冷泉(れいぜい)家、慈受院(じじゅいん)拝観
2008年 05月 09日
前を通る冷泉家の門前で人だかりが。「句会でもあるのかな」と思って覗いて
みると、普段は非公開の冷泉家がその日が最終日の特別拝観をしていた。
早速拝観料800円を払い中へ。

冷泉家は鎌倉時代から続く公家で、和歌の宗家として今尚伝統を残して
いる。
現存する住宅、所有する書籍、年中行事などの文化財を保存する為に
「時雨亭文庫」が設立されたのが1982年。
明治時代になって京都の公家の殆どが天皇に同行して東京に移ったが、
冷泉家は今出川通りの北、京都御所の外側にあったため、留守居役として
京都に残った。
その結果関東大地震や東京大空襲に遭う事もなく、多くの重要な文化財
がそのまま現存する僥倖に恵まれることになったのである。
最近はどこの文化財も写真撮影には寛容になってきたものだ。
これらの写真は全て私が撮ったもの。
もっとクリアな画像をご希望の方は、Googleで検索すればいくらでも
ヒットする。

「公家」というと華やかなイメージがあるが、冷泉家の造りはいたって質素。
寧ろこの建築物や年中行事を現代まで連綿と受け継ぎ、そして未来に
残そうというエネルギーに頭が下がる。


さて次は我が家から徒歩で10分ほどの慈受院。天皇家に関係する
門跡(もんせき)寺院として非公開を続けていたが、今年は源氏物語
千年紀でもあり、本邦初の一般公開となった。
室町時代の4大将軍足利義持の妻日野栄子により建立された。

狩野探幽直筆の襖絵のほか、藤原鎌足の伝記を描いた「大織冠絵巻」は
上下2巻、全長30メートルの及ぶ大迫力。
同様の絵巻物の中では大英博物館所蔵のものより保存状態が良く、
詳細の解明が進めば国宝にランクされることも有り得ると言う。
ただこれらは天皇家からの御物(ぎょぶつ)の為、流石に撮影は不許可。
庭園のみの撮影となる。

浮世の雑事を忘れ暫し中世の京都の思いに浸るのも、たまには悪くない。
写真は1番上が冷泉家住宅、端午の節句ということで座敷に設えられた
武者飾り。
2番目が貴重な書籍や古文書を収蔵している御文庫。防火対策も施されて
いて天井に土が敷き詰められている。
火事の際、建物が火災で焼け落ちると同時にこの土が落ち、消火する。
手前の井戸は空井戸で、やはり火災の折に収蔵物をここに放り込み難を
逃れる為のもの。
3番目は冷泉家から今出川通り越しに眺める京都御所。自転車で走る
通行人が映っている。
4番目は、拝借した冷泉家の男性用トイレ。
5番目は慈受院の庭。樹齢1000年以上の楠(くす)の木。実は京都市内
は1467年の応仁の乱、1788年の天明の大火、1864年の蛤御門の変
等で幾度も大火に見舞われ灰燼に帰しており、このような古木が残っている
のは非常に珍しい。
一番下は「大織冠絵巻」。この写真のみ他からのコピー。
(平成20年 春季京都非公開文化財特別拝観
http://www.kyoto-okoshiyasu.com/see/hikoukai08_spr)

