訃報 井出研一郎さん
2008年 01月 13日
ましてやその理由が、その知人の逝去にあるとしたら。
私たちが親しみを込めて「イデケン」と呼ばせて頂いていた
パノラマ・ホスピタリティの井出研一郎さんが1月4日、亡くなった。
享年60才。
イデケンとの出会いは1996年のこと。ジャカルタのシャングリ・ラ ホテル
に勤務していた私は、和食レストラン「なだ万」の開業を控え、準備作業に
追われていた。
そんな時突然イデケンから私に呼び出しの電話がかかった。
イデケンは当時、同じくジャカルタのサリ・パンパシフィックホテルの
総支配人。同じ日本人同士とはいえ私にとっては雲の上の存在のような
人だ。なんでも「なだ万」の開業準備について意見があると言う。
私は「なだ万」の鈴木マネージャと共にイデケンの下に伺った。
「君達、開業準備で大変なのはわかるが、横紙破りはいかんよ!」
と、部屋に入るなりいきなりの大音声。
「は・・・?」何のことやらさっぱりわからない私達。
ようやく理由を聞きだすと、何でもサリ・パンパシフィックの
和食レストラン「欅(けやき)」の女性スタッフが数名、一度に退職した。
そして彼女達が一様に近々開業する「なだ万」に転職した、という。
インドネシアでは片言の日本語が喋れる女性スタッフは、和食レストラン
では非常に需要が高い。
イデケンは私達が「欅」からめぼしいスタッフに狙いをつけヘッドハント
した、と思っていたようだ。
・・・確かに私と鈴木マネージャは「欅」で数度食事をしたことがあり、
「欅」のスタッフのホスピタリティの良さには感心していたのは事実だ。
しかしその時は純粋に日本料理が食べたかったからで、スタッフを
引き抜こうなどという意図は全くなかった。
つまり彼女達は自分達の意思で「欅」を辞め「なだ万」にアプライして
きたのである。
私達が必死になって事情を説明すると、イデケンはすぐに分かってくれた。
そして帰り際、「君達も初めてのジャカルタで苦労も多いだろう。
何か分からない事や困った事があったら、いつでも訪ねて来なさい」と
声をかけてくれたのである。
実際イデケンは私だけでなく私の家内にまで声をかけてくれ、ジャカルタ
生活での無聊(ぶりょう)を慰めてくれたのである。
イデケンはその後横浜のパンパシフィックホテル、そして大阪の
東洋ホテル(現ラマダ大阪)のGMを歴任した。
4年前に帰国した私をその都度ホテルに呼んで食事をご馳走してくれた。
典型的な「総支配人」タイプの人で、仕事に対して非常に厳しく、
自分にも周囲にも妥協を許さない人だった。
また面倒見がよく、付き合いのあった部下達が常に集まってくる
人だった。
1月10日、世田谷の砧で執り行われた「お別れ会」では、平日にも
かかわらず広い会場に収まりきれない程の数の人たちが押しよせ、
イデケンに最後の別れを告げたのである。

