「ヒーローはいても、スターはいらない」
2007年 11月 23日
務めた勝沢要氏の言葉だという。
元日本代表監督フィリップ・トルシェも、日本のスポーツマスコミをよく批判
した。ごく一部のチームや選手を産業的にスター扱いし、ビジネス効果を
生み出そうとしている行為を彼は心から疎んじていた。
今年日本で開催された世界陸上や、バレーボールのワールドカップでの
マスコミの狂想曲には相当うんざりさせられる。
具体的な表現はあまりにもバカバカしいので忘れたが、例えばバレー選手
を「世界最小・最強」とか「プリンセス・・・」とか「ガッツ・・・」とかというふうに
ニックネームをつけて紹介している、あれである。
また大会を盛り上げるという名目でその競技とは全く関係のないアイドルの
ガキ共をレポーターに祭り上げたり、大会直前の本当に大事な時期に選手
全員をスタジオに呼んで出演させたり。
最も酷いのは、大会期間中の深夜のスポーツ番組で、監督を電話で呼び
出して生インタビューをするというコーナー。監督は試合の激闘の後で
疲労困憊の筈である。少しでも休みを取り、明日の試合に備えなくては
いけないのに。
こういう姿ばかり視ているこちらも、テレビ露出度の高い選手や監督は
真剣に競技に取り組んでいるのか、疑ってしまう。全くの逆効果である。
アメリカのメジャースポーツの盛り上げとは全く内容が違う、偏向した、
視聴者をバカにしているとしか思えない過剰な演出が本当に目に余る。
一方、今月立て続けに行われたサッカーのタイトルマッチ、浦和レッズや
22才以下日本代表の試合はどうだったろう。
どちらも試合前の選手達の高揚感、神経がピリピリし心臓が音を立てるような
緊張感がテレビを通しても伝わってきて、こちらも息が苦しくなってくる程。
誰も歯を見せて笑うものなどいない、リラックスを装おうとしても顔が
こわばっている、しかし目だけはギラギラと輝いている選手達。
タイムアップと同時にそれらの緊張が溶けて爆発した瞬間のカタルシス
・・・!
演出なんか何もいらない。シンプルに選手達の戦う姿を映してくれるだけで、
我々はそれがどんな競技であろうと共鳴し、感動するものだ。
過剰な演出は競技や選手を矮小化し、却ってその競技の振興を妨げて
いることをマスコミ関係者は瞑して知るべし!
以前、南米のブラジルやアルゼンチンの国内リーグの試合では凄い
演出があった。
テレビレポーターがグラウンドの傍に居て、得点を挙げ歓喜を爆発している
選手に駆け寄り携帯電話を差し出す。
なんとその電話は、得点を挙げた選手の恋人や奥さんと繋がっていて、
携帯を握った選手はその場で恋人にプロポーズしたり奥さんに愛情を
表現したりし、それが全国放送に流れるのである。
ここまで演出をすれば「あっぱれ」であるのだが。
写真は11月21日(水)に行われた、北京オリンピック代表選出決定戦、
国立競技場での日本対サウジアラビアのスタンド風景。




