。
・例え再びの震災に遭っても、愛する日本で死ねたら本望。
・日本を逃げ出したお前達は恥を知れ、Shame on you !
・二度と帰ってくるな!
・・・凄いね。
フェイスブックでも、日本にとどまる外国人と、いち早く脱出した
同国人とがやりあっているwallを見た事もある人も多いのでは?
・・・なんだかここまでくると、シリアスな状況というよりも
「ドタバタ劇」の様相を呈して来た、とは言い過ぎか?
西洋の故事にある「ハーメルンの笛吹き男」ではないが、誰かに吹かれた
笛の音色に乗って連れ去られたのも人間。
明日地球が滅びることが分かっていても、その次の世代の為にリンゴの木を
植えようと無駄な努力をするのも人間なのだ。
(ちなみに「ハーメルン」の笛に最初に導き出されたのはネズミ)
もちろん私は後者でありたいと思うが。
写真は上から故開高健。
ジャカルタの暴動で焼かれた華僑経営のビル。
枝野幸男。官房長官にして次期首相有力候補。フェイスブックより。
福島第一原発からの距離だというお節介なGoogle map。
だから何?と言いたい。
「ハーメルンの笛吹き男」 http://rushiskitchen.com より。