ヘッドハンターのルーツを求めて
2008年 01月 12日
直訳すれば「首狩り族」であり、およそ我々の仕事の実態とはかけ離れて
いる呼び名だ。
私も自分の職業を「ヘッドハンター」と呼ぶことは少ないが、マーケットを
意識して、例えば当ブログのタイトル等はSEO/"Search Engine
Optimiization" (検索エンジンヒット数最適化)の為にこの名称を
使用する事もある。
さて本日は、本物の「首狩り族」について。
まず最初にハッキリしておきたいのは、首狩り / head hunting も
食人・人肉食/anthropophagy, cannibalism も、儀礼・祝祭的な意味、
或いは人間が食物の無い極限状態に追い込まれた際、生理的欲求・つまり
飢餓状態を充たす為の行為であり、最初から人肉を主食とする人種・民族の
存在は人類学の歴史上実証されていない、という事実である。
インドネシアのカリマンタン(ボルネオ)島奥地に住むダヤック人イバン族では
確かに首狩りの風習があった。イバン族の男は青年になると首狩りの為の
放浪の旅に出る。そして首を持ち帰ると求婚の資格を得られるのである。
この放浪の旅のことを現地語で"bejalai" という。
現在では流石に首を狩る人はいないが、代わりに狩猟をしたり、或いは都会で
一時就労し賃金を得て帰ってくることをbejalai と呼ぶ。
日本のTV番組でも時々紹介されるが、今でもイバン族の住居に行くとミイラ化
した首が天井から吊るされている。村のお祭りの際にはそれらの首はキレイに
化粧をされ、祭壇に飾られることもある。
亡くなった先祖の首をこうして保存して供養する、という意味もあるとのことだ。

人肉食については、戦時中の北海道・知床での事件を描いた武田泰淳の
小説「ひかりごけ」や、1972年南米チリで起きた飛行機事故の生存者の
手記を基にバルガス・リョサが脚本を書き映画化した「アンデスの聖餐」
が有名だ。
これらは発表当時大変な反響を呼んだ。私も中学生の時に父が購読して
いた文藝春秋に「アンデス・・・」の抄訳が掲載されたのを、
恐れおののきながら読んだ記憶がある。
「ヘッドハンター」とか「人肉食」とかいうと、おどろおどろしい物語、例えば
「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」等を連想してしまうが、実態は極めて
祝祭的或いは偶発的な現象、と言っていいようだ。
もっとも私の商売を説明する際、「エグゼクティブ・サーチです」と言って
も理解してくれる人は全体の一割もいない。仕方なく「ヘッド・ハンターと
呼ばれることもあります」と小声で補足するのだが。
先日、久しぶりに会った年長の親戚に現在の私の仕事を問われ、上記の
ように説明をしたところ、彼は私の顔をまじまじと見て暫く考えてから
「それで、キミは何の首を狩るの?」と真顔で尋ねてきた。
実はその際のショックが未だ抜け切らず、傷ついた心を癒す為にこんな
トピックを書いてみた次第である。
写真上は大槻重之『インドネシア専科」
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/ よりイバン族の兵士。

