知人の紹介で今は特別清算してしまった(株)西洋環境開発ホテル
事業部の求人にアプライし、合格したのだ。
芝パークホテルには大学卒業以来6年間世話になったことになる。
何故私が転職を思い立ったか?
いくつかの理由があるが、より大きな舞台で自分を試してみたいという
気持ちがあったのが、最も強い理由だった。
西洋環境開発は当時飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げていた西武
セゾングループのホテル開発・運営会社。
ホテル西洋銀座という日本で最初の超高級ブティックタイプホテルを
オープンさせ、ニュージャージーに本部のあったインターコンチネンタル
ホテルズという名門ホテルチェーンを買収していた。
西洋環境で私を面接してくれた企画室長が、「インターコンチで一緒に
働こう」と熱い口調で語ってくれ、私は即座に応じたのである。
次に挙げられる転職動機は「海外への憧れ」だった。
学生時代から英語を勉強していたこともあり、帰国子女やハーフの女性と
交際する事が多く、彼女達からの影響が大きかった。
また当時交際していた女性が外資系エアラインの客室乗務員で、彼女
から聞かされるアメリカやヨーロッパのライフスタイルの話に強い憧れを
持ったのを憶えている(要するにオンナからの影響を受けやすい)。
西洋環境では本社に配属され、半年後には横浜インターコンチの
開業準備室に転属になったが、その半年間で得た経験、ネットワークは
現在でも大いに役立っている。
当時早朝の九十九里浜でサーフィンをしていると、成田から海外に向け
飛び立っていく飛行機が次々と頭上を越えていく。
波待ちをしながらその光景を仰ぎ見て、「海外で働きてえー!」と叫んだ
こともあった。
話が前後するが、芝パークホテルで最終的に営業部に所属していた私の
担当は「新規開拓」。
既存顧客は引き継がず、全て新規開拓して獲得して来い、というものだった。
前任者からの引継いだ顧客の面倒を見るなんてまっぴら御免だった私には
ぴったりの仕事だった。
結局、芝パークを退職したのが4月14日の金曜日で、その日の昼まで
私は新規開拓営業に走り回っていた。
その最終日に新規顧客から宴会の予約を受け、「ありがとうございました。
でもその宴会当日に私はいません、今晩限りで転職するんです」と
言ったら、大いに受けたが。
芝パークホテルでは私の転職に皆驚いたようだった。が、おおむね温かく
送り出してくれた。
残念だったのが、幹部の一人が私を揶揄(やゆ)する言葉を吐いた事。
「お前の転職など、俺が手を回せばいつでも握りつぶす事ができるん
だぞ」と面と向かって言われた。
直接のライバル会社にヘッドハントされたわけでもないのに、この暴言には
さすがに腹が立ったが、「ケツの穴の小さい野郎だ」と私は相手にしなかった。
もっともこの幹部は、その後いかにも小心者に相応しい辞め方をすることに
なる。
私の彼に対する「ケツの穴の・・・」という評価が見事に当たったわけで、
当時から私を他人を見る目があった事の証左かもしれない。
最終出勤日のその晩は金曜日で、交際していた女性が銀座の「レカン」で
ディナーに招待してくれた。
そのまま彼女のマンションに泊まり、翌朝から熱海にスクーバ・
ダイビングに出かけ、初めてのドライスーツを経験。
日曜の夜に目黒の自宅に帰り、翌朝8時に池袋のサンシャインシティにあった
西洋環境の本社に出社、辞令交付という慌しい週末だった。
人生に別れは付き物で、他人の場合はともかく、自分が旅立って行くのに
涙やおセンチな気分など大嫌いな私だ。
計4回転職する事なったが、旧職場を離れる際は常に楽しい将来、バラ色
の未来を夢み満面の笑みで去る、がその後も私のモットーであり続けた。
今から20年前、当時29才の私の初めての転職にまつわるエピソードでした。