レジュメあれこれ
2006年 12月 23日
仕事柄、レジュメや履歴書、職務経歴書と接する機会が多い。
レジュメはその人を映す鏡である、という企業の人事担当者も多いが、私の手元に集まってくるレジュメも簡潔で分かりやすく、しかもその人のスキル、人生観、行動特性がダイレクトに伝わってくるものがある。そういうレジュメを書ける人ほど、仕事や自分の将来、業界全体に真摯に向き合い格闘している人、といえる。尤もそんな立派なものは全体の1-2%程度だが。
一方でとても他人様に見せる訳にいかないレジュメも多い。下記はその極端な例だ。
1.手書きのレジュメ。この時代にPCを使えない人を、どの企業のどこの職場が雇うのかこちらが聞きたい。
2.レジュメではなくて「自分史」を書いてくる人。書いてる本人は真剣なのだが、第3者が見ると自己陶酔としかいえない。
3.そして不要な形容詞の多いもの。「著(いちじる)しい」「大成功の」「多額の」とか「独特の」「好評な」等。大成功したということは売り上げ、収入、前年対比といった数値の裏づけが無ければ評価の対象にならない。例えば前年1000万円の売上げ、コストが300万円であったフード・プロモーションが、今年1200万円の売上げがあっても、もしコストが500万円かかっていては、大成功とはいえない。この場合は「大成功」という形容詞は不要で、事実として数字を列記してくれるだけで充分に伝わるものだ。
ただこの辺の表現は当方が指摘してあげれば大抵が分かってもらえる、修正可能なものである。要するに書き手がレジュメ馴れしてない、ということだろう。
手前味噌だが、私が嘗てシンガポール時代に求職活動をしていた折に国内のとあるホテルに提出した英文レジュメが、後にそのホテルでレジュメのお手本として出回っていたことがあった。
つまり私のレジュメを受け取ったGMが、そのホテルのスタッフに「自分の来歴をまとめておくのも一つの修養だ」と言ってエグゼクティブ・スタッフ全員にレジュメの作成を促し、その際に私のものを「お手本」としてコピーして配ったのだそうだ。
この事実を知ったのはひょんなことからだ。そのホテルのスタッフのレジュメを入手する機会があって、「どこかで見たレジュメのスタイルだな」と思っていたら、そのスタッフが上記の事情を教えてくれたのである。その時は誇らしいような、面映(おもはゆ)いような気分だったが。