人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ホテル、レストランなどホスピタリティ・インダストリに特化したヘッドハンター茂木幹夫(もてぎ みきお/ www.kyotoconsultant.net)の「非首狩族的な」日々。


by Mikio_Motegi
東京都・小笠原村が、岩手県・平泉と共にユネスコより
世界遺産登録の勧告を受けた、というニュースが飛び込んできた。
私が小笠原に行ったのは1990年のゴールデン・ウィークを挟んだ
10日間、それもたった一度の事。
だからあまり大きなことは言えないが、それでも我が人生における最高の
休日として、今でも宝物のように記憶に鮮明に残っている。

小笠原諸島の世界遺産登録を祝う_c0094556_17314384.jpg


私はあれから、小笠原に出かけた経験のある人と出会った経験が無い。
何せ本土からの交通手段は船のみ、それも東京・芝浦桟橋から片道25時間
もかかるのである。
文字通り「秘境」と呼ぶにふさわしいロケーションと言えるだろう。

到着した日の夕方、民宿の目の前の小さな港を散歩していると、
大きな段ボール箱を潰したような赤茶けた物体が海に浮かんでいる。
「こんなきれいな海に段ボールなんか捨てやがって」と私が舌打ちし
視線をそらすと、いきなりその段ボールから「プファッ!」という音がした。
良く見るとそれは段ボールではなく大きな赤ウミガメで、呼吸をする為に
浮上したのだ。その「プファッ!」という音はその呼吸音。度肝を抜かれた。

その後防波堤で釣りをしている人を見かけたので、釣果を覗くと大きな
甲イカが何杯もバケツに入っている。
見ると防波堤の足下には甲イカの大群が押し寄せていて、彼らの吐き出す
水流やスミで水面が泡立っている。
私が「イカ釣りですか?」と聞くと、その釣り人は「いや、これは外道。
ヒラアジを狙っているんだよ」との答え。
見ると、イカの大群を狙って見た事もないような大きなヒラアジが数匹、
防波堤の下でものすごいスピードで泳ぎまくっていたものだ。

小笠原諸島の世界遺産登録を祝う_c0094556_15103170.jpg


私の旅行の目的は、毎日午前と午後の計2回、スクーバダイビング三昧で
過ごす事。
小笠原の海は流れがきつく、深度も深いし水温もあまり高くない。
だからダイビングの合間は疲れきってしまい、食事を摂るか仮眠をとるか
の毎日だった。

大自然の中で10日も過ごすと、普段は表に出てこない、人間が本来
持っている野生・感性のようなものが表れてくる。
風の音や方角、雨雲の匂い、潮流の強さや方角などが感じられ、読みとれる
ようになるから不思議だ。

小笠原諸島の世界遺産登録を祝う_c0094556_15114714.jpg


さてそんな小笠原だが、その頃私が勤務し今は特別清算(つまり潰れた)
セゾングループの(株)西洋環境開発が小笠原に航空路を開発しようと
積極的に推進した経緯がる。
諸島の北部、無人島で平坦な土地のある「兄島」に空港を建設し、
リゾート施設を開発、本土からの観光客を誘致しようと計画したのだ。

世はまさにバブル絶頂期で、日本中の景勝地が「リゾート開発」の美名
の下で侵食され、貴重な自然が次々と破壊されていた頃である。

滞在数日後、親しくなったダイビングショップの計らいでの我々をもてなす
バーベキューパーティーで、15、6名の参加者がお互いの自己紹介を
した際、私の勤務先を聞いて何人かが「え!?」と色めきたった。
皆一応にセゾン資本による小笠原の観光開発計画は知っていたし、賛成、
反対の意見が交差していた背景もあった。

ただ私の仕事はホテル・チェーンのオペレーション本部で、リゾート開発
とは直接関係なかった・
また上記のとおり毎日ダイビング三昧で、とても開発の為の調査に来た
人物とは思われなかったようだ。
夜は夜で忙しかったし・・・。

小笠原諸島の世界遺産登録を祝う_c0094556_15305585.jpg


それはともかく、バーベキューの席で様々の立場による、小笠原観光開発の
様々な意見を聞く事が出来た。
国内の大抵の田舎と違い、小笠原には本土からの移住者が多い。
だから過疎対策で観光事業を推進する必要がない。
もちろん本土からの移住者は手つかずの自然が好きで住みついたのだから、
観光開発など全く望んでいない。

おまけに太平洋戦争中は住民は全て本土に強制疎開させられており、戦禍で
亡くなった人は全て日本軍の兵隊及び関係者だった。
つまり戦争の心理的爪痕が沖縄のように深刻に残っておらず、従って本土に
対する特別な(屈折した)感情が無い。
つまりリゾート開発の機運が全く盛り上がっていなかった。

「これはよっぽどの事がないと、小笠原の開発は実現しないな」というのが
私の印象だった。

小笠原諸島の世界遺産登録を祝う_c0094556_15222686.jpg


あれから20年が過ぎたが、小笠原には未だに飛行場が無い。
バブル期の行き過ぎたリゾート開発への反省と、20年間ずっと不況だった
事が寄与し、小笠原の自然は健在だ。

いつの日か私はもう一度小笠原を訪れ、ダイビング三昧の日々を送りたい
という願望を持っている。
それまで、いや永遠に秘境・小笠原の姿のままでいて欲しいものだ。

小笠原諸島の世界遺産登録を祝う_c0094556_17324823.jpg


写真は上から 小笠原諸島 父島遠景 京都新聞メールマガジンより

アカウミガメ(イメージ)「omotehama network」
www.outdesigh.net/omotehama より

婿島(ケータ)のイソマグロ 「Kikuの海日記」
kikuya-m-uminikki.cocolog.nifty.com より

宇宙の他の惑星のような島、南島

夕焼け 小笠原島の風景写真
ogasawarajigger.blog.ocn.ne.jp より

西島沖のザトウクジラのホバリング 「ただ今、小笠原」
karioka.exblog.jp より
# by Mikio_Motegi | 2011-05-08 17:26 | 京都・紀行
最近は観る機会は滅多に無いが、日曜夜のNHK大河ドラマは子供の頃は
毎回楽しみにしていたものだ。

今でも印象に残っている作品は「樅の木は残った」(1970年)と
「新・平家物語」(1972年)、それと「黄金の日々」(1978年)。
先週と先々週、偶然にも「樅の木」と「新平家」の総集編をNHKの
衛星放送で放映しており、懐かしさのあまり食い入るように観てしまった。

NHK大河ドラマはどうなる?_c0094556_2127278.jpg


どちらも主役の演技が素晴らしい。
「樅の木」では原田甲斐を演じる平幹二郎の、「新・平家」は平清盛を演じる
仲代達也の、どちらも端正で静謐、時に豪快な演技がなんといっても
見ものだった。

二人とも当時は新劇「俳優座」の所属で看板スターだったが、大舞台で鍛えた
朗々たる声、セリフ回しや演技など、さすが、と言いたくなる。
両日共に夕方の2時間をしっかりと堪能させてもらった。

NHK大河ドラマはどうなる?_c0094556_21273343.jpg


翻って、ではなぜ私は最近の大河ドラマを観なくなったのだろう、と考えた。
海外で生活していた8年間は毎週楽しみにして観ていたのに。

理由は簡単、「つまらない」から。
もちろんつまらなくなった、つまらなく感じるようになった理由は様々だ。

一番感じるのは、製作者があまりに視聴者におもねって、ストーリーを
現代受けするようにしてしまい、却って白けてしまった点。
例えば「新撰組!」で坂本竜馬と近藤勇が一緒に酒を酌み交わすなどといった
バカげたシーンを見せられると、あまりの下らなさにスイッチを切ってしまい
たくなる。

確かに大河ドラマは史実に忠実である必要はない、ドラマなのだから
ある程度の脚色はあっていい。だがあのシーンはアホな脚本家とアホな
演出家の視聴率欲しさからくるサル知恵すぎず、明らかにやりすぎだ。
自ずと限度というものがあるでしょう。

また過剰なBGMにも興をそがれる。シーンを盛り上げようとするあまり
大音量でBGMを叩きつけられると、白けてしまう。
俳優の下手な演技、下手な脚本をカバーする意味もあるのだろうが。

我々視聴者の方にも問題がある。
時代劇に相応しいかつての重々しい古文調のセリフが煩わしくなり、
現代口語調のセリフを求めている点。
またリモコンで簡単に番組を変えられ、時には2画面で観たりするので、
製作者も視聴者を逃すまいと「盛り上げる」シーンをてんこ盛りにしてしまう
傾向がある。
ひとつの番組内で静と動、静謐と躍動が交互する場面をじっくり観るからこそ
歴史ドラマは面白いのに。

NHK大河ドラマはどうなる?_c0094556_2153147.jpg


そう考えると、今後も大河ドラマが面白くなる可能性は限りなく低いのでは
ないだろうか。
NHKの朝の連続ドラマ、大晦日の紅白歌合戦を含め、コンテンツが時代に
合っていない。
だからいっそのことそれら全部止めてしまった方がいい。

NHKは民放や韓流ドラマに対抗するのではなく、大がかりなロケによる
報道番組やドキュメンタリー、スポーツや演奏会の中継、ニュース解説、
歴史探訪などに徹するべき。それであれば受信料も気持ち良く払える
というものだ。

NHK大河ドラマはどうなる?_c0094556_21533761.jpg


主役を張る最近の俳優の資質はどうか?・・・私は最近日本の演劇の舞台
を全く観ていないのと、好みの問題もあるので言及しないほうが良いだろう。

幸い私は若かりし頃の平幹二郎の「ハムレット」、仲代がこれも俳優座の
看板スターだった加藤剛と共演した「アントニーとクレオパトラ」、
「黄金の日々」の主役だった市川染五郎(現松本幸四郎)を
「オイディプス王」や歌舞伎で観た経験がある。
だが彼らも既に70代。今更新劇でもないだろうが、時代を受け継ぐ名舞台俳優
はいるのだろうか?

NHK大河ドラマはどうなる?_c0094556_2154172.jpg


写真は上から 「新・平家物語」
「樅の木は残った」
「黄金の日々」
現在放映中の「江」。最初の3-4回までは面白かったが、後は尻つぼみに。
来年放映予定の「新・平家物語」。名優・仲代のイメージを払しょくできるか?
# by Mikio_Motegi | 2011-05-02 21:35 | ブレイク

リア王

シェイクスピア東日本大震災のような大災害見舞われ、何を信じていいか
わからなくなり、価値観がひっくり返ってしまうと、私のような凡人が
頼れるよすがになるのは「古典」でしかない。

「愚者は経験に頼り、賢者は歴史に学ぶ」と言うし。
かくして30年以上も前に読んだ「リア王」(シェイクスピア作 野島秀勝訳
ワイド版岩波文庫)を再購入、再読した。

リア王_c0094556_1565017.jpg


「リア王」はシェイクスピアの四大悲劇の中でも最も壮大なスケールで、且つ
残酷な物語だ。
あらすじは、三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディリア
の真心を信ぜず、不実な長女と次女の甘言を信じ、結局裏切られる。
狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまよい、疲れ果てた父とコーディリアとの
美しい再会も束の間、悲惨な結末が待っている、というもの。

リア王_c0094556_15162974.jpg


読んでいて気がつくのが、シェイクスピアというと何となく高尚な、
インテリ向けの作品のようなイメージがあるが、実際は違って猥雑な
セリフも数多い。

例えば:
「自然よ、あんたこそ、おれの女神だ。あんたの掟にだけは従う。
(中略)(妾腹の自分が)下賤だって?いや俺たちこそ人目を忍ぶ欲情が
造った自然の産物。それだけたっぷり、心身の養分と激しい活力を親から
授かっているのだ。
退屈、陳腐、飽き果てた寝床の中で、夢かうつつか、あくび混じりの間に
出来た世のアホどもとはどだい訳が違う」(1幕第2場)

「運が向かなくなると、いや、大抵は自業自得にすぎないのに、禍いを
太陽や月や星の自然のせいにする。悪党になるのは天然自然の必然、
アホのなるのは月の影響、ごろつき、盗っ人、裏切り者になるのは
生まれた時の支配星の運勢、といった塩梅だ。(中略)
てめえの助兵衛根性を星のせいにするとは、なんて見事な女郎買いの
言い逃れか!」  (1幕第2場)

「正直者は犬ころ同然、鞭をくらって追い出され小屋に引っ込むのが
定め。口先達者なやんごとなき“牝犬さま”は炉辺でぬくぬく、
臭いおならをひり遊ばしているというのに」 (第1幕第4場)

「親父がぼろ着りゃ子供はそっぽ向き、親父金もちゃ子供は孝行。
運の女神は根っからの女郎、銭の無いのには戸は明けぬ」(第2幕第4場)

「いや、もっと落ちるかもしれない。これがどん底だなどと言っていられる
間は、どん底になっていないのだ」 (第4幕第1場)

・・・もってまわった修辞語などなく、読む者の胸元にズバッと切れ込む
辛辣な言葉の数々。これらこそが大衆劇作家シェイクスピアの人気の
真骨頂なのだと気づかされる。

リア王_c0094556_15165928.jpg


思えば、人間の歴史は数々の苦難の連続だった。今そこにある苦難も、
昔からの人間の営みの延長線上にあると思えば、少しは慰みになる。
古典を読む、歴史を学ぶことは何も知識を増やす結果になるばかりではない。
私達の目の前に横たわる苦難を乗り越える勇気を与えてくれる効能がある、
と言えるだろう。

リア王_c0094556_15172433.jpg


写真は全てイメージ。アンソニー・ホプキンスの主演でナオミ・ワッツ、
グィネス・パルトロウ、キーラ・ナイトレイが三姉妹を演じる予定だった
「キング・リア」という大作映画は、残念ながら製作が中断したままのようだ。

ちなみに、小説はともかく「戯曲」を読むのは苦手という人も多いだろう。
が、読み慣れてしまえば簡単だ。むしろ日常使うセリフのやりとりの行間
から舞台での情景を想像でき、あっという間に読涼できてしまう。
是非試してみて欲しい。
# by Mikio_Motegi | 2011-04-23 19:56 | ブレイク
昨日は次女の十三(じゅうさん)参り。この儀式については
2009年3月31日のブログに記したので、ここでは詳細は省く。

次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_2152741.jpg


嵐山の桜も半分が散った昨日の土曜日だが、人通りは例年の8割ほどか。
その原因は言うまでもなく東日本大震災と福島原子力発電所の放射能漏洩
問題、それに起因した世の中の自粛モードだ。
だが我が家はそんなモードは無視、予定通り盛大にお祝いを敢行した。

次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_2161214.jpg


次女と同い年の従姉と一緒に参拝し、夜は室町の「京夕け善哉(よきかな)」
で、群馬からやって来た私の実母と実兄を含め総勢16名で夕餉を囲む。
さすがミシェラン一つ星の実力店だけあって、出汁(だし)の取り方が
絶妙だった。美しい女将と仲居さんのホスピタリティも満点で、楽しい
ひと時だった。

次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_21145473.jpg


翌日の昼は「祇園おくむら」にて会席風イタリア料理。
多種類の料理を少しずつ楽しめる、老齢の母親にはぴったりのコースだ。
祇園の切通しの喧騒がウソのようなインテリア、祇園新橋や
花見小路も近く、食後の散策にもってこいのロケーションだ。

次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_21152183.jpg


宴の最中も、片時も東日本大震災が頭から離れることは無い。
だが自分で稼いだお金で、家族のお祝いをするのに遠慮する気はさらさら
ない私だ。

むしろ、「(その時点で)できる人が、できない人の分まで頑張る」のは
チームワークの基本である。
被災した人々、復旧に当たる関係者、ボランティアの労苦を思いつつ、
次世代の日本を担うであろう次女の為に杯を重ねさせて頂いた。

次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_216563.jpg


次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_2173361.jpg


次女の十三(じゅうさん)参り_c0094556_218043.jpg


写真上2枚は嵐山法輪寺(ほうりんじ)にて。

京夕け「善哉(よきかな)」のエントランス。祇園の名店で修業した
板前さんと仲居さんが結婚し、3年前に店を開いた。

「祇園おくむら」。コース料理のみ。最後の一口カレーライスが名物。

従姉一家を撮影する家内と次女。

渡月橋を歩く次女。授かった智恵を落とさないよう、一心不乱で渡り切った。

法輪寺の境内に「電電宮」という電気・電波の神様を祀った神社を発見。
東京電力の関係者はここに参拝すべきだ。
# by Mikio_Motegi | 2011-04-17 21:22 | 京都・紀行
4月6日の水曜日、ACCJ(American Chamber & Commerce Japan)
主催のランチョンセミナー"Radiation and Risk"に参加してきた。
場所は新装なった麻布狸穴の東京アメリカンクラブ。

アメリカ人の見た「Fukushima」_c0094556_22105428.jpg


パネリストは以下の4名。(難解なので和訳不可能。でも何となく
どういう人たちかわかるでしょう?)

Speakers:
- Dr. C. Norman Coleman, Associate Director,
Radiation Research Program, Division of Cancer Treatment
and Diagnosis, National Cancer Institute,
U.S. National Institutes of Health

- Jana Telfer, Associate Director for Communication Science,
National Center for Environmental Health/Agency for
Toxic Substances and Disease Registry, Centers for
Disease Control and Prevention.

- Steve Simon, Ph.D, Division of Cancer Epidemiology and
Genetics, National Cancer Institute

- Michael Noska, Ph.D. Environment, Safety and Strategic
Initiatives, FDA (U.S.Food & Drug Administation)

12時からの昼食の後、12時半頃からはじまったプレゼンテーション。
Q&Aセッションでは14時までの予定を15分延長するなど、熱心な討議が
続いた。

参加者は250名。通常のACCJのランチョン・セミナーではせいぜい
80-100名程度しか出席が無いので、今回は異例だ。
また見渡したところ、日本人は20-30名程度、後は全て欧米人だ。
彼らの関心の高さが伺える。

アメリカ人の見た「Fukushima」_c0094556_22112387.jpg


セミナーでは"ALARA"という言葉が新鮮だった。ALARAとは
As Low As Reasonably Achievable の頭文字で、直訳すると
「合理的に出来る限り低く達成できる」被爆数値という意味だ。

すべての被爆は社会的、経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成可能
な限り低く抑えるべきである」という基本精神に則り、被爆線量を
制限することを意味している。
(原子力安全委員会/www.nisa.go.jp/word/42/1029.html)

またリスクに関しては、Risk=Hazard + Outrageであり、
物事には常に危険因子があるが、そのままではリスクではない。
それはHazardだ。
例えば車の運転、山登り、食品に含まれる微量の細菌等はHazard。

ところがそれがOutrage(侵される、点火される)されると、交通事故、
遭難、食中毒等の事故が起きる。
原発についても、HazardではあるがOutrage(今回の場合は地震と津波)
が無ければ安全だった。よって原発は全てリスキーだ、という考え方は
あたらない、とする物だった。

また世界史上唯一の被爆国である日本の放射線研究は世界で最も信頼度の
高いものなので、風評に惑わされることなく落ち着いて対処して欲しいとも
語っていた。Atomic Bomb(原子爆弾)をそのまま言わず" A-Bomb"と
いう言い回しにしていたのが印象的だった。

アメリカ・オバマ政権の唱える原発開発促進を否定しかねない発言は
無かった。パネリスト4名とも、「日本政府と関係機関は未曾有の惨事の
中で良くやっている。当面は安心して見守ろう」という姿勢だ。

ま、ACCJの立脚点からいえば、反原発は絶対に表明しないだろうし、そんな
人物をパネリストとして呼びやしまい。

アメリカ人の見た「Fukushima」_c0094556_22123977.jpg


セミナーは淡々と進み、興奮する人も激昂する人もおらず、時々ジョークが
交るいつもの雰囲気。
察するに、東京に踏みとどまっている欧米人は、踏みとどまれる理由を
必死に探している、という感がした。

今回同じテーブルに同席した元ヨコハマインターコンチ勤務のMarthinは
オーストラリア人で現在欧米のロジスティック会社の日本代表。
左隣の人物は米系ソフトウェア会社の社長で滞日14年。
彼らは共に日本が大好きで、奥さんは日本人。子供もいる。
そんな彼らに奥さんの親戚を残して自分達だけ本国に帰国するという
選択肢は、無い。

アメリカ人の見た「Fukushima」_c0094556_2213469.jpg


世界中が固唾をのんで見守っている福島第一原発の趨勢。
欧米各国は、福島と東京との距離、位置関係など念頭にない。
日本全土が放射線で被曝し、キノコ雲の覆われていると本気で信じ込んでいる
人々があまりにも多い。

そんな本国からの「大丈夫か?メール」「帰れ!コール」にめげず、大好きな
日本に踏みとどまっている彼ら。

そんな彼らの為にも、頑張れニッポン!と改めて声を大にしてエールを
送りたい。

アメリカ人の見た「Fukushima」_c0094556_22134119.jpg


写真は上から東京アメリカンクラブの入り口。
ランチはミネストローネ、サーモンのグリル、デザート・コーヒーだったが、
どれもめちゃくちゃ美味しかった。

会場風景。

リスクマネージメントのイメージ。(本文とは関係ありません)

それぞれイメージ。
# by Mikio_Motegi | 2011-04-10 22:25 | Japan Revitalization