神戸ビーフに想うこと
2007年 05月 05日
ステーキ肉が手に入った。早速家族で堪能したが、神戸ビーフというと
私はエドワルドの事を想いださずにいられない。
1998年から1999年までシンガポール・インターコンチネンタルホテルの
第3代総支配人として君臨したエドワルド・ファーレンクルッグ
(Eduard Fahrenkrug) の第一印象は文字通り「強烈」のひと言だった。
身長188センチ、体重120Kg(本人曰く)という体躯もさることながら、
Iron Man/(血も涙も無い)鉄の男,Cost Cutter/コスト・カッターという
ニックネームのごとく、ホテルの収益アップの為にはどんな余計なコストも
見逃さない男だった。
彼は着任早々、スコットランド人の営業本部長とドイツ人の料飲部長を
更迭した。「コストとパフォーマンスが見合わない」という理由で。
この二人と私はゴルフ仲間でもあったので、私にとってもショッキングな
人事だった。コストが高いという点では私もこの二人と同様だったせいもある。
もちろん、そうならないように私は必死に働いた。
1999年の5月、私とエドワルドは一緒に日本に2週間出張し、
インターコンチの「Show Case(見本市)」に参加、精力的にスケジュールを
こなした。
実はこの間に私とエドワルドには様々な出来事が起き、火の粉が降り注いだ。
自分の将来について深く考えさせられた転機、人生の指針が定まった期間、
と言っても過言ではない。
私と彼は、当時のインターコンチが置かれた状況に関るpolitics(政争)に
もろに巻き込まれてしまったのである。
ただその内容についてはとてもこのグログで収まる長さのものではなく、また
現存している当事者に迷惑がかかるので詳細は書けないが。
彼はペルー出身のドイツ人で牛肉料理に関しては一家言あった。
ところが来日初日に宿泊したホテル阪急インターナショナルで食べた
神戸ビーフのとりこになってしまい、以後滞在中のランチかディナーの
どちらかに必ずオーダーするべくレストランを選べ、と私に厳命が
下ったのである。
彼によると、世界中で食べたビーフステーキの内、神戸ビーフが一番美味い、
とのことだ。「霜降り肉」の魔力に魅せられたのである。

とにかく2週間の日本滞在中、私達は神戸ビーフを食べまくった。
途中の週末には京都の家内の実家に連れて行き、義父の運転で京都見物
の後豆腐料理に舌鼓を打ったのに夕食は神戸ビーフ。
クライアントとの会食でも、梅田や新橋、六本木の高級ステーキハウスで
目の玉が飛び出るような値段の神戸ビーフ。
私は生涯で食べられるだけの神戸ビーフを2週間で食べ尽くした、と言っても
過言ではないだろう。実際、その後数年間は霜降り肉に全く食欲が湧かな
かった。
現在、彼は未だPolitics渦巻くシンガポールを離れ、チリのサンチアゴにある
クラウン・プラザの総支配人。生まれ故郷のペルーにも近く、休日は家族と
近くの海岸に出かけたりして生活をエンジョイしている。
私がホテリエを辞めて今の仕事を起業したときも、心尽くしのメッセージを
送ってくれた。
写真右が現在のエドワルド


