という短編集を見つけた。(ディモン・ラニアン作 加島祥造訳)
新潮文庫1988年の第4版で定価360円のところ、この書店では
1000円の高値がついている。
若い店主に理由を聞くと、この本は既に絶版になっており、加えて
ミュージカル「ガイズ・アンド・ドールズ」の原作本として斯界では人気
が高いそうだ。

「ガイズ・アンド・ドールズ」”Guys & Dolls”は「ブロードウェイの
天使」に納められている「ミス・サラ・ブラウンのロマンス」と「血圧」
という短編をベースにして脚色されたラブ・コメディ。
禁酒法時代のニューヨークでブロードウェイにたむろする賭博師たち
と、キャバレーのショー・ガール、救世軍のお堅い女性という2組の
カップルが中心で物語が繰り広げられる。
1950年にブロードウェイで初演され爆発的にヒットし、4年間
計1200回もロングラン上演された作品だ。
トニー賞の各部門を総なめし、1992年のリバイバル版では
「ベスト・リバイバル賞」を受賞している。
現在でもブロードウェイでも指折りの、いかにもアメリカらしい屈託
の無いどたばたコメディ作品として人気が高い。
1955年の映画版ではマーロン・ブランドが主演した。
日本でも宝塚歌劇団が1993年に大地真央主演で上演、大人気を
呼んだ。
実は私も15年前にNYCのブロードウェイでこのリバイバル版を観劇
した、思い出の作品でもある。
もっとも現地で急に思いついて、宿泊していたインターコンチの
コンシェルジュに無理やり頼んでチケットを確保してもらったので、
何の予備知識も無いまま観劇してしまった。
よってあらすじはともかく、時代背景やセリフの細かいニュアンスなどが
分からなかったので、今ひとつ消化不良だった記憶がある。
ただ主役ショーガールを演じる女優の圧倒的な声量とソプラノの
美しさ、キャバレーでのシーンやアンサンブルによるダンスは圧巻で、
今でも強烈な印象に残っている。

この本のタイトルにもなっている「ブロードウェイの天使」は、いつもは
金に貪欲なノミ屋の「ベソ公」が、ひょんなことから4才にもならない
天使のような娘「マーキー」を養育することになり、父親代理として
人間的に成長していく物語。
マーキーはブロードウェイの賭博師やギャング、売れない俳優から
「天使」と名づけられるほど愛されるが、やがて悲劇がマーキーと
「ベソ公」を襲う・・・というお話。
他にも酔っ払いのウィルバーが気ままな黒猫に翻弄される「リリアン」、
傷ついた殺し屋と、これも片目を失ったのら猫の復讐劇
「片目のジャニー」等佳品ぞろい。
加島祥造の翻訳はニューヨークのスラングを、テンポの良い
べらんめい調言葉に置き換えており、よくこなれていて読みやすい。
同氏は雑誌「サライ」の本年4月15日号からコラムを書いているので、
興味のある方はどうぞ。

写真は上から同文庫本。繰り返すが絶版なので普通の書店での入手
は困難だ。
中は"Guys & ・・・"のHPより。本年3月からブロードウェイで
再リバイバルされている。
下はタイムズ・スクエアの風景。www.davidmacd.com より。
知人の紹介で今は特別清算してしまった(株)西洋環境開発ホテル
事業部の求人にアプライし、合格したのだ。
芝パークホテルには大学卒業以来6年間世話になったことになる。

何故私が転職を思い立ったか?
いくつかの理由があるが、より大きな舞台で自分を試してみたいという
気持ちがあったのが、最も強い理由だった。
西洋環境開発は当時飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げていた西武
セゾングループのホテル開発・運営会社。
ホテル西洋銀座という日本で最初の超高級ブティックタイプホテルを
オープンさせ、ニュージャージーに本部のあったインターコンチネンタル
ホテルズという名門ホテルチェーンを買収していた。
西洋環境で私を面接してくれた企画室長が、「インターコンチで一緒に
働こう」と熱い口調で語ってくれ、私は即座に応じたのである。

次に挙げられる転職動機は「海外への憧れ」だった。
学生時代から英語を勉強していたこともあり、帰国子女やハーフの女性と
交際する事が多く、彼女達からの影響が大きかった。
また当時交際していた女性が外資系エアラインの客室乗務員で、彼女
から聞かされるアメリカやヨーロッパのライフスタイルの話に強い憧れを
持ったのを憶えている(要するにオンナからの影響を受けやすい)。
西洋環境では本社に配属され、半年後には横浜インターコンチの
開業準備室に転属になったが、その半年間で得た経験、ネットワークは
現在でも大いに役立っている。
当時早朝の九十九里浜でサーフィンをしていると、成田から海外に向け
飛び立っていく飛行機が次々と頭上を越えていく。
波待ちをしながらその光景を仰ぎ見て、「海外で働きてえー!」と叫んだ
こともあった。

話が前後するが、芝パークホテルで最終的に営業部に所属していた私の
担当は「新規開拓」。
既存顧客は引き継がず、全て新規開拓して獲得して来い、というものだった。
前任者からの引継いだ顧客の面倒を見るなんてまっぴら御免だった私には
ぴったりの仕事だった。
結局、芝パークを退職したのが4月14日の金曜日で、その日の昼まで
私は新規開拓営業に走り回っていた。
その最終日に新規顧客から宴会の予約を受け、「ありがとうございました。
でもその宴会当日に私はいません、今晩限りで転職するんです」と
言ったら、大いに受けたが。
芝パークホテルでは私の転職に皆驚いたようだった。が、おおむね温かく
送り出してくれた。
残念だったのが、幹部の一人が私を揶揄(やゆ)する言葉を吐いた事。
「お前の転職など、俺が手を回せばいつでも握りつぶす事ができるん
だぞ」と面と向かって言われた。
直接のライバル会社にヘッドハントされたわけでもないのに、この暴言には
さすがに腹が立ったが、「ケツの穴の小さい野郎だ」と私は相手にしなかった。
もっともこの幹部は、その後いかにも小心者に相応しい辞め方をすることに
なる。
私の彼に対する「ケツの穴の・・・」という評価が見事に当たったわけで、
当時から私を他人を見る目があった事の証左かもしれない。
最終出勤日のその晩は金曜日で、交際していた女性が銀座の「レカン」で
ディナーに招待してくれた。
そのまま彼女のマンションに泊まり、翌朝から熱海にスクーバ・
ダイビングに出かけ、初めてのドライスーツを経験。
日曜の夜に目黒の自宅に帰り、翌朝8時に池袋のサンシャインシティにあった
西洋環境の本社に出社、辞令交付という慌しい週末だった。

人生に別れは付き物で、他人の場合はともかく、自分が旅立って行くのに
涙やおセンチな気分など大嫌いな私だ。
計4回転職する事なったが、旧職場を離れる際は常に楽しい将来、バラ色
の未来を夢み満面の笑みで去る、がその後も私のモットーであり続けた。
今から20年前、当時29才の私の初めての転職にまつわるエピソードでした。
出かけた。
私は山頂付近にある「ロテル・ド・比叡」というオーベルジュには数回
足を運んだ経験があるが、延暦寺を参拝するのは初めてだ。

京都生まれの家内は、子供の頃は祖母に連れられ正月に参拝するのが
年中行事だったという。
延暦寺は京都の北東(古来『鬼門』の方角とされてきた)に位置する
標高848メートルの比叡山一体を境内とする天台宗の総本山。
平安時代に「伝教大師」と呼ばれた最澄によって開山された・・・ここまでは
確か中学か高校の教科書に載っていた筈。
下界の市内では桜が満開だったが、つい2週間前の3月下旬まで夜間は
氷点下まで気温が下がったという比叡山。寒い。
参拝受付を過ぎると、中は非常に整備された道のりが続く。
本堂を経てお目当ての根本中堂(こんぽんちゅうどう)までは、80才を
過ぎた母の脚にも大した負担は無く辿り着ける。

根本中堂は延暦寺発祥の地で、最澄が建立したもの。織田信長により
焼け落ちたが、後に徳川家光により再建され、現在は国宝に指定されている。
内部(内陣)は我々参拝者が入れる外陣より3メートル程低く、見下ろす構造。
内陣には3基の厨子が置かれ、中央には薬師如来立像が安置されている。
ちなみに我々の手の四番目の指を何故「薬指」と呼ぶかというと、薬師様が
薬を施す際に使用する指だからとか。
灯篭には最澄の時代から現在まで絶やすことなく灯り続ける「不滅の法灯」が
灯されている。この火は信長の焼き討ちで一時途絶えたとされていたが、
山形県の立石寺に分灯されてあることを発見し、それを移したので結局
絶えた事にはなっていない由。
内陣は薄暗く、法灯のかすかな明かりに照らされた部分しか見えない。
下界は春爛漫だというのに、ここでは吐く息が真っ白だ。
が、1200年以上絶えることなく灯される火に象徴される比叡山の僧侶達の
意思、「千日回峰(せんにちかいほう)」に代表される数々の難行、そして
時の権力と密接に関ってきた伝統を思うと、自然と襟元を正す姿勢になって
しまう自分に気付く。
何となればここは法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった仏教界の巨人が
修行した「日本仏教の母」とも称される大寺院なのだ。

私も京都市内の寺院は随分訪れたが、ここほど「荘厳」「霊気」「神秘」といった
語句がピッタリの空間は無いと言える。
延べ数十万人の僧侶達が難行に耐え抜き、悟った何かがここには現存する。
かといって、敷居を狭めているわけではない。年寄りでも子供でも受け付ける
間口の広さも併せ持っている。
多分広大な墓地を所有し、’且つ各界から莫大なお布施が落ちるのだろう。
「観光寺院」のあざとさは微塵も感じられない。食堂、喫茶、お土産物屋の
店員さん達の応対も親切で嬉しい。
総合力で日本一、ニを争う寺院といえる。さすが比叡山延暦寺。

写真は上からWikipediaの「比叡山」より拝借。
根本中道の外観。
JR東海「そうだ、京都、行こう」のキャンペーンにて撮影された
根本中道の内陣。
根本中道の渡り廊下。
↓ はおまけショット。五条辺りの高瀬川にかかる桜。花びらが散り、
川の水面を彩っている。

しまっている。が、小学生の低学年から親しんだスポーツなので、私は
スキーが嫌いというわけではない。
むしろ今でも「奥志賀」「天神平」「万座」「白馬」等のスキーリゾートの名称が
ニュースなどを賑すと、なんともいえない郷愁にとらわれる。

先日、ペニンシュラ東京で開催されたACCJ(在日米国商工会議所)の
ランチョン・セミナーに行ってきた。
タイトルは"Is this the right time for hotel investment?"
つまり日本に於けるホテル投資の現状と将来をパネル・ディスカッション
するという内容。
この席で、米系証券会社であるウォーバーグの日本法人が
長野県白馬村の「白馬フォーティセブン」の株式を買い取り、大々的に
再開発を行う計画があることを知った。
現在ある同スキー場の土地11.6ヘクタールに、1期、2期工事で
総額200億円を投資し369室の高級ホテルとコンドミニアム、
アウトレットモールを建設するというもの。
1期工事は今年度に着工、2年後の竣工を目指す。
完成すればアジア有数のスキーリゾートが出現することになるが、
既に本年3月の白馬村環境審議会で建設が妥当との決定が下された。

私の商売柄、スキーリゾート関連の人たちと話す機会が多い。
彼らが指摘する日本のスキービジネスの特徴はいくつも挙げられるが、
ポジティブな点は:
1.産業として確立していて、国内の認知度が100%近い。
2.鉄道・道路等のインフラ設備が整っている。
3.温泉等アフタースキーのコンテンツが豊富。
逆にネガティブな点は:
1.文字通りお天気頼み。雪が降らなかったら当然、降りすぎても交通規制
等で商売にならない。
2.欧米に比べ「富裕層」のレジャーではなく、ファミリースポーツとして
捉えられている。ホテルやレストランで消費する金額も高くなく、宿泊施設
での平均滞在日数は2泊以下。
3.一般的に施設が老朽化、陳腐化していて、ハイ・エンドな層を取り込め
る魅力がない。
将来的には:
1.近隣諸国にこれだけのスキーインフラはないので、インバウンドビジネス
としてポテンシャルが高い。
2.スキー場施設の老朽化が進んでいるので、今後建て替え、再投資等の
ビジネス・チャンスがある。
また将来の不安材料は:
1.温暖化による降雪量の減少。
2.スキー人口そのものの減少傾向が止まらない。
といったところだろうか。
北海道・ニセコが近年オーストラリアからのスキー客で大賑わいだったのは
記憶に新しい。今シーズンは様々な理由からこの白馬地区にシフトしている
のも、白馬フォーティセブン再開発の追い風になっている。

パネリストは他にヒルトン・ホテルズVPのオデット・リフシッツ氏。
ホテル・オペレーターの立場から業界の諸事情について分かり易く説明して
くれた。
ジョン・マーダー氏はゲンスターというデザイン事務所の建築家。
ゴールドマン・サックスがREITに出したホテルのリノベーションを担当して、
沖縄でのホテル開発事例について説明してくれた。
司会はボヴィス・レンドリース・ジャパンのプロジェクト・マネージャーである
板倉大輔氏。
限られた時間内で、かつ逆風が吹いているホテル投資事業の展望を丹念に
パネリスト達から引きだすという難しい作業をこなしてくれた。
白馬フォーティセブンの代表・髙森健太氏は、何といっても今の時期に
積極的に投資する姿勢が凄いなと思う。
ところで今回のブログ作成の際の画像情報を集めていると、"flickr"
というサイトに白馬周辺の素晴らしい写真が載っているのを見つけた。
早速当ブログで拝借しようとすると、なんと一連のこの作品は高森氏
本人のものであることが判明。
写真は上から高森氏の作品。「白馬フォーティセブンより眺めた五竜岳」
中は開発計画中の白馬フォーティセブンのサイト俯瞰図。長野県白馬村の
公式サイトより。
下は会場風景。終了後も参加者同士の熱っぽい懇談が続いた。
↓ は高森氏の他の作品。「八方尾根 南面」

一連の氏の作品を見ると、彼自身が相当冬山に造詣が深く、且つ白馬に
強い思い入れがあることが伝わってくる。
私が嘗て仕えた堤清二がインターコンチネンタル・ホテルズに彼の
「夢」を投影したように(2008年11月12日のブログを参照ください)、
高森氏も事業だけでない何かを白馬に思い描いているのかもしれない。
彼のような顔の見える事業主・投資家が主導するリゾート開発事業が
どのように展開していくのか、大いに楽しみである。
氏の作品は http://flickr.com/photos/takamori で鑑賞できる.